第2章21話 嘘吐きのバケモノ②
「……は?」
テルは頭が真っ白になった。目の前の情景の理解を拒んでいるように視界が明滅する。
首と胸から血を流して、倒れるニア。ナイフを突き刺された傷口が、黒々とした血液を吐き出し続けている。薄ら開いたその瞳には、きっと二度と光は宿らない。
何が起きたかわかりたくない。起こった出来事を受け入れたくない。
テルの中で渦巻く混沌とした感情と同時に、その心理的な理解の拒絶は、ニアが紛れもなく死んだ証左であると、無慈悲に告げる俯瞰的な自分がいる。
ニアが死んだ。その短い言葉が何度も頭の中で反響する。
ニアが死んだ。ニアが死んだ。ニアが死んだ。ニアが死んだ。ニアが死んだ。ニアが死んだ。ニアが死んだ。ニアが死んだ。ニアが死んだ。ニアが死んだ。ニアが死んだ。ニアが死んだ。ニアが死んだ。ニアが死んだ。ニアが死んだ。ニアが死んだ。ニアが死んだ。ニアが死んだ。ニアが死んだ。ニアが死んだ。ニアが死んだ。ニアが死んだ。ニアが死んだ。
震える手をニアに伸ばす。
まだ声が届くだろうか、まだ温もりを感じられるだろうか。
そんな、残された
そのとき、ニアの手がびくりと跳ねるように動いた。
「ひっ」
思わず息を飲んで手を引いたテルの周囲を、おどろおどろしい空気が包んだ。
長く晒されていては気が触れてしまいそうな、嫌悪感を孕んだ重圧。それはニアが治癒魔法を掛けるときの感覚と近いが、いま感じているそれは圧倒的に
邪悪な気配が消えたと思うと、ニアが体を怠そうにしながらゆっくりと体を起こし、顔に付いた血を腕で拭った。
「なん、で……?」
ニアは今死んだはず、とテルが口に出かけたのを抑えたところで、
「アッハッハッハッハッハッ!」
とノーラントの高らかな声が降りかかった。
「見てみろ、ニア。この身の程知らずの顔を。案の定、お前という存在に恐怖している」
声を掛けられても、ニアは俯いたまま顔を上げない。
そして、ノーラントに言われた通り、テルの眼差しは恐怖の色が染み出している。それはもはや、その言葉を否定することもできないほどに。
「なぜかと、問うたな。教えてやろう。お前がいままで人だと思って接していたニアは、『魔人』だからだ」
「ニアが、魔人……?」
「いや、それよりもっと
ノーラントがちらりとニアに視線をやる。
「コレは最も汚らわしく邪悪な業を背負い、忌々しい『獣の呪い』をその身に宿した、正真正銘のバケモノだ」
「そんな、わけ―――」
「ならば、次は首を落としてみせようか」
余りにも恐ろしい提案にテルは黙らせられる。
「それにしても、既に何人もの人を殺めておきながら、善良な振りをして人里に
ノーラントに言葉に、ニアは体を抱えるようにして小さく震えている。
テルが怪我をしたとき、顔を真っ青にして治療をしてくれたニアが
「もう黙れよ、誰がお前の言葉なんて信じるか!」
到底受け入れられないニアへの侮辱に、テルは感情に任せて拒絶すると、ノーラントはニアに目をやった。すると、ニアは酷く驚いたような顔をした後に、今にも泣きそうな目で頷いた。
「ずっと騙していてごめんなさい」
ニアの独白が、終幕の言葉のようにぽつりぽつりと紡ぎ出される。
「ニア、待ってくれ」
テルは嫌な予感がして、ニアの言葉を止めようとした。しかし、テルはニアを止められない。
「私は嘘つきで人殺しのバケモノ。もともと誰かと一緒に生きてくことなんて許されなかった」
「そんなこと言わなくていいんだ。その男に言わされているんだろ? だから、もう―――」
「ううん。違うよ、テル」
ニアは、テルの言葉に首を振って明確に否定した。
全てをノーラントのせいにすれば、ニアはこっちを向いてくれると思っていた。
しかし、それは間違いだった。
「私は人を殺した。だから、私は私を許せないし、私が此処にいてはいけないことを一番よく
テルはずっと知っていた。ニアが自分を決して甘えさせなかったことを。
誰よりも自分に厳しくしていたのは、誰よりも
「テルやリベリオに優しくしてもらえる資格なんてないの」
揺らぐことのない、燃えるような紅い瞳は、その言葉が真実だと語っている。
ニアを見てきた。だからこそ、ニアの言葉に嘘がないことがわかってしまったテルは、なにも言葉を返せない。
自分の暗部を晒されて、ただこの時間を耐えることしかできず、拳を握りしめていたニアから緊張が薄れた。全てを語り終え、肩の力が抜けたのだろう。
いつの間にか、膝から崩れ落ちていたテルの視界には、地面につく手だけが見える。
「さよなら。私のことは忘れて、幸せに生きて」
だから、この言葉を発したニアの表情をテルは知ることはなかった。
遠のいていく二人分の足音が聞こえなくなるまで、テルは顔を上げることができなかった。
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