第2章11話 悠長な朝

 真っ直ぐ歩くことなど不可能に思えるほどに往来が激しく、テルはそんな光景に感心に近い気持ちがあった。


「昨日あんなことがあったのに誰も気にしてないみたいだ」


 昨日の晩、始めて黒泥による死者が出た。


 その現場には少くない目撃者がいて、村民たちは不安で家に閉じこもるのではないかという心配は命中しなかった。年に一度、魔獣の大群が攻めてくるような世界の住人は、その程度のことではへこたれないタフネスがあるのかもしれない。


「気にしてないこともないんじゃない」


 素っ気なくセレスは言う。いつも周りを巻き込むような覇気はなく、昨日の黒泥との一件が尾を引いているのだろう。


「どういうこと」とテルが尋ねると、セレスはある露店に視線を向けた。まだ営業が始まっていないのか、人の気配はなく何の店なのかわからない。


「昨日のこの時間にはやってたはずなのに、開く気配がない。あそこもあっちも準備さえしてないわ」


 言われてみればそうかもしれない。飲み歩く男は昨日と変わらずよく見かけるが、女子供の姿は心なしか少なくなっているように思える。


「皆が皆、村長と同じ考えではないんだよ」


 カインが特に感情を乗せずに口にすると、セレスも「ふーん」と無関心気味に頷く。


「昨日人が死んだっていうのに、祭りを強行するなんてね」




 早朝、テルたち三人は事情徴収というにはあまりにも簡潔な問答を終えたあと、今日の凱旋祭が予定通り執り行われることを告げられた。


 冷静に考えれば、さらなる被害者が出る可能性があるのだから中止にするべきなのだろうが、この村の権威のある老人たちが慣例を破ることを極端に嫌ったのだという。


 当然反対意見も上がった。しかし、セレスの奮戦と目撃していた一人がおり「黒泥は倒されたに違いない」と熱弁したことで、反対意見の勢いが削がれたらしい。




「それで、俺たちはなにかあったときの保険ってわけだ」


 テルは呆れたように言い捨てた。


「取り逃がしたから文句は言えないけどね」


「なによ、駆けつけるのが一番遅かった癖に」


 カインが諦めるようにいうと、セレスが食ってかかる。しかし、その表情から自分が咎められているのではないとわかるとすぐに引き下がった。


「実際俺たちは、また黒泥が現れない限り動きようがないからな」


「ほんとうにまた来るかしら」


 セレスの皮肉が混ざった言い方はどこか自棄になっているようだ。


「あれだけ追い詰めたんだから、知性がある魔獣ならもう来ないわよ。魔獣だったらね」


 気持ち悪そうに顔を歪めたのは、相手がなにものなのか考えれば考えるほどわからなくなってくるからだ。


「……魔獣らしくない、よな」


 大前提、人を攫うという時点で魔獣の行動原理から外れるし、昨日セレスが黒泥と遭遇した時には、すでに子どもは倒れていたらしい。色々と引っかかる部分が多い。


「目的があるような動き方をする魔獣」


「……」


 カインの独り言にテルが険しい顔をした。

 黒泥の正体は魔人。そう言葉には出してしまえば、現実になってしまいそうな恐怖が方にのしかかる。

 そんな二人をセレスが小馬鹿にするように笑った。


「深刻な顔しすぎ。黒泥って言ったって毒性と粘性がある液状のなにかってことでしょ。水魔法の域をでないって言ってたじゃない。質の悪い人間が魔獣を装っているだけよ」


「そう、だね」


「それに、魔人なんて遭遇したら昨日の時点で殺されてるわよ」


「……」


「……まあ、そうだよな」


 セレスが明るく振舞って冗談を言うが、テルは黙り込み、カインは重々しい沈黙を避けるように相槌を打つ。

 想定外の反応にセレスは「え、私変な事言った?」と困惑している。

 よく考えれば、先の戦争の話をしていなかったことを思い出し、テルは同情するような乾いた笑いが出た。



「えー……、私めちゃめちゃ嫌なやつじゃない。なんでもっと早く言わないのよ」


「なんで俺が怒られてるの?」


 テルが先日起こった出来事を簡潔に説明すると、セレスがムッとして隣にいるカインの肩を小突き、謂れのない弁明を迫る。


「話すタイミングなんて普通ないだろ」


「それもそうね」


 セレスが息をつくと、そのままテルに視線を寄越した。


「それじゃあ、今色々教えてよ」


「何を?」


「あんたまだ隠し事してるでしょ」


 「はあ」と声に出したときには、ほんとうに心当たりがなかったが、あとになって異能のことを追及されているのだと思いついた。

 表情には出していないし、完璧に白を切ることができた。しかし、セレスは自信に漲った表情をする。


「あんたそれ、異能でしょ」


「いや、土魔法だけど」


 テルのとぼける顔に、セレスは穴が開くほど睨みつけるが「もういいわよ」と肩を竦めた。


「別に異能者だからって迫害をするつもりもないし。だったら異能だろうと魔法だろうとどっちでもいいわ」


 セレスは自分に言い聞かせるように唱えると、最後にしっかりと頷いた。

 

「そっか、ありがとう」


 テルは知らなくても、当然のように存在する常識に捕らわれず、自分の考えを突き通すセレスに感謝を口にする。身勝手で周りを振り回すことが多いセレスの、芯の部分を垣間見えた気がしていたテルだったが、セレスはむっと視線を険しくした。


「礼なんていったら、曖昧な落としどころを作った意味がなくなっちゃったじゃない」


 考えが浅い、と言わんばかりに指を突きつけて捲し立てると、周囲の視線を集めていることに気づき、話題が話題なので「まったく、しょうがないわね」とため息をつく。



「それにしても暇ね」


「見回りでも行く?」


「体力の無駄だろ」


「はーぁ、もっと遊びたかったな」


「そういえばニアもまた遊びたいって言ってたよ」


「え、ほんとに!?」


 ふと、今朝のことを思い出したテルがそういうと、セレスが身を乗り出す勢いで食いついた。




 取り調べのために普段よりも早起きをすると、珍しいことにニアはそれ以上に早く起きていた。


「あれ、ニアどうかしたの?」


 ニアはしばらく俯いたまま黙りこくっていたが、テルが家を出発する直前に椅子を立ち上がった。


「ねえ」


 まさか呼び止められるとは思っておらず、少し驚くテルに、ニアは深紅の瞳を震わせ、時間を置いてから再び口を開いた。


「またお祭り行きたい」


「は、な……え、ええぇ!?」


 テルが大きな声を出したせいで驚くニア。しかしそれ以上にテルが驚いていたのは言うまでもない。


「うん、いこう。あ、いやでも」


 咄嗟に頷いてから、果たして祭りが続行するかはかなり怪しく、テルが口ごもる。


「もしかしたら、祭りはもうやらないかもしれない。やってるようだったら一緒に行こう。迎えに来る」


 ニアはその言葉を聞くと、こくりと頷いて部屋に戻っていったのだった。




 いきさつを大雑把に説明すると、セレスは拳を強く握り、もはやテルの言葉など届いていない。


「うぅ……ありがとう、村長。お祭りを強行してくれて……!」


 見事なまでの掌返し。そしてはっとしたかと思うと真剣な眼差しで立ち上がった。


「なら早く黒泥をとっちめないと!」


「落ち着きがないし騒がしいなぁ」


「なにを悠長にしてるのよ。黒泥がのさばってるっていうのに、ニアが安心して外で遊べる訳がないでしょ」


 急にはきはきと騒ぎ出すセレスに、「それはそうだけど」と曖昧に言葉を返すテル。しかし、そんなこともお構いなしに引きずり出しそうな勢いだ。


「その気持ちはわかるけどさ、手掛かりはなにもないし、俺たちに出来るのはここで待っていることくらいだろ」


 今は村中に衛兵が配備されており、村の中を見回りをする場所さえない。そんなテルの言葉にセレスはもどかしそうに頭を掻いた。

 

「いや、まだある」


 そう口にしたのは、いままで黙って考え事をしていたカインだった。


「奴隷商のほうを探ればいいんだ」


「それができるなら初めからやってるわよ」


 人攫いの犯人がわからないなら、攫った後を探ればいい。真っ当に聞こえるカインの言い分だが、セレスが苛立ちを隠さずに悪態をつく。


「奴隷……」


 奴隷商。耳慣れないが意味はわかる言葉にテルは息を飲む。

 テルが復唱すると、カインがこちらに目を向けた。無知なテルに親切に解説をしてくれるカイン、と慣れてきた構図だ。意味がわからないわけではないが、止めることもしない。


「ソニレでは奴隷は法律で禁じられている。でも隣国はそうでもないせいで、こっちで人を攫い向こうで売るってことが、まあよくあるんだ」


 ぼろ布を纏い鎖につながれた人間をこの世界で一度も見たことがないが、あくまでそれは恵まれた環境の話なのは、どこだって同じなのだろう。


「当然、その手の犯罪は隠れるのが上手いの。だからカインの案は机上の空論よ」


 セレスの真っ当な意見を食らっても、カインは表情を崩さない。それを見たセレスも次に発せられる言葉を待つように腕を組んでいる。


「うまくいくかはわからないけど、一つ案があるんだ」

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