第1章13話 兄弟子

 家に帰るころにはすでに日が沈んでおり、リベリオとテルが丘を上がっていくと、家の前に逆光に照らされた人影があった。

 ニアとは違う男性のシルエットで、誰だろうかと思っていると、リベリオが声を上げた。


「悪い、思ったより時間がかかった」


「夕方に待ち合わせだったはずですよね? 師匠はいい加減さには慣れてるので気にしま

せんけど」


 二人を向かい入れたのは、テルと同じか少し上くらいの歳の少年だ。金髪を柔らかく撫でたような髪型と目を引く碧眼は、明かりの少ない夜でも際立っている。


 たっぷりの皮肉と、あえて好まない敬語で出迎えられたリベリオは「まあまあ」となだめるようにし、少年は「まったく」とため息をついた。


「こいつは俺の一番弟子のカイン」


 振り返ったリベリオが簡潔に紹介し、テルはつい「え」と声を上げた。

 いい加減なリベリオが誰かの師匠になれるとは。そこまで考えて自分の立場がまさしくそれでしであることを思い出した。


「テルです、よろしく」


 驚きを抑えつつ、馴染んできた名前で自己紹介をする。


「新しく取った弟子だ」


 リベリオの補足にカインは目を見張った。そして、真顔で手を見て、次にテルの目を見てから、爽やかな笑顔で手を握り返した。


「カイン・スタイナー。君の歳は?」


 訊かれたテルは「十七」とあらかじめ決めていた年齢を答える。


「俺のほうが一個上だけど、呼び捨てでいいし敬語もいらないよ」


「わかった。よろしく、カイン」


「この後の話は飯を食べながらにしよう」


 リベリオはそういって先に家に入っていく。テルとカインは互いに顔を見合わせてからリベリオについて行った。




「血まみれで記憶喪失で居候って……壮絶だね」


 カインは憐憫と驚愕の表情でテルを見つめる。


 四人での夕食の最中、初対面のテルとカインは身の上話をしていた。このときリビングのテーブルは初めて四つの席が満席になり、賑わいを見せていた。無表情のニアも顔を上げ会話に意識を向けている。


「記憶喪失なんてもんじゃない。文字も常識も全部抜け落ちてる。成長してきた体で生まれてきたってレベルでまったくの無知だ」


 多くの面倒をかけられたリベリオの言葉は厳しく、テルは申し訳なさが湧きあがった。


「それで、今日はどうして呼ばれたの?」


 カインは先ほどの皮肉ではなく、平常のタメ口でリベリオに問う。自然とテルもニアもリベリオのほうに目を向ける。


「一か月も経ってから、自己紹介だけって訳じゃないんだろう?」


「ああ」


 リベリオは頷くと、テルとカインを順番に見た。


「カインにはテルの面倒を見てやってほしいんだ」


「赤子の相手をするような言い方はやめてくれ」


 テルへの揶揄いに対する非難をすると、リベリオが声を上げて笑う。


「その赤子が魔獣狩りになりたいって言ってるんだ。兄弟子として世話をしてやってくれ」


 勢いづいたリベリオが、テルを言いたい放題にバカにした。テルは怒ってそっぽを向き、カインは同情を滲ませる曖昧な笑みを浮かべる。


「それくらいなら構わないよ」


 快諾したカインは、赤子扱いでへそを曲げているテルの肩を、元気づけるように叩いた。


「リベリオに振り回されるもの同士、仲良くやっていこう」


「カイン……」


 カインの爽やかな笑顔と言葉の裏に、筆舌に尽くしがたい苦労があったのが伺える。


 視線を交わすと、何も言わずに二人は硬い握手をした。同じ立場の人がいるだけで、これほど心強いとは思わなかった。


「しばらくの稽古はカインがつけてやってくれ。狩場に連れていくかどうかの判断は任せる」


「俺が認めたら第二試験突破って訳だ」


「石柱砕きで終わりじゃないんだな」


 まだ魔獣狩りの実戦はまだ先のことだとわかったテルの胸に、もどかしさが込み上げた。




--・--・--・--




「テルは魔獣狩りに向いてないよ。別の働き口を探すといい」


 翌日、テルとカインは傾斜がなだらかな丘の上で木刀を持って向かい合っていた。


 既に打ち合いは終わっていて・・・・・・、膝をついたテルがカインを睨みつけている。


「どういう、つもりだよ……」


 鳩尾を打たれたせいで不安定な声を漏らしたテルに、カインが嘲るように笑った。


「言葉通りの意味だよ。それで魔獣狩りが務まると思ってるのかな?」


「……くそっ」


 カインの悪意の籠った言葉に、テルは奥歯をぎしりと噛んだ。



 「まずは実力を測る」


 兄弟子の指南の一日目、そう提案したカインに、テルは素直に頷いた。


 テルはカインと向かい合うと、先手を仕掛けた。確実にテルよりも強いであろうカインは、最初のリベリオのように、受け手に回るのだと信じ切っていた。しかし、直後の胸に与えられた衝撃とともに、その考えはかき消される。


カインが強烈なカウンターを叩き込むと、畳みかけるように剣を振るい、テルを立ち上がれなくなるまで痛めつけたのだ。

これでは稽古もへったくれもない。



「だから言っただろ、俺を納得させられたら合格だって」


 昨日とは一転、別人のような態度で手厳しく言い放つ。


「俺を実戦に連れて行くつもりなんて、初めからなかったのかよ」


「なんだ、物分かりがいいじゃないか」


 そう言って、背を向け立ち去ろうとするカイン。テルはカインが置いていった木刀を投げつけるが、直前で振り向いてそれを回避する。


「帰す訳がないだろ」


「立てるのか。手加減しすぎたな」


 貼り付けたような笑みを消し去ったカインが落ちた模擬刀を拾うと、地面を蹴って急接近し、テルの胴に一閃を見舞わせる。しかし、テルは間一髪自分の木刀を滑り込ませてそれを防いだ。


「そんなに俺が気に食わないのかよ」


 バランスを崩しながらも、テルが声を上げる。


「別にテルのことは何とも。ただ都合が悪いってだけだよ」


「都合?────くッ!」


 続くカインの蹴りで、丘の斜面を転がるテル。起き上がったところに追撃を加えるカインに横薙ぎを放つが、簡単に躱される。


「そもそも、なんで騎士なんてなりたがるんだ? 下位騎士は競争が激しいから、ずば抜けた才能がないと碌な稼ぎにならないぞ。どうしてそんなに魔獣狩りに拘るんだ?」


「……っ」


 痛い所を突かれた、というわけではないが、自分でもはっきり言語化出来ていない部分を指摘されると、テルには反論する言葉が見当たらない。


  見上げなくてはならない位置に飛び退いたカインは、言葉を詰まらせているテルに呆れたように肩を竦める。


「生半可な気持ちでやると後悔することになる」


「余計なお世話だ!」


「お世話を焼かせるほど弱いテルが悪いんだよ」


 落ち着いた調子で発せられる言葉は、挑発よりも警告に近い。だが、テルはそれさえも腹立たしかった。


「なら、黙らせてやるよ」


「ふんっ。お前の心が折れるまで、付き合ってやる」


 まさに、売り言葉に買い言葉。

 異能をカインに知られないまま格上の鼻を明かす。難易度は高いがそれを乗り越えなくては前に進めない。

 テルは歯を噛み締めて、模擬剣を構えた。




「まだやる?」


 地面に転がるテルが時間をかけて起き上がるのを、カインは見下しながらそう口にした。


 その問いにテルは黙ったまま、血の混じった唾を吐き捨てて剣を拾ってカインに向ける。

 テルが飛び掛かっては、軽くあしらうように強烈な一撃を見舞われるのを幾度と繰り返し、全身が青あざと血と土に塗れている。


 気絶しないように痛めつけることを目的とした悪辣な一撃一撃は、テルの心を折るためのものだった。


 テルは剣を構え、朦朧とした足取りでカインに切りかかる。しかし、カインはあっさりと身を翻すと、テルの髪を鷲掴みにし、そのまま鳩尾に膝蹴りを入れる。


 満足に空気を取り入れることができず喘ぐテルのまえで大きな欠伸をする。


「もう飽きてきたんだけど」


 ぜえぜえとみっともない音を立てながらそれでも立ち上がろうとするテルに、カインは辟易したように眉を寄せた。


「逃げ、るのかよ」


「お前馬鹿だろ」


 やっと木刀を持ち直したテルが上げた顔に握った拳で殴る。もはや剣さえ必要ないといわんばかりの暴行を加える。

 テルはぐったりと力なく地面に伏し、カインはため息をついて踵を返した。


「ほら、診療所まで連れてってやるから、もう終わ―――」


 カインがそう言いかけたとき、背後から地面をかける足音の存在に気づく。


「不意打ちか」


 振り返ると、地面を蹴りあげ、これまでで一番の加速をするテルが渾身の一撃を放つ構えをしている。

 カインは僅かに目を見張るも、即座に反応し模擬剣を掲げた。


 テルの一撃を防ぎきり、反撃に転じる。


 ガンと弾けるような音が二度響く。しかしその二度目でテルは大きく隙が生まれ、カインの剣技はその瞬間にテルの剣を絡めて奪った。


 カインはため息と失望の眼差しをテルに向ける。が、おかしい。


 戦う術を奪ったテルの目から闘志が溢れている。それどころか素手でこちらに向かって飛び掛かるような勢いだ。


 自分の口で負けを認めさせたかったが、仕方ないか。


 そうしてカインはテルの意識を奪う一閃の準備を整えた。

 しかし、テルはこちらの間合いに入るより先に右掌をカインに出す。


 カインが動き始めると同時に、テルの手から赤い煙が噴き出した。赤い煙はあっというまに周囲に広がると、カインは凄まじい勢いでむせ始めた。


「げふ、げ、ごほっ、お、おえぇ!? なん、だこれ!?」


 涙で目が開けられず、狭い視界に映った、テルの得意顔にカインは怒りを剥き出しにする。


「お、お前ッ……!」


「付き合ってくれるんだろ、俺が折れるまで……!」

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