第2章9話 黒泥①

 黄昏時、本来なら人々は帰路につき、家に明かりが灯る時間だが、この日は数少ない例外だ。

 提灯とはまた違ったステンドグラスのような色とりどりの明かりが吊るされており、行き交う人の多さは昼間よりも増えているように思える。


「どうして皆は楽しんでいるのに私は仕事をしなくてはいけないんだろう」


 ニアを送り届けたテルがやっと二人の待つ場所につくと、駆け足ではしゃぐ子ども達をしつこく目で追うセレスがねちねちと不満を漏らしていた。

 さっきまで十分楽しんでただろうと思いつつ、賑やかさが一段と増し本番はこれからという雰囲気は仕事なんて投げ出してしまえ、という衝動を少しだけ煽っている。


 三人は黒泥と遭遇した場合に備えて、剣を携えているため周囲から少し浮いていた。


「あまり不安じゃないのかな」


 異国の祭囃子を耳にしたテルが、緊張感のなさに違和感を唱える。

 何人もの子どもが攫われているというのに、祭りの喧噪に身を投じる人達にその危機感が見られない。


「あんまり大事おおごとにされてないのよ。別に人攫いが日常茶飯事ってことじゃなくてね」


 呆れた物言いのセレスは、テルの疑問を事前に制した。


「呑気だな」


「呑気でいるためなんじゃない」


 カインの軽蔑が混ざった批判と、セレスの共感もできなくはないというような同情。

 

 いち早く危険を知らせて回るべきであるのは間違いない。しかし、死者を弔い日常を取り戻すという儀式的な側面をもつ凱旋祭を、つつがなく遂行したい気持ちも否定できない。きっと色々な人がその葛藤に板挟みになっているのだろう。


「じゃあ、各自持ち場の見回り。なにかあったら魔石で知らせること」


 カインがそういうと他二人は頷く。

 

 手にあるのは魔石を加工し筒状の入れ物にいれた魔道具だ。起動させると空に舞い上がり赤い光を放って爆発するという、照明弾のようなものだろう。


「何事もないといいけど」


 テルが言うとセレスが「なにをいってるの?」とこちらの正気を疑うような目で見てくる。


「今日黒泥を討伐できれば、明日はちゃんと遊べるのよ? 何か起きてくれないと困るわよ」


「恐ろしく自分勝手だな」


 そう言われると悪戯っぽく笑うので半分は冗談なのだろうが、半分くらいは本気で喋っていそうだ。


「仕事するのに積極的なのはいいことだよ、サボられるよりずっとましだ」


「私、なんだと思われるの?」


「遅刻魔の浪費家」


「的確な分析で腹が立つわね。もういいわよ、重複依頼の報酬山分けしてやらないんだから」


 カインは、馬鹿にされてむっとするセレスに背を向けると、ひらひらと手を振り「初めからそんなつもりなかっただろ」と言い残し持ち場に歩き出す。


 「ちぇー」とわざとらしく舌打ちをするセレスもまた別の方向に歩き出した。


「仕事か」


 一人になったテルは深呼吸をして、人通りの少ない道を進み始めた。



ーー・--・--・--




 異変が起こったのは見回りを始めて一時間ほど経った頃だった。

 

 テルが見回りをしていたのは街灯のような灯りなど当然なく、かと言って民家から漏れ出る明かりもない薄暗い道だ。


 心細さを誤魔化すように鼻歌を奏でていると、

 

 ぱん、と大きな音が鳴り響いた。


 夜空に赤い光が舞って、ゆっくりと時間をかけて落ちていく。合図だ。


 セレスの持ち場の方角で距離はそれほど離れていない。

 走り出したテルは、大通りを横切ろうとすると、多くの人が騒めいている。しかし、その表情に不安はなく、どちらかといえば突然の花火に驚きと喜びが湧きたつような興奮だ。

 

 誰もが立ち呆けて夜空を見上げている通りをすんなり抜けてしばらく走ると、剣を抜いたセレスが立っているのが見えた。


 そしてセレスが相対しているのは、絶え間なく黒い粘度のある液体を噴き出しながら、それ以上は微動だにしないが佇んでいる。


 黒泥だ。 


「セレス!」


 テルが声を上げると、こちらにちらりとだけ視線を向けたセレスが真剣な面持ちのまま、顎で黒泥を指す。少し戸惑ったが、すぐに意図を理解した。黒泥の傍らに子どもが倒れている。


 暗さと黒泥が影になっているせいで、どれほどの傷を負っているかはわからないが、悠長にはしてられないことだけがはっきりしている。


「速攻で終わらせるわよ」


「ああ」


 そう声に出して剣を抜くと、テルとセレスの敵意に反応したように、黒泥の魔力が膨れ上がり、黒い泥の一部を矢のように放出する。標的はセレスだ。


 セレスは地面に屈むように、黒い一閃を躱すと、屈んだ勢いを一気に解き放ち、抉れるほどの力で大地を蹴った。

 あっというまに距離を近づけ、攻撃が黒泥に届く距離まで迫ろうとしたとき、矢が急に軌道を変えて、セレスの背後を追尾する。


 セレスの俊足を上回る速度で迫る泥の矢。

 危ない、テルがそう声をだそうとしたそのとき、


「わかってるわ」


 セレスはその場で跳躍、空中で身を翻すと真上から泥の矢を切り落とした。

 芸術的とも言える身のこなしと剣技に、テルは思わず息を飲む。


 鋭利な形を保っていた矢は、ただの水分になって地面に落ちると、なにかが蒸発したような音と蒸気が上がり、地面に黒い跡が残った。


 矢を破壊し、音もなく地面に着地したセレスはそのまま黒泥の懐まで瞬時に潜り込み、横方向に斬撃を放つ。

 黒泥に大きな創傷が生まれ、裂けた上半身が真後ろに倒れ込む。


「あ、ダメだこれ」


 セレスが間の抜けた声を出したかと思うと、黒泥が捻じれうねるような挙動し、切った裂け目が、口のように大きく広がりセレスを飲み込もうとする。


「あっぶないっ!」


 間一髪セレスが飲み込まれる直前に、テルが体当たりをしてそのまま転がるように回避する。

 裂け目が勢いよく閉じられると、がきんっというような硬く思い音が響く。泥のような物質のどこからそんな音がするのか、全くの謎だ。


「痛ったあ……殺す気か! でもありがとう!」


 体を起こし、剣を構え直す二人、黒泥は苛立たしそうに身を震わせている。


「剣が溶けてる」


 セレスは構えた際にいつもより軽くなった気がして剣を見ると、刀身の部分が溶岩に晒したようにデロデロになっている。


「あの泥、触らないほうがよさそうね」


「いまさら過ぎるだろ」


 テルはそう口にしながら、自分の持っていた剣をセレスに渡した。


「なに、使っていいの?」


「俺は魔法で援護する。策があるんだ」

 

「女子を矢面に立たせるんだ」


「そう、だけど……」


 眉を顰めるセレスにテルは苦々しい顔をする。「適材適所だ」なんて台詞は死んでも言いたくない。

 そんなテルを見てセレスは「仕方ないなあ」と口角を上げた。


「上位騎士ってものを見せてあげましょう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る