第2章12話 屈辱的な作戦①
コーレル地方とカルニ地方の中間に位置するビトン村は、先の戦争で大きな被害にあった。
カルニ地方に落とされた巨石とほぼ同時に、魔獣の大群が攻め込み大勢の人の命が失われた。
住人のほぼすべてが大きくも豊かでもない畑を耕し、生活のための資金を僅かながらに稼ぐような寒村。そんな村に訪れた晴天の霹靂は、人間が生存していたことが信じられないほどの爪跡を残されている。
魔獣は民家の扉を破壊し、徹底的な蹂躙を繰り返した結果、残ったのは人の家の残骸ばかり。
運よく生き残った人は、上手く隠れおおせたか、偶然その日、村を離れていたかのどちらかだ。
そして、酷く小さな歩幅で、二週間ぶりに村に帰ってきたその女も、セントカルニまで出かけていた故に生き延びた一人だった。
戦争に遭ってから始めて帰る故郷の景色は、まるで初めてくる荒野のようで、数歩歩くたびにここが十数年間育った地である、という事実を飲み込むために立ち止まらなくてはならなかった。
自分のほかに人の姿はほとんど見えない。瓦礫は手が付けられないのか、後回しにされているのか放置されて、このまま見捨てられるのだろうと嫌な想像ばかりが膨らむ。
我が家の前に辿り着くと、思わず全身から力が抜けるが、膝に力を込めて何とか崩れ落ちないように堪える。
畑と畑の間にぽつんと立つ石造りの建物は、天井と壁の半分が崩れ落ちていて、家という体を保てていない。
人の家に入るよりもずっと慎重な足取りで家に入る。
ただいまと声を出したつもりだったが、喉からかすれたような音がなっただけだった。
女は家に取り残された自分の私物や思い出の物を取りに返ってきたのだが、この場所に自分が求めているものなどどこにもないような気がして、心細さで押しつぶされそうになる。
視界の端で捉えたものを拾い上げる。
花と草のきめ細やかな絵柄のお皿。バラバラに割れてしまった破片が酷く懐かしく、カバンに淹れようとしたところで、口元を見知らない大きな手で覆われる。
「―――んっ! ぅんーー!」
咄嗟に悲鳴を上げるが、強い力で口を抑えられると思ったように声が出ない。
「大人しくしろ」
湿度のある低い男の声とともに、首元に銀色の物体を押し付けられる。始め感じた冷たい感触は、正しくは小さく鋭い痛みであることに気づき、それがナイフだと改めて実感する。
もっていたカバンがその場に落ちる。
男は外に女を連れていくと、そのまま馬車に乗せた。
「もういいぞ」
その叫び声で場所は走り出す。
「誰か、助け―――」
助けを呼ぶために声をあげようとすると、男が頬を殴った。
口の中と唇の端から出血し、鈍い痛みは女の反抗心を屈服させた。
「おい、なかなか上物だ。売っ払うまえに犯すか」
男は下卑た笑みを浮かべながら慣れた手つきで
「馬鹿、そんな時間ねえよ」
そんな男二人のやりとりがなぜか他人事に感じて、少し周りを見渡すと、自分よりも若い人が三人、顔に袋を被せられていた。
中には酷い暴力を受けたのか顔の袋に少し血が滲んでいる。
「大人しくしてろよ、騒いだら殺すからな」
感情が乗せられていない脅迫は、現実感を増し、体に力が入らなくなる。そこに男が顔に袋を被せ、自分がどこに向かっているのか、なにもわからなくなってしまった。
袋は正体のわからない悪臭がして、自分が屑籠のなかに放り込まれたような気分がした。
手荷物の類は全て奪われ、芋虫のように悶えることしかできない状態を何時間も過ごしていたので、一緒に乗り合わせていた子どもであろう声が悲鳴のような癇癪のような声を上げていた。しかし、その度、鈍い音と短いうめき声が聞こえて馬車はすぐに静かになった。
「女三人の子共二人。男二人の両方子ども……」
馬車の揺れに晒され続け、二時間ほど経ったころ、馬車が停止し、初めて聞く男の声が聞こえた。
甲高く、鼻が詰まったような通りの悪い声。おそらく奴隷商だろう。
「これが報酬」
奴隷商の男がそういうと、乱暴な扱いで荷物のように馬車から降ろされると、顔に被せられていたボロ袋が外された。
簡易的で、すこし大きな小屋。攫われた四人はその小屋の隅にまとめて置かれている。
ボロ袋を外したのは奴隷商で、声のイメージの通り背が小さく、口が大きく顔のバランスが悪い男だ。
「おい、この子ども一人余分だぞ」
奴隷商が機嫌の悪そうな声をあげて、人攫いを見る。人攫いは「へえ」と返事をするので奴隷商の眉間の皺が深くなった。
「いやぁ、子どもが二人で遊んでるもんでまとめて攫ったんすよ」
「そっとの事情なんて知らねえよ、余計なことしやがって」
チッと濁った音の舌打ちをして、細めた目を男の子二人に向ける。男の子二人は全身をがくがくと震わせて顔を真っ青にしている。
「せっかく攫ってきたんだから、報酬は貰えなきゃ困りますよ」
「だから余分だっつってんだろ。増えた餌代をてめえらが払うのか?」
奴隷商が凄むと「勘弁してくださいよ」とへらへらと引き下がった。
「じゃあどうするんすか、その子供」
「処分だ、殺すしかねえだろ」
周囲の温度が急に下がった気がした。
男の子二人は自分の命が危ういと知らされると、急に抑えつけられた口で叫ぶようにうめき声を上げた。
「うるせえよ」と太った男が殴るが、痛みより死ぬほうが恐ろしいのか悲鳴は収まらない。
「こっちのほうが身綺麗だし太ってるから長持ちする。こっちの痩せてる方を処分しろ」
奴隷商がいうと、「へい」と不承不承な返事をした。人を殺すことに躊躇いがあるのかと思ったが、決してそういうわけではなく服や手が汚れることを憂いているようだ。
「んーーっ! んぅ、んーー!」
涙を滝のように、両手足が縛られた体を必死に動かす少年に、男がナイフを抜くと、髪の毛を鷲掴みにし、持ち手の硬い部分で顔を殴る。
ふっ、と少年の瞳から希望の光が途絶え、その首筋にナイフの刃が当てられる。
他の攫われた人は、自分の命がいかに軽くなってしまったか思い知らされるように、少年の生命が流れ落ちる瞬間から目が離せない。
しかし、少年の動脈から血が溢れだすことはなかった。
回し蹴りが男の横顔を直撃し、少年を残して壁に音を立てて激突する。
顔の骨半分が砕かれたであろう男はナイフどころか、意識を手放している。
「てめえ、どうして縄を外してやがる」
奴隷商が上擦った声で指を差したのは、攫った長身の女だった。だが、明らかな異変にぎょっとしたように目を丸くした。
先ほどまで袋を被せていて気づかなかったが、明らかにのどぼとけが出ている。
「胸糞悪い役目だけど、引き受けてよかった」
若い男の声で言いながら頭に手を伸ばし、長髪のカツラを投げ捨てる女。地面に落ちたカツラはさらさらと黒い砂とともに消滅した。
「クソ野郎共、ただで済むと思うなよ」
なにもない場所から作り出された剣が、奴隷商に向けられた。
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