第1章14話 折り合い

「くそっ、やってくれたな……!」


 テルが発生させた赤い煙を浴びたカインは、苦しそうに声を絞り出す。


 カインの眼と鼻と喉は激しい痛みに苛まれると同時に分泌できる体液が大量に湧き出る。

 テルがカインに放ったのは、人狼戦でも用いた目つぶしだ。しかも、本当の『オリジン』の能力を用いた、唐辛子増し増しの目潰し粉の改良版だった。


 カインはなんとか赤い煙を振り払い、涙で溢れる目で辛うじてテルを捉える。するとテルはもう目の前に迫っており、その手には奪ったはずの木刀が握られている。


「どうして、木刀が!?」


「おらぁっ!」


 目潰しで完全に体勢が崩れたカインに、テルは一切の容赦を加えず、袈裟切りにする。鈍い打撲音と、カインのうめくような声が漏れた。


「今のはお前を黙らせるためのもの」


 ふらつくカインに、テルは戦意を緩めず剣を握りしめる。


「そしてこれは、腹いせだあっ!」


 そう言ってさならなる一撃をカインに放つ。しかし、剣は何に命中することもなく空を切り、代わりにテルの視界いっぱいに空が映り、浮遊感に包まれた。


「えっ?……ぐはっ」


 言葉を発する間もなく、テルは地面に背中から落ち醜い悲鳴を上げた。

 何が起きたのはまるでわらない。カインはテルを切るどころか動いてすらいないのに、テルは宙に投げ出された。


「目潰しで勝ってうれしいかよ」


 鼻水と涙を垂らしながら、カインが言った。


 地面に大の字になって倒れるテルは「ざ……まぁ」とテルが絞り出すように洩らした。


「くそ、勝手にしろ」


 テルのほうが圧倒的に傷だらけだが、カインの鼻を明かして、勝利を掴み取ったのだ。




--・--・--・--




「酷い目にあった」


 まだ赤みが引かない目をしたカインがぼそりと呟く。


「お前が意地悪しなきゃこうはならずにすんだんだよ」


「はいはい、悪かったってば」


 水浴び場でテルが悪態をつくとカインは面倒そうにあしらった。

 丘での長丁場の喧嘩が収まった二人は、村まで足を伸ばし、テルは血と土を、カインは顔に付着した唐辛子成分を水で洗い流していた。


 水浴び場は村の共同浴場のようなものだが、銭湯や温泉ほどゆったりはしておらず、冷たくも温かくもない水が噴水から延々と流れているだけの簡単な作りだ。


「……いてっ」


 傷口に水が沁みて、テルが顔を顰める。カインの手加減が上手いのかテルに大きな怪我はなく、その代わりに全身が痣と切り傷だらけになっていた。

 丘から村までそこそこの距離があり、徒歩での移動も悲鳴を押し殺しながらだった。


「なあ、神聖魔法を受けれる場所ってないの」


 テルは人狼に襲われたあと、ニアの神聖魔法で助けられたことを思い出し、カインに尋ねる。診療所や病院のような場所があれば丁度いいのだが。


「その程度で……、いやなんでもない」


「そこで引っ込めても、もう手遅れだろ」


 カインのわざとらしい物言いに、テルは眉をヒクつかせている。


「仕方ないな、少し歩いたところにあるから案内するよ」


 カインは親指で水浴び場の壁の向こうを指して、そう言った。



「そういえば、テルのあれは魔法なのか?」


 水浴び場からでたときにカインは呟くような声でテルに聞いた。

 テルは僅かに肩がびくりと飛び跳ねたが、動揺を悟られないように努める。


「べ、別に使っちゃダメなんてルールなかっただろ」


「そうじゃなくて、あれ異能だろ」


 じっと視線を向けるカインと決して目を合わせないようにするテルは、横並びになって人気のない道を歩く。


「いや、土魔法だよ」


 リベリオに言われたとおりの言い訳をするが、カインの怪訝そうな顔はまだテルを逃さない。

 テルはリベリオの言いつけ通り、極力この異能のことを誰にも話さないようにしており、それはカインも例外ではない。


「鉄はまだ理解できる。でもどうやったら土魔法で唐辛子や木刀を作れるんだ?」


「そ、そういう鉱石があるんだよ」


 無茶な言い訳にテルの口角が変な形に歪むと、カインがため息をつく。


「その話、もうリベリオに聞いてるから。普通に話を聞きたいだけなんだって」


「それならそうと先に言え……よ」


 テルが苛立たし気にそう言ってやっとカインと目を合わせた。そして目に入ったのはカインのほくそ笑むような、テルの苛立ちを煽る表情だ。


「カマかけやがったな、お前」


「はーん、異能者か。記憶喪失に異能って胡散臭いにもほどがあるだろ」


「わかってるよ、そんなこと」


 そういってテルはカインから顔を背けた。

 そしてテルは少し怯えるようにカインを横目で見る。


「異能者ってそんなに嫌われてるの?」


「嫌うっていうより不気味がられるっていうほうが近いけど、まあそうだね」


「なんで?」


 平気な顔をしているカインに、テルは真っ直ぐ疑問をぶつけた。

 テルは人前で異能を使い、石を投げられた経験などないが、嫌われる程度と理由くらいは知っておきたかった。


「リベリオは教典がダメって言ってるからとは聞いたけど」


「それもあるだろうけど、異能は魔人が使うものっていう印象が強いからね」


「そうなの!?」


「いや、なんで聞いてないの?」


 初耳の事実に驚くテルに呆れたような顔をするカイン。テル自身、己が無知に言い訳をする気はないが、今回のような重要な知識の抜け落ちは完全にリベリオの監督不行き届きである気がしてならない。


「カインは俺の異能が怖くないの?」


 異能者だとわかっても態度に変化がなかったカインに尋ねる。すると、カインは短く鼻を鳴らした。


「いやいや、弱いテルにどうして怖がらないといけないんだよ」


「こいつ……」


 不安がるテルの気持ちなどお構いなしに舐め腐った物言いで、テルの額に青筋が浮かぶ。


「ていうか、その異能なにができるんだ?」


「教えてやんない」


「なんだよ意地が悪いな」


 カインが口を尖らせると、「さ、ここだ」と簡単な石造りの建物を指さした。




「すごいな、すっかり傷が治った」


 診療所をあとにするテルは、痛みがなくなった体のあちこちを動かす。


 ここに来るまで痛む腕をさすりながら絶対折れてるとカインに非難していたが、体が全快すると、


「すぐに治ったのは軽度の傷しか無かったからですので、大きい怪我をしないようにしてくださいね」


 と医者に言われ、大げさな勘違いをしたテルは恥ずかしい思いをした。


 テルが空を見上げると夕暮れには早いがしっかりと日は傾いていた。ここから、家に帰れば、きっと夜になっているだろう。


「約束通り、明日は狩場に行こう」


 分かれ道でテルに背を向けたカインは、何ともないように言った。


 喧嘩を始める前にルールなんて作っていないので、カインが頑なに負けを認めなければ、テルの現状はそのままだった可能性もあった。しかし、そのような横暴はカインのプライドが許さなかったのだろう。


 テルが頷いたのを見ると、カインは「じゃ、また」とリベリオの家とは反対方向に歩き出した。



 一人になったテルは、急に込み上げた疲労感でため息をついた。


 カインに対して思うところは多い。何の理由でテルの邪魔をしていたのかわからないのに、一度勝負が着いたら、もうどちらでも構わないというような態度だ。


 テル自身、カインにはかなり憎たらしい気持ちがあるが、完全に悪い奴かと言われると、面倒見もよくそうでもないと思ってしまう自分がいる。


「よくわからないなら、よくわからないでいいか」


 嫌いな人間相手に、仲がいい振りをして過ごすことができるほどの度量があるか自分では判断しかねるので、その時の自分の気分に委ねるしかない。


「とにかく、明日は初めての魔獣狩りだ」


 そうひとりごちると、テルの足取りが少し軽くなった。少しでも前に進んでいる自分がいるとわかり、燻っていた焦燥をその時は忘れることができた。

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