第2章7話 意外な返事

 強引に首根っこを掴まれ、市中引き回しの刑を受けたテルは、そのままの体勢でニアが留守番をする家まで連れていかれた。


 道中、どれだけ「自分で歩く」や「家まで連れてくから」と説得をしてもセレスはテルの服の襟を決して離さなかった。実際テルが解放されれば、そんな口約束は反故にして一目散に逃げるつもりだったのでセレスの判断は正しいと言えただろう。


「ここまで離れていると不便そうだけど、素敵な家ね」


「そりゃどーも」


 心地よい風が吹き抜ける丘の中腹で、セレスがこぼした純粋な賞賛を、どうでもいいとばかりに受け流すテル。どんなに褒められようと犬の散歩より惨めな姿を衆目に晒されたあとでは、なにも嬉しくないのだ。


 家に到着して、しばらく家のポーチから見える丘の風景を楽しんだセレスは、テルを解放すると、躊躇なくドアの持ち手を掴んだ。


「お邪魔しまーす!」


 ドアが開かれると同時に、響き渡る声。

 リビングのソファに座るニアにとって晴天の霹靂だったのだろう、びくりと肩を震わせ振り返るニアの後姿が視界に入り、テルは胸を痛めた。

 

 怪獣のようにのしのしと踏み入るセレスはニアの姿を見ると「な……」と声を上げ、石になったように動きを止めた。


 なんだこいつ、と思いつつニアに近づき、軽く頭を下げる。


「急に人を連れてきてごめん、迷惑だったらすぐに追い出すから」


 ニアはソファから視線を向けて驚いたように目を丸くしているが、テルにそう言われると首を振った。

 テルの来客だと思われているのなら大変不服だが、ニアの器量が許すまでセレスに実力行使にでるのはお預けにする。


 ニアの了承を得ることができて、ほっとしながら、何をしでかすかわからないセレスに目をやると、ニアも同様に玄関で硬直する不審者に視線を戻した。


 「か、かわいいっ!」


 急に大声をだしたかと思えば、家の中で出すべきではない速度でニアに駆け寄り、その手を握った。


「わ、私セレスっていうの。よろしくね、えっと……」


「名前はニア。人見知りで人と喋るのが苦手なんだ」


「そっかニアちゃんっていうの、素敵な名前ね。あ、私のことは呼び捨てでいいわ、だから私もニアって呼んでいい? 響きがすごくかわいい」


 早口で捲し立てるセレスにニアは振り回されるように頷くが、褒められ慣れていないのかニアはセレスの猛アタックに少し耳が赤くなっている。

 呼び捨てを了承され、感極まったセレスは「きゃー」と歓喜の悲鳴を上げて、その勢いでニアに抱きつきそうなほど距離を縮める。

 

 セレスの狂乱と同じようにニアの困惑もピークに達しているのが明らかだったため、テルはセレスの肩を掴む。


「そろそろ落ち着けよ」


「なによ、女の子同士の楽しみに水を差さないでよ!」


「楽しんでるんがお前だけだから止めたんだよ」


 もはやテルも苛立ちを隠さないが、セレスには暖簾に腕押しのようだ。しかし、いい加減ニアが困っているのがわかったのか、一歩引いて咳払いをした。


「驚かせちゃってごめんなさいね」


 セレスがそういうと、ニアは少し間をおいて頷いた。そんなニアを満足そうな笑顔で見ていたが、はっとした顔をすると鬼の形相でテルを睨んだ。


 言いたいことはだいたい予想がつく。なんであんたなんかがこんな可愛い子と一緒に暮らしてるのよ、ってところだろう。


「事情があるって言っただろ。もう勘弁してくれ」


 辟易したようにテルが言う。事情を追及するようなら、本当に追い出さなくてはいけない。


「あんた変な事してないでしょうね」


「してないってば」


「こんな可愛いニアに変な気を起こさないとか、あんた頭おかしいの?」


「お前、まじでめんどくさいな……」


 しかし、予想外の方向からの不満にテルは呆れてそれ以上に言葉が出てこない。


 けろりと優しげな顔をしたセレスは、ニアに向き直ると「テルに変な事されてない?」とニアに訊く。

 してねえよ、と内心で唾を吐くが、よく考えたらニアに吐瀉物をかけそうになったことがあることを思い出し、少々冷たい汗が流れる。ニアが頭を傾けて首を振るのを確認すると「今日のところは勘弁してあげるか」と偉そうに言うのだった。



 ソファで隣り合って座るセレスとニア。セレスは抱きつくほどではないが、ニアと腕を組んで密着している。あれじゃあ暑苦しいだろうと思いきや、ニアに嫌がる素振りはなく、そのままにしていた。


 テルは勝手に、ニアは人が苦手なのだと思い込んでいたが、セレスや三人のチビッ子を相手にしていた様子をみるに、決してそうではないのだろう。


 セレスの一方的な質問攻めに、初めは戸惑っていたものの、気軽に頷いたり首を振ったりしているのを見ていると、人見知りというのもリベリオとテルの勘違いな気がしてくる。


「そうだ、ニア。もしよかったら一緒にお祭りにいかない?」


 セレスの要望でお茶を入れているテルは、そんな言葉を耳にした。


 こっそりと声の方を見ると、ニアは無表情で口元に手をやり、微妙に傾けた首の角度で難しいことを表明している。

 そんなニアの葛藤を察知したセレスは少し慌てて、


「無理にとは言わないんだけどね、私こっちに仲のいい人がいないからさ」


 と取り繕うように付け加えた。

 人の気持ち関係なく振り回すのは、どうでもいい相手だけなのかと冷たい視線を向けるが本題はそこではない。


「いいんじゃないかな」


 入れた紅茶をテーブルに置きながらテルが言うと、俯いていたニアはテルの声で顔をあげた。

 テルはニアの前に座ると、ソファはちょうどよく沈み込んだ。


「凱旋祭って、戦争で生き延びたことを祝うお祭りだけど、戦いで死んでしまった人を弔う意味合いもあるんだって」


 そんな説明をしておいて、目の前にいるセレスの受け売りであることに気づき恥ずかしくなるが、セレスは何も言わない。ニアも次の言葉を待つように、紅い瞳でテルに向け続ける。


「だから、あんまり気乗りしないかもしれないけど、少しでいいから行ってみない?」


 テルの言葉を受け、ニアは少し黙り込んだのち、小さく頷いた。


「ほんと? 嬉しい!」


 セレスが喜びの声を上げ、ついにニアに抱きつく。ニアの顔は引き攣ったような無表情であったが、テルも嬉しさがつい止めそびれた。

 しかし、テルの喜びも束の間、いくらニアを外に連れ出したいとは言え、あんな誘い方をすれば断るにも断れないだろうと、罪悪感のようなものが引っかかった。


 楽しんでくれればいい。そんな思いは独り言になるまでもなく、紅茶とともに飲み下した。




 どうしてニアは外出を拒む、というほどではないが消極的だったのか、ヒルティスの家に訪れた際に尋ねたが、結局のところ彼女もその理由は知らなかった。

 ニアが外出するのを見たのは、ヒルティスの家に行くときの一度だけであったが、テルが居候になる前は、二月に一回くらいの頻度でヒルティスの家を訪れていたらしい。

 しかし、暑い日でも顔を全て覆うようなローブを被っていたと聞き、日差しに弱いのとも思ったが、ニアが窓際に椅子を移して船を漕いでいる姿を見たことがあった。


 ならば、顔をみられたくないのかもしれない。だとしたらなぜなのか。


 憶測に憶測を重ね塗りするような思考は無駄だと悟って、テルはかぶりを振る。


「そうと決まれば、早く出発しましょう、時間は有限よ!」


 セレスが一人で勝手にえいえいおーと拳を突きあげているのをニアが見ている。


「ニアは支度とかしなくていいの?」


 テルがそういうと、セレスははっとして、「ごめんはしゃぎすぎた。いくらでも待ってるからしっかり準備しておいで」と言う。


 ニアは頷くと、小走りで階段を上っていった。


「意外だ、嫌がると思ってた」


 テルがそういうと「ふぅん」といい加減に、しかしこちらを窺うように喉を鳴らした。


「そういえば、二人で行きたかったのに悪いことしちゃったわねぇ」


「いや、外に出てくれるならそれでよかったんだ。多分俺だけじゃダメだったと思う、ありがとう」


 セレスは悪いといいつつ明らかに挑発的で悪戯っぽい笑みをしていた。しかし、予想外に感謝されたせいか、ばつが悪そうに黙った。



―――ニアも自分の足で立ち上がる頃合いだ。



 ヒルティスの言葉を脳内で反芻する。「自分の足で立ち上がる」の意味はテルにはわからないが、ニアも同じことを考えているのかもしれない。


 ニアがなにかやりたいことを見つけたらテルはそれを応援したいし出来る限り支えたいと思っている。それがリベリオの遺言であり、いまのテルの本心だ。

 それだけにニアが受動的とはいえ、外に出るという決断をしてくれたことが嬉しかった。 

 

 しかし、


「やっぱりあんな言い方じゃ、断れないよなあ……」


「なに一人で喋ってるのよ。ちょっと怖いわよ」


 テルの独り言に、セレスが苦言を呈する。


「別にセレスも独り言多いじゃん」


「あ、きた」


 階段を駆け降りてくる音で話題が打ち切られた。

 ニアは以前も着ていたぶかぶかのローブを被っている。


「思ったより早かったわね」


 セレスが言うと、ニアは頷くが顔がほとんど隠れているせいで少しわかりにくい。


「それじゃあ行きましょ」


 セレスは軽い足取りで外に出る。

 ニアはドアの前で一度立ち止まり、深呼吸をするように肩を小さく上下させると、一歩外に踏み出した。

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