第2章10話 黒泥②

 大きめのコートを羽織っていたテルは、その内側で『オリジン』のナイフを作り出した。異能をあまり人目につかないようにするためだったが、セレスはそれを看破し小さく言葉をこぼした。


「その魔法……」


 何となく茶色いような塗装で、土魔法という言い訳の逃げ道はしっかりと用意しているが、少しひやりとする。


「それで、策ってなに?」


 ひとまず、異能と疑われずに済んだテルはセレスに気づかれないように安堵した。


「先に訊きたいんだけど、やっぱりあいつ魔獣だったか?」


「うーん……、そうね」


 質問を返されたセレスは黒泥から視線を逸らさずに喉を鳴らす。


「ぱっと見た感じ人が中に隠れてそうな体形だけど、中に人が居たら、さっきの剣で確実に重傷のはずだし、核の気配もするから多分魔獣」


「オーケー。ならいける」


 

 テルが、手にしていたナイフを同時に投げ放つと、黒泥は泥を広げてそれらを防いだ。

 やはり効果は薄い。どうして泥の壁があれほどの防御力があるのか甚だ不思議だが、そんな疑問を捨て置いて、直後に創り出した槍を投げた。


 黒泥はこちらの思惑に気づいたのか、防壁を畳む。


「やっぱりばれたか」


 テルの頼りない弾幕の隙に、距離を詰めていたセレスがそう言うと、さらに加速する。

 黒泥は泥を凝縮するようにすると、二発同時に泥の矢を放った。一本の泥の矢は槍を正面から破壊し、二本目はセレスを迎撃する。


「わざわざ躱してあげると思う?」


 追尾機能はすでに判っている。セレスは凄まじい速度で迫る泥の矢を確実に切り落とす。その正確な剣の軌道も驚きだが、走る速度に緩みがないのも凄まじい。挙句の果てには、槍を撃ち落としたもう片方の矢を一瞥もくれずに撃墜してしまった。


 セレスは黒泥の目の前に迫ると、更にもう一段スピードをあげ、倒れていた子どもを抱き上げる。


「助けた!」


「おう!」


 黒泥は子どもに執着している様子はなく、依然としてセレスを標的にしており、子どもを抱えていることで自分が優位とも思っているのだろう。

 テルは手に持っていたものを黒泥に投げつける。

 形状はナイフだが、所々が膨らんだ不格好なソレを黒泥は何ともないように壁を張る。

 

 ずどんっ。


 小規模な爆発とともに、黒泥の壁が弾け跳んだ。

 テルが放ったのは、オオミズチを倒したときにも用いた火薬入りの剣を応用したもので、子どもがすぐ傍で倒れていたため使えずにいた、テルの最大威力の武器だ。


 直立姿勢を崩さない黒泥に表情はないが、ぎょっとしているのがなんとなくわかる。


「あんた、市街地で爆発とか正気っ!?」


 セレスの指摘ももっともだが、すでにテルは新たに爆弾ナイフを四本も投げている。


 黒泥は全身を大きく揺らして、先ほどよりも遙かに分厚く大きい壁を作り出す。

 一度目の爆発でその危険性を感じ取ったのだろう、おそらく本気の防御だ。黒泥そのものの体積を削って防御に充てている。


「これならいけるだろ」


 テルが歯を見せて笑う。その声に答えるように爆発が炸裂する。しかし、爆煙のなか黒泥の姿は健在だ。

 必殺の一撃を凌がれた。しかし、テルの笑みは崩れない。


「ええ、やってやるわよ!」


 そう答えたのは、黒泥の背後で居合の構えをするセレスだ。

 その声の方に振り向く黒泥。咄嗟に壁を作り出そうとするが、既に遅い。


 一息の間に、放たれる三つの剣筋。その一つ一つが黒泥の胴体を両断した。

 傍から見れば刹那の合間、黒泥は五つのパーツに切り離されると、バランスを崩した積み木のように落ちた。


「……っ、逃げられたっ!」


 勝利を確信したテルだったが、その反面セレスが険しい顔で叫ぶ。


「手ごたえがない。多分核だけどこかに逃げたんだ!」


 テルは慌てて周りを見渡す。しかし、黒泥のすがたはどこにも見えない。

 おそらくすでにどこかに逃げられたのだろう。もし近くに潜んでいたとしても、既に日が暮れていて、見つけ出せる勝算は低い。


「セレス、子どもは!?」


 その声にセレスがはっとして振り向くと、慌てて倒れている子どもに駆け寄る。

 皮膚は火傷をしたように爛れているだけではなく、腐敗したような部分もあり、中身が覗いている。


 離れていてもわかってしまう。


「死んでる」


 セレスの言葉にテルは「そうか」と頷いた。


「多分、最初から間に合わなかった」


 セレスの弱々しい声にテルは無言で頷いただけだった。




「おい、なにがあった?!」


 知っている声がして顔をあげると、焦った顔をしたカインがこちらに駆け寄ってくる。そして意識が狭まっていて気づけなかった。いつの間にか何人かの野次馬が遠巻きにこちらを見ている。


 カインは顔を見合わせると、だいたいのことを察したようで、視線を左右に揺らす。


「騒ぎが広がるとまずい、すぐに衛兵を呼んでくる」


 テルもセレスも直前の戦闘と救えなかった被害者のことで、頭に血が上っている。その一方、唯一落ち着いているカインが二人に声を掛けて走っていく。


 カインがいなくなると、迫ってくる人達の気配がぐっと高まった。一定の距離を、取り決めであるかのように保つ野次馬。

 小声で話していることはわかっても、細かい内容が決して伝わらない距離が、奇異の目に晒されているような気分になり酷く居心地を悪くさせた。


 目が合えば、よくないことがあるかのようにセレスは決して顔をあげず、テルもまた同じように項垂れていた。


「メリー……?」


 野次馬のなかから、唯一はっきりとした声が聞こえて顔をあげると、見覚えのある顔があった。


「司祭さん」


 今日の朝に訪れた教会の司祭が、今朝と同じ恰好で立っている。目を丸くし、その瞳孔が震えている。


「メリー……。ああ、そんな……」


 司祭はセレスの問いかけを無視して、不安定な足取りで子どもの亡骸に近寄るために、膝を地面につける。

 指先でそっとメリーと呼んだ少女の頬を触れると、深く長く息を吐いた。


 その少女は、きっと教会に住む孤児だったのだろう。

 司祭は視線をあげることも、こちらになにかを口にすることもない。テルとセレスもなにも喋れない。


 そのとき、カインが二人の衛兵を連れて戻ってきた。

 一人は既に野次馬たちを追い払っていて、押し寄せていた気配が引いていく。


「この子は私が連れ帰ります」


 そう口にしたのは司祭だった。


「しかし、司祭殿……」


「どうせ教会に運ばれるのなら、私がそうしようがなにも変わらないはずです」


 黙り込む三人に対して、口を挟んだのは衛兵だったが、司祭の迫力に圧されるままに頷いた。

 司祭は着ていた外套で、子どもを包むとそっと抱き上げる。


「あ、あの」


 テルはなにを話すべきかわからないのに、思わず司祭を呼び止めた。しかし、憎い敵を脳に焼き付けるような、司祭の目に射貫かれ尻すぼみしてしまう。

 何も言わずに立ち去る司祭の背中を、テルは見ることさえ出来なかった。


 その後、衛兵が後処理のほとんどを引き受けると、「明日の朝、証言をとりたい」と一方的に告げられ、三人はそれぞれ家に帰された。

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