第1章28話 昨日ぶりの帰還

 朝から馬車に揺られ、日が暮れ始めたころにようやくセントコーレルにたどり着いた。


 馬車は想像よりも混みあっていて、嘔吐覚悟で乗り込んだものの、最初の馬車よりもずっと揺れが大人しく、馬車が魔獣に襲われる可能性があるというのに多くの人が、船を漕いでいた。


 テルが来た時よりもカルニへ向かう馬車が多く感じられた。人員の動員だろか、すれ違いざまに窓から覗くと武器を持つ人が少なくなかった。



 テルはリベリオやニアやカインのことを考えていた。正直それほど心配という訳ではなかった。

 カインがついているのはもちろん、リベリオがいる。


 テルは特位騎士のことはよくわからないし、リベリオが戦っている場面に居合わせたことはなかったが、カイン曰く、カインの知る誰よりも強いのだという。


 カインの言い分にただ便乗するのも癪だったが、それが盲信の類ではないのはわかる。


 馬車を降りると、人は多いのに活気がなかった。誰もが灰色の顔をしてほんの数歩先だけを見て歩いている。

 天井が落ちてくるような窒息間際の空気が満ちていた。


 テルは近くの御者を見つけ、話しかけた。


「シャダ村にいける馬車は出ますか」


「なんだってシャダ村に行くんだ。あそこはもう避難勧告がでて、村民は誰もいないぞ」


 不審者を見るような御者の老人の言葉にテルは嫌な汗が出る。


「やっぱりシャダ村に魔獣が出たんですか」


「さあね、朝の時点で人が死んだ話はきいてないよ。気になるなら教会にでも行ってくればいい。どうせ避難民はあそこに身を寄せるんだ」


 テルは言われた通り、避難先になっている教会を回ってみたが、リベリオもニアもカインもヒルティスでさえ見かけることはなかった。


「避難指示が出ても、全員が従うわけじゃない。家や故郷から離れたがらない人は少なからずいる」


 そうテルに教えてくれたのは、顔見知りの村人の男だ。彼は近所に残っている老人を心配していたようだった。小さな息子は震えながら母親に寄り添っている。

 テルは見知った顔の無事を知れて少しだけ落ち着いたが、同時にいつもの溌剌さがないことが喉につかえたようだった。


 故郷や家から離れたがらない人がいる。

 カインはリベリオはもう、戦争に向かっているかもしれない。しかし、ニアはこんなときだからこそ家から出ないと確信を持ったテルは礼を言って教会を後にし、乗せてくれそうな馬車を探した。

 



 シャダ村に着いたのはもう日が暮れていた時間だった。

 テルが馬車から飛び降りると背後から声が掛かる。


「一時間で戻ってこなかったら、俺は一人で戻るからな」


 不愛想な御者は、相場の約十倍の報酬の代わりにテルをシャダ村に連れてきてくれた。


「あとだしかよ」


 事前の交渉でそんな話は一度もしていなかったのに、後から好き勝手なことを言われ、テルは聞こえないように悪態をつく。



 テルは走って、リベリオの家に向かう。道中、どの家も明かりがついておらず、誰一人としていないようだ。


 建物が荒らされているようなことはなく、クォーツが言っていた村はここの事ではないのかもしれないと思い始めていた。

 雑木林を抜け、開けた丘が見えた。丘の中腹に位置するリベリオの家も明かりがついていない。


 テルはドアに駆け寄って鍵を開けた。


「ただいま、誰かいないか?」


 テルの声が壁に吸い込まれるように消えていく。もちろん誰からも返事はない。


 家の中もひっそりとしていて、しばらく誰もいなかったことが伺える。やはり荒らされた形跡などもない。もぬけの殻というのがよく似合う静けさだ。

 テルはそのあと、家の中を探し回ったが、リベリオの部屋にもニアの部屋にも、人がいる気配はなかった。


 そうなると、次はヒルティスの家だろうか。ここに来る前に確認するべきだったと、自分の浅慮を悔んでいると、肩をとんとんと叩かれる。


「ひいっ!」


 飛び跳ねるように振り返ると、そこには純白の少女が立っていた。ニアは首をすこし傾けて困ったようにしている。


「なんだニアか。びっくりした」


 安堵の息を洩らすテル。ニアの綺麗な形の眉は依然、困惑を表している。しばらく帰らないはずの旅に出たのに次の日には帰ってきているのだからそれも当然だろう。


「ただいま、戦争が始まったって聞いて急いで帰ってきた」


 ニアはすこし考えるように首を傾げると小さく頷いた。家と同じようにニアに変わった様子はない。


「一体どこにいたんだ? 家中探してもどこにもいなかったのに……」


 テルがそういうと、ニアは視線を後ろに向けた。テルもニアが見たほうをみると、床の一部がめくれて、地下に続く階段があった。

 

 こういう有事の際につくった隠し部屋。ニアはそこにずっと隠れていたが、テルの声が聞こえて、そこから出てきたのだ


「あそこにリベリオとかカインもいる?」


 テルの問いにニアは首を振った。


「リベリオはやっぱり仕事か。カインの居場所とかわかる?」


 続けてニアは首を横に振った。


 「そっか」と言ってテルは考えるように腕を組む。

 ニアがカインの居場所を知らないとなると、カインはリベリオと一緒か否かはさておき、魔獣との戦いに赴いているのか、あるいはヒルティスと一緒にいるのだろう。


 ひとまず、今はニアをここから連れ出すのが優先すべきだろう、御者の男が言うとおり、いつ魔獣が現れてもおかしくないのだ。


「ニア、今から馬車に乗って、市街地まで―――」



 テルの声を中断させたのは、ノックの音だった。テルとニアが同時に、玄関のドアに視線を向けた。


 恐ろしい予感がした。


 訪問者に見せかけた人狼の強襲が昨日のことのように思い出せた。テルは固唾を飲み込む。隣でもニアの表情が強張っているような緊張感が伝わってくる。


 二人が固まっていると、またノックの音が聞こえた。


 ついさきほどまで話をしていたせいで居留守は通じないが、鍵は締まっている。テルは音を殺してドアに近づく。


 『オリジン』の剣を握り、もう片方の手で把手を掴む。ニアに目配せをしたあとで、テルはそのドアを慎重に開いた。

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