第1章29話 くすんだあか

 突然の訪問者に、テルは最大限の警戒とともにドアを開くと、そこに立っていたのは小さな女の子だった。


 テルは一気にドアを開けると、やはりそれは見間違いではなく赤いワンピースを着た少女だった。丘の周辺で子供がよく遊んでいるところをよく目にしていたテルは、その少女に見覚えがあった。

 始めは驚いて気づけなかったが、小さな声で震えに揺られながらなにかを言っている。


「大丈夫、何があった!?」


 テルに言われた少女は勢いよくかぶりを振って、丘の向こうの森を指さした。


「皆が大きな魔獣に連れていかれちゃった……」 


 そういうと、少女は溜まったものが決壊したように大声を上げて泣き始めた。

  


 

 テルは漠然と、少女が指さした方角に向けて走っていた。


 泣きじゃくる少女はニアに預け、地下室に隠れているように伝えると、ニアは真剣な眼差しで頷いた。


 この森に魔獣はほとんど出ない。それは昔リベリオに言われたことであり、魔獣狩りになった自分の経験則でもあった。


 自分たちの平穏を脅かされ、知っている人たちが巻き込まれているというのに、リベリオの戦争に関わってはいけないという言いつけに従っていられるはずもない。


 森に入って、数分ほど走り回ったが、魔獣も人もいる気配がない。幸い、まだ空は明るく、個々の森は木と木が密集していないため、想像以上に明るい。テルが起動したファイアフライがなくとも、すこし先が見通せる。


 それでも、走りっぱなしだと流石に息が上がり、足を動かすペースを落とし、ため息をつく。


 大きな魔獣に皆が連れていかれた。そう言われた瞬間飛び出したのは流石に考えなしであったことを反省する。

 皆が誰なのか、何人なのか、大きな魔獣に特徴はあったか、それを聞いていればいくらか探す材料にもなったのに。


 ふと、少女の泣き顔が浮かんで胸が痛くなる。一人で暗い道をリベリオの家まで歩いてきたのだ。あんな幼い少女がどうしてあんな辛い思いをしなくてはならないのか、そこまで考えた時にふと違和感が湧いた。



 しかし、そんなテルの思考は、体を凍らせるような寒気で一瞬で拭い取られた。


 ケタケタと笑い声がする。テルは足を止めると同時に、囲まれていることに気がついた。


 まるで気配を感じなかった。その事実に心臓の鼓動が早まる。


 狼と豹を混ぜ合わせたような魔獣が四体。


 テルはすぐに剣を創り出し構えると、四体の魔獣が同時にテルに飛び掛かる。

 四方から同時に迫る魔獣。完全に囲まれないために後方の魔獣に突進し切りつける。テルの急な動きに対応出来ず、後方の魔獣は、目を血走らせながら断末魔を上げた。


「せいぜい中位ってところか」


 一体一体に脅威はさほど感じないが、連携をとられると厄介だ。



 テルは切り開いた後方に飛び退いて、他の三体と距離をとるが、うち一匹は凄い勢いでテルに突っ込んでくる。テルの持つ剣に魔獣が齧りつくと、既にテルの背後に回り込んだ別の魔獣がテルの肉を食いちぎろうと鋭い牙を見せつけている。


 テルは剣の柄を手放した。齧りついている魔獣は想定外の動きで勢いのまま地面に落下し、テルは空になった右手にナイフそして左手に剣をすぐに生成、ナイフを背後の魔獣に放つ。ナイフは一直線に魔獣に向かうが、魔獣は体を翻し致命傷を避けた。ナイフは脇腹に刺さるがまだ浅い。

 ナイフが刺さった魔獣が怯んだとき、テルはすぐさまは動きの鈍った魔獣に接近し切り捨てた。



 魔獣はあと二匹。位置は離れており、コンビネーションを発揮できるほどの位置取りはしていない。先ほどテルの剣を加えていた魔獣に作ったナイフを投げつけるが、すでに見た攻撃はあっさりと躱されてしまう。


 テルは幾度もナイフを投げ続けると、命中することもないが攻めるチャンスを見いだせないでいる。やがて大きい方の魔獣が小さい魔獣の首根っこを咥えると、盾にするように前に押し出した。

 盾にされた魔獣は頭部や腹部にナイフを食らい、絶命したが、最後の一体になった魔獣は、盾を踏み台にしてテルに迫った。


 ついに牙がテルに届く距離に入り、剥き出しになった牙にテルは左手を魔獣に突き出す。魔獣は容赦なくその左腕に噛みついた。

 テルは顔をしかめるが、腕から出血はない。その代わりに魔獣の悲鳴のようなうめき声が上がった。


 テルの腕には鋼鉄の腕当てがあった。


 このままだと無傷では済まない。残りの魔獣が二体になったときテルはそう判断し、魔獣に悟られないよう服の下に生成していたのだ。


 魔獣が食らいついた腕から離れてしまわないうちに、テルは胴体に剣を突き立てると、魔獣はそのまま消滅し魔石だけが残った。



 周囲には四つの魔石。しかし、テルはそれをとろうとはしなかった。


 テルが感じた凍り付くような殺気。それが今の魔獣から放たれたものではないと確信していたからだ。


「チッ」


 こちらに悪意と害意を伝えるためとしか思えない大きな舌打ち。音のほうを振り向くとそこには大きな影があった。咄嗟に飛び退くと、直後、テルが立っていた場所が大きな音と共に破壊がもたらされた。


「なんだよ、今ので死ねよ」


 甲高い声で呪詛がまき散らされる。目の前に現れたのは巨大な猿のような魔獣だ。

 流暢に発せられた言葉は魔獣ではないのがすぐにわかった。それどころか、テルはその猿の魔獣は眼中になかった。


 少女だ。

 魔獣の肩のあたり片膝を立てて少女が座っている。テルはその少女から目が離せない。目を離せば、その刹那、テルはきっとあの少女に殺されてしまう。その直感がテルを釘付けにした。


 おさげにした髪はくすんだ赤色をしており、手入れは全くしていないのかくせ毛が酷い。そんな長い髪から覗く暗い黄土色の瞳は、嫌悪感や害意を雄弁に物語っている。


「お前、誰だ」


「臭い人間が喋ってんじゃないぞ!」


 テルが口を開くと、少女が間の抜けた語尾にそぐわず異常なほどに激高する。その怒りに同調したように大猿の魔獣がバランスの取れているとは思えないほどに長い腕を振り回した。

 耳を塞ぎたくなる爆音、そして土煙と植物の破片に顔を顰める。

 遠心力をこれでもかと利用した大猿の拳は周囲の木々をいともたやすく折ってしまう。


 ほんの数秒で森だった場所が、更地になっていく。

 テルがそんな暴力と破壊された木や土砂の下敷きにならずにすんだのは、単に運がよかったからだ。



「あ、しまった」



 少女の声で大猿の動きがピタリと止まった。少女はぽかんとした顔をしたあとに「あー、やっちゃったぁ」と手で顔を覆った。


「名前を聞かれたらちゃんと名乗らないといけないんだった。このままじゃまた品がないって怒られるぞ。あーもう、仕方ない。本当に不愉快だけどしかたない。人間もまだ生きているから仕方ないぞ」


 ぶつぶつと呟いてため息をつくと、急に顔を上げてテルに向けた。


「アタシは魔人。『獣の魔人』ティヴァだぞ。お前を殺しに来たから死ね」


 魔人を名乗る少女は、殺意で血走った目をして、挨拶とともに殺害を宣言した。

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