第1章30話 不運
暴力による木と土の破壊音が絶え間なく続く。
魔人を名乗る少女ティヴァの自己紹介のあとから、命を掛けた鬼ごっこが始まった。
大猿の魔獣はいつの間にか腕二本新しく生やしたことで、攻撃の勢いは増し、テルは回避に専念することしかできないでいた。
テルはほんのわずかな隙に、剣を生成し、そのまま投げつけたが、そのほとんどが舞い散る土砂に阻まれる。稀に大猿まで届いても、
「全然効いてないじゃん」
テルは嘆くが、その声は誰にも届かない。
大猿が大地に拳打を叩きこむと、波が起こったように隆起し全てを飲み込みながら土が巻き上がる。
轟音を立てる土石流を遮蔽物に転がり込んで、間一髪凌ぐ。魔獣は別方向を向いているが、いつ衝撃がこちらまで波及かはわからない。
―――遭遇したら死ぬ気で逃げろ。
リベリオの言葉が耳元によみがえった。リベリオにあれほど言わしめた魔人が今目の前にいる。
なぜよりによって魔人と遭遇してしまうのか。そんなふうに自分の運命を呪ってもよかったが、テルにはそれ以上に違和感があった。
―――お前を殺しにきたから死ね。
テルは殺されなくてはいけない覚えはないが、魔人ティヴァは間違いなくそう口にしていた。
「おい、攫った人をどこにやった!」
テルは違和感の正体を掴むため、わざわざティヴァの前に飛び出しすと怒鳴るように問いかけた。
「ああ?」
ティヴァは不機嫌そうに顔を歪めたが。何か面白いことを思いついたかのように口端を上げた。
「これのことかぁ?」
鷹揚な動作でなにかをテルに投げるようにした。すると、かすかに見えた小さな粒が急激に膨れ上がり、やがて人の、小さな女の子の姿に変貌した。
テルは想定外の出来事に体が固まってしまい、女の子はそのまま地面に落下した。
紛れもなく先ほどの女の子だった。当然、さっきリベリオの家まで助けを求めてやってきた少女がこの場にいるはずがない。
今、攫われた人が正体不明の異能で捕らわれていたのかと思ったが、様子がおかしい。
横たわった少女は、びくりと大きく体を震わすと、上半身を起こしてテルに顔を向けた。
「み、皆が……おっき、ききいぃぃい……まっじゅうううにいぃぃぃいいい」
顔はたしかに同じだったかもしれない。しかし、虚ろな目と口を動かさずに不気味な声を洩らし続ける様子をテルは見覚えがあった。それは、魔獣を人に似せたなにかだ。
考えてみれば、テルの家に来た少女もどこか様子がおかしかった。泣きじゃくりながら長い道のりを歩いてきた少女は身綺麗過ぎたのだ。
「いいぃぃぃぃぃぃいいいいいいいいい」
少女に擬態した魔獣が奇声をあげると、顔が真っ二つに裂け、中から鋭い牙が現れた。魔獣は四つん這いになってテルに駆け寄る。
テルは嫌悪感で肌が粟立ち、そのまま魔獣を切り伏せた。
「うわあ、人殺しだぞ」
魔獣が灰になっていく様を見届けると、ティヴァは嘲るように呟く。
「ヒトモドキは醜くて弱くて嫌いぞ。だけど、使い勝手がいいんだよなあ」
穏やかなようすで一人ごちるティヴァの視線は魔獣だった灰に向けられている。その様はまるで自分のコレクションを鑑賞するような恍惚とした感じがある。
そんな魔人の粘っこさと激しさの入り混じったような視線を向けられて、テルは確信した。
理由はわからないが、この魔人の標的はテルだ。
獣の魔人と名乗っただけあって、魔獣を自由に生み出せるのだろう。その異能でヒトモドキ生み出し、テル一人を森までおびき出したのだ。
「なんで俺を殺そうとするんだよ」
ぼんやりとうわごとを言うティヴァは、テルに声をかけられたことに気づくと急に顔を顰めた。さっきから表情がころころと変わってせわしない。
「はあ? お姉さまに頼まれたからに決まってるだろうが」
「お姉さま……?」
姉がいる。予期しない言葉にまたテルは唾を飲んだ。
「お姉さまはやっとソニレを崩壊させる算段がついたって言って、最近はずっと笑顔で素敵なんだぞ」
ティヴァは恍惚とした表情を浮かべ、お姉さまのことを話すが、その内容は不穏そのものだ。
「ロンドは死んで、シスは留守。残ったのは気違いカミュと腰抜けリベリオだけ! あははははは! 魔獣たちがこの国の人間を殺しつくす様が目に浮かぶぞ!」
発言のないようが徐々に苛烈さを帯びていき、ティヴァは一人で半狂乱に陥っている。
「俺を殺す理由がまだ説明してもらってないんだけど」
「チッ。うるせえな。てめえを殺す。リベリオもカミュも殺す。それでアタシたちの脅威はなくなる。お前頭が弱すぎるぞ」
「随分お喋り好きなんだな」
「ふんっ、玩具や動物とのお喋りは、女の子の嗜みだぞ?」
敵に内情を話しすぎだとテルは皮肉るが、ティヴァから帰ってきたのは、テルなど物ともしないという自慢げな凶悪な笑みだった。
「やれ」
小さくティヴァが言い放つと同時に、テルはティヴァに剣を投げた。大猿はその剣を弾き飛ばすと、また長い腕をテルに向かって振り下ろす。
ティヴァの話を真に受けるなら、ソニレとリベリオの身に危機が迫っている。悠々自適に大猿の肩で傍観に徹するティヴァには、その言葉を真実だと思わせる迫力があった。
とにかくこの場から生きて逃げなくてはならない。しかし、うまく逃げおおせても、ティヴァがテルを狙い続ける限り、周囲の人にも危害が及びうる。
テルは覚悟を決めたように、小さく息を吐いた。
今ここで、ティヴァを倒す。
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