第1章7話 人狼①

「……あまり、私に関わらないほうがいい」


 テルに拒絶を言い残したニアは、足早に部屋に戻っていく。

 呼び止めることも、追いかけることも当然できるわけがなく、テルは広いリビングにまだ温かい食事とともに取り残された。


「やらかした……嫌われた……」


 料理に頭突きしてしまいそうな勢いで項垂うなだれるテルは、冷たい表情をするニアを思い出していた。


 ニアの言葉の真意はわからないが、自分の過去に触れられたくないのだろう。 

 テルは今日まで込み入った話はしないようにしていた。しかし今回は、驚きのあまりその注意が緩んでしまったのだ。


「そっか、そうだよな……」


 初めから違和感があった。

 ニアとリベリオはまるで顔が似ていない。それどころか瞳の色も髪の色もまるで違う。さらに、テルがこの家で過ごした二週間、母親の影を感じる機会が全くなかった。写真はなくとも、過去にいた人物の名残や遺品と思われるものが何一つ見当たらないのだ。


「……訳あり、か」

 

 だいたいの憶測を終えると、テルは椅子に寄りかかり天井を見上げた。 


「どうしたものかな」


 テルはしばらくの間、嘆きとため息をスープの湯気と一緒に天井際で燻らせた。


 そういえば食べている途中だった。


 食べる気力がかなり削がれていたが、食べないでいるほうが精神的に辛くなると思い、無心で口の中に運び入れた。



「ご、ごちそうさまでした」


 途中で席を立ったニアの分を含め、二人分の食事を平らげる。テルは食器の片づけをするつもりだったが、破裂しそうな胃袋が少し安静にしてくれと訴えるので、ソファに移動し体を沈めた。


「うはぁ」


 苦しみの呻きと憂鬱のため息が混ざり、間抜けな息を漏らす。

 頭の中で渦巻くのは様々な声だった。一方では自分で自分を叱咤し、また一方ではニアから許しを得る策を論じていが、いくら脳内会議を続けても状況が好転することはない。


 考えてみれば、あの後謝りに行ってないじゃないか。

 ひらめきや良案以前に最初にやるべきことが頭から抜けていた自分に自嘲しつつ、ニアの部屋のドアを叩く覚悟を決める。


 どんどん、と音がする。ニアの部屋のドアを叩いたのではなく、玄関のドアが叩かれたのだ。


 自分が心の準備を決める前に体が無意識に動いたのかと錯覚し、心臓を吐き出しそうな程驚く。しかし、すぐに勘違いだと気づき玄関のドアに目をやると、またどんどんとドアが叩かれ、今度は「ごめんください」と声もした。


 いままでこの家に客が来たことはなかった。その上、外は夜の帳が落ち、家主は留守。


 一体、誰が何の用だ?


 そう思いながら、玄関にいき、ドアの持ち手を握る。


「どちらさまですか」


 覗き込むように開くと、リベリオよりさらに頭一つ分背の高い、巨人のような男が立っていた。こんなに背が高い人間もいるものなのかと恐怖に近い感想を抱くテル。しかし、それが重大な間違いであったことにすぐにわかった。


 ドアより高い位置にある頭は、明らかに人間のものとは形状が異なっていた。


 いまにも射殺さんとする敵意と興味が合わさった奇妙な視線に、肉を貪るのに適した長い顔、裂けたような大顎。

 それはまさしく狼と呼ぶべき頭部であった。


 人間の胴体と人の声を伴った、まさしく魔獣と呼ぶべきその生き物は夥しい殺気を纏い、覆うようにテルを見下ろしていた。


「……魔獣!?」


 テルの口から咄嗟にそんな単語が飛び出した。


 直後、人狼は長い腕でドアを叩きつける。ドアは盛大な破壊音とともに木っ端へと姿を変えた。その衝撃は床まで貫通し硬い石畳の玄関に大きな窪みが出来上がった。

 間一髪、後ろに飛びのき巻き込まれずに済んだテルは、リベリオの言葉を思い出していた。



 以前、魔獣という生物が、なぜ村や民家を襲わないのか尋ねたことがあった。


「『魔獣除け』っていうものがあるから、簡単には魔獣は人域には入ってこれないんだ」


 具体的に魔獣を近寄らせない便利道具というものではなく、魔獣をある方向へ誘導し、その先には魔獣狩りが待ち受けているというような罠に近い代物らしい。それが国のほぼ全域を覆っており、魔石の便利さや人々の労力が平和を守っているのだな、と色々な意味で感心していた。



 しかし、現在―――。


「全然話が違うじゃないか」 


 魔獣と向かい合いながら、今はいないリベリオに悪態をつく。魔獣は双眸をテルに向けると舌なめずりをしている。新しい玩具を前にした子供のようだ。


「ご、ごめ、んぐ……だだい」


 不気味は声を漏らす獣人に対し、怖気が走った。どうしてこれが人の声だと思えたのか不思議でならない。そもそも、いったいこの魔獣はなんなのか。魔獣除けはなぜ反応しなかったのか。様々な疑問が浮かぶ一方答えは一つも見つからない。


 ただ一つわかることは、この目の前に迫る危険から身を守らなくてはならないということだった。


 どうすればいいと自身に問う。


 今日にいたるまで魔獣という存在に関わる機会がなく、この世界に馴染もうと精一杯だった。故に、己を狩らんとする凶暴な怪物と渡り合う術もなければ、武器も持ち合わせていない。


 なぜこんな場所に魔獣が現れたのか、誰かの助けは期待できるのか、様々な考えが浮かんでは消えるなか、本能が逃げろと警鐘を鳴らしている。


 窓から飛び出して逃げよう。そんな考えが浮かぶが、即座に棄却する。


「上にはまだ、ニアがいる……!」


 もし、テルだけがうまく逃げられたとしても、その後人狼が二階に上がる可能性があるし、ニアがさっきの音で下に降りてきてもおかしくない。もし、標的がニアに移ったとしたら、テルにはあの暴力を止める手立てがない。ならば、テルに残されたニアを守る術は囮になることだけだ。


 歯を食いしばり、テルは人狼に駆け寄る。人狼は自らの玩具に志願する人間を歓迎するように目を見開く。

 しかし、テルはそんなつもりは欠片もない。人狼の腕が届きそうな距離に入ると、テルは人狼の眼に目掛けて黒砂を噴き出す。


 「ぎやっ」と痛みに悲鳴を上げ仰け反る人狼に思いっ切り体当たりをすると、その勢いのまま外の冷たい土の上に落ちて地面を転がった。勢い有り余ったテルもそのまま丘を転げ落ちた。


「つうっ……」


 すぐに立ち上がり、体勢を整えると、同じように起き上がった人狼と目が合った。テルのほうが長く丘を転がったため、見上げるような形になっている。


 やはり、体当たりでは大したダメージにはなっていないようで、にやけるような口元から涎を垂らし、今にも襲い掛からんとしていた。


 ヘイトは完全にこっちに向いているようだとテルは安堵したが、まだニアの安全が確保されたわけではない。すぐにテルがやられてしまえば、人狼はまた家に上がりニアを襲うかもしれない。


 勝利条件は単純、テルが生きたまま人のいる村に逃げ切ればいいのだ。村には魔獣狩りが滞在しているかもしれないし、いなくても大勢で太刀打ちすれば何とかなるかもしれない。


 頭を整理しながら、建物が明かりを灯す村に目をやる。距離は走れば何とか辿り着けそうなくらいで、途中雑木林がある。魔獣がいないため、身を隠すこともできるだろう。こちらに武器はなく、使える手段はすでに一度明かした目潰しの黒砂のみ。


「ハードなんてもんじゃないぞ」


 そう文句を吐き捨てて、覚悟を決める。よーいどんの合図なしに一匹と一人は同時に走り出した。

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