幕間

閑話 自慢大会

「あーお腹いっぱい」


 満足そうに呟いたセレスの言葉で、部屋を照らすランプの明かりが返事をするように揺れた。

 ヒルティスの管理する建物に四人が棲むようになってから数日が経った。夕食後は談話室で目的もなくのんびりと過ごす習慣ができており、席を外しているニアを除いた三人は、持て余した時間をそれぞれの方法で時間を潰していた。

 テルは慣れた動作で食後の紅茶を入れており、カインは読書に耽る。そしてそれを退屈そうに眺めるセレスは「あ」と何かを思いついたように声を上げた。


「そうそう、さっき美味しそうなお茶菓子買ってきたのよ」


「お腹いっぱいじゃないのかよ」


 テルの指摘に耳を貸さないセレスは談話室を飛び出すと、しばらくしてお茶菓子の入った箱を持って帰ってくる。


「ちょうど四人分買ったのよ」


「これって結構高いやつじゃなかったっけ」


 セレスが大げさにお菓子の入った箱を掲げる。シンプル故に高級感を感じさせる黒い紙箱を見てカインの興味が本から移り変わる。テルも「そうなんだ」と意識を高級お菓子に引っ張られながら、四人分の紅茶をテーブルに置いた。


「私からの奢りよ。感謝して食べなさい」


「わーい」


「やったー」


 セレスが自慢げに箱を開くと、中には果物で彩られたおいしそうなケーキが入っており、上品で甘い香りが談話室に広がった。

 カインとテルは、なにか企んでるのではと思いつつ、それを口にしないで大げさに喜んでセレスをおだてた。ニアを置いて食べ始めることに罪悪感を抱きながらも、やっぱりあげないと言われる前に、と急いでケーキを選んで手に取る。

 二人はそれぞれ選んだ焼き菓子を口に運ぶと、同時に口元を緩ませた。


「ソースにブランデーが入っているのか」


 カインが感心したように言うとテルもそれに頷く。


「これ美味いな」


 更にもう一口とお菓子を食べ進めるテルとカインだが、何故か一口もケーキ食べないセレスが二人の顔を見回した。

 やっぱりお腹いっぱいだったじゃん、とテルが口にしようとしたところで、セレスの口がにやりと怪しげな笑みを浮かべていることに気づく。


「それで、二人にお願いがあるんだけど」


「……やっぱりか」


「そんなことだと思ったよ」


 なにかを企むセレスが手を組み合わせて前のめりになると、テルとカインは同時に頭を抱えた。


 お前たち、私のお菓子を食べたんだから、少しぐらい協力してくれるよな?


 目は口ほどのものを言うとはいうが、セレスの目は誰よりもお喋りだ。

 カインは嫌な事ならお菓子の代金を丸々返そうと意を決していたが、精神的に甘いテルは「お菓子貰っちゃったしな」と精神的なマウントポジションを取られた状態にある。


「それでお願いってなんだよ」


 にっこりと笑顔を貼り付けたようなセレスに、テルが呆れたように聞く。するとセレスは話を切り出すことを躊躇うようにもじもじと視線を逸らす。

 緊張しているのか落ち着かない雰囲気のセレスは頻りに髪を触って、心の準備を整えているようだったが、そんないじらいし素振りが一層不審だ。


「実はね、なんとか……なんとかニアにお姉ちゃんと呼んで貰いたいんだけどどうすればいいかなあ?」


「うわあ、やっぱり碌でもない」


「かなり気持ちが悪い」


 恋する乙女のような表情で奇妙な欲望を吐露するセレスの言葉は、テルは改めて頭を抱え、カインは顔をしかめた。

 テルはうっかりデザートに飛びついた自分の軽率さを後悔する。

 セレスの暴走的な言動にはニアでさえまともに取り合わないというのに、高級お菓子で釣られてしまったばかりに、この難敵に向かい合わねばならないのだ。


「私ね、ずっと妹が欲しかったの。兄弟でも姉でもなく、妹が」


「あーうん」


 セレスの独白に心の籠っていない適当な相槌をするテルはまだ優しい。カインは拒否を表明するようにテーブルに置いた本に手を伸ばしている。


「お姉ちゃんって呼ばれたらそれはもう妹でしょ? だからなんとかしてニアにそう呼んで貰えるようないい案がなにかないかしら」


「直接頼めばいいんじゃないか。『私をお姉ちゃんって呼んで』って」


 本を開いたカインがセレスの目を見ずに口にするが、セレスは「ダメに決まってるじゃない」と即刻却下した。


「急にそんなお願いされたらドン引きされるに決まってるでしょ。ちょっとは考えて物を言いなさい」


「なんで俺が説教されてるんだ? ていうか、自分が気持ち悪い自覚はあったんだね」


 呆れた顔のセレスに道理を説かれ、カインはもうついていけないと手をぱたぱたと仰いだ。


「それに直接頼んで断られてたら私の心が持たないわ」


「セレスの精神はもうちょっと摩耗してたほうがいいと思う」


「うるさいうるさい。私を矯正させる暇があったら、作戦を考えなさい」


 恐ろしいほどの横暴に、どうしてお菓子一つでここまで強く出れるのかと思いつつ「うーん」と腕を組んで考えを巡らせた。


「ふとした会話でお姉ちゃんって印象を刷り込めばいいんじゃない?」


「どういうこと?」


 腕を解いたテルが考え抜いた案を真面目な顔で言い、セレスもまた真剣な眼差しで詳細を求める。

 

「ニアをわざとらしく妹扱いしたり、姉アピールを強めにしたり」


 日常的に、自分をお姉ちゃんと自称したり、間接的にニアを妹扱いしたりすることで、「セレスといったらお姉ちゃん」という印象を潜在的に植え付ける。現代っぽくいえばサブリミナル効果であるが、テルはそこまで言ったところで、自分がニアの洗脳に加担している気がして語気が弱くなっている。


「なんでまともに取り合っているんだよ」


 本から視線を上げ、呆れるカインにテルは返す言葉がない。自分でもどうしてこんなことを真面目に考えているのかわからない。


「なるほど、なかなかいい案じゃない。褒めて遣わすわ」


 感心したセレスは満足そうに何度か頷いたかと思うと、何かを思いついたように顔を上げる。


「褒美にニアとの惚気話を披露してあげましょう」


「間に合ってます」


「あれは二人で服を買いに行ったときの話よ」


「どうすれば止められるんだ……」


 褒美とは体のいい口実で、実際はただセレスが自慢をしたいだけである。

 セレスの暴走を止められなかったことで苦い表情をするテル。すでにカインは自分の世界に逃げ込んでいるが、テルには逃げ場がなく、セレスの話に耳を貸さざるを得ない。


「自分の買い物そっちのけでニアを着せ替え人形……じゃなくて似合う服を探してると、一緒に回ってたニアが、初めて自分から髪飾りを持ってきたの。この服がニアの好みなのかなって思ったら、ニアが近づいてきて私に髪飾りを付けてくれたの。そしたらニアがね……」


 拳を握って熱弁していたセレスは、不意に恍惚とした顔で何もない場所に視線を向けた。


「『セレスだってすごくかわいいんだから、今度は私がセレスの服を選ぶ番ね』って……言ってくれたの」


 セレスの視線の先には、無邪気に笑うニアがセレスの髪を撫でるシーンが流れているのだが、当然テルにもカインにも見えてはいない。


「はあ……本当に至福の時間だったわ。また一緒に行く約束をしたから私は無敵なの」


 テルは「あーはいはい、よかったね」と極めて雑な相槌を打つ。通常ならセレスがその適当さを咎めるところだったが、今回は自分の世界にどんどんのめり込んでいくせいで、テルのことなど眼中にないようだった。


「凄いのよニアって。可愛いのは言わずもがな、近づいたら良い匂いがするし、凄い肌が綺麗で吸い込まれそうになる」


「はあ……」


「この私をここまで虜にするくらいだから、変な虫が付かないように気を付けないと」


 三人が集う談話室で何故か孤立しているような気分に陥ったテルはニアが戻てくることを願わずにはいられない。しかし、そんなときカインが視線を上げた。


「それはそうかもしれない」


 セレスの言葉に、想定外の同意を示すカイン。しかも発言の内容が波乱を呼びそうなものだったこともあり、テルとセレスの視線を集めた。


「あんたまさか」


「そういうのとは違うけど」


 二人の意図を察したカインが、馬鹿馬鹿しいと一蹴するように首を振る。その様子から、カインがニアへの色恋的な感情がない事はわかったが、それでもカインがそう思うに至った経緯への関心で、注目の的から逃れられずにいる。


「この間、ニアと好きな小説が同じだってわかって、その話をしていたときのことなんだけど……」


 二人の視線の気まずさに観念したカインは話を切り出した。その話を簡潔にまとめるとこうだ。

 

 ニアとカインが好みのシーンや登場人物を語り合っていると、ニアに熱が入り始めたらしい。誰かと好きなことで共感するという喜びはニアにとって初めてだったようで、目を輝かせたニアは実際にその小説を持ち出したという。


 始めは互いに別々の小説を開いていたが、カインの話に乗りかかったニアが体を乗り出して、カインの手元にある本に目を向ける。


「ここの心情描写が―――ニア、ちょっと近い」


 不意に甘い香りがカインの鼻孔を突いて、想像以上にニアが近くに寄っていたことに気づいたカインが、平然を装って指摘する。


「え? ああ、ごめん」


 しかし、特に気にしていないようなニアはカインの意図を理解することはなく、そのあとも何度かカインのパーソナルスペースに入り込んで困惑させた。


「人との距離感は測れるようになったほうがいいよねってだけの話なんだけど……なんで怒ってるの?」


「なんであんたの自慢話を聞かなくちゃいけないのよ!」


「話聞いてた?」


 セレスからすれば、ニアと共通の趣味で盛り上がれるというだけで歴とした自慢らしい。


「じゃあセレスも小説を読めばいいじゃないか」


「私は活字が苦手なのよ、嫌味?!」


「お前ら、あんまり騒ぐとまたヒルティスさんに怒られるぞ」


 テルが傍から警告をするが、二人の耳には届いていないのは明らかだった。もう関わらないぞと決めたテルは、一周回って穏やかな心でセレスに貰ったお菓子を頬張る。果物とクリームに僅かな刺激的な苦みがあり美味だ、などと心の中で食レポをするくらいには呑気に味わっている。


「この間までニアをさん付けして呼んでたくせに!」


「別にそれとこれは関係ないだろ」


「このむっつりカイン! 私がちょっとボディタッチしたときもドキドキしてたんでしょ」


「よし、金輪際俺に近づくな。バカが移る」


「なにをぉ!?」


 二人の争いはついに取っ組み合いにまで発展し、ソファやテーブルに足をぶつけてお茶がこぼれるなど小さな被害が生まれつつある。


「私が一番ニアのことが好きだし、ニアに好かれてるんだあっ!」


「勝手に人の気持ちを語るな、烏滸がましい」


 口論の論点も明後日の方向に転がり始め、普段は冷静なカインの頭にも血が上っていて語気に熱が宿っている。

 こうなると、後で全員がヒルティスに怒られるまで時間の問題かと思われたが、誰も予想していなかったテルの一言が場の空気を一瞬で変えた。


「悪いけど、ニアが好きなのは俺だぞ」


「はあ?」


「え?」


 半ギレのセレスと困惑のカインが、テルに視線を向ける。そこには顔を赤くしたテルが頭を重そうにしながら緩んだ顔でソファに沈んでいる。


「テル、まさかケーキに入ってる酒で酔ったのか……?」


 カインの問いにテルは眠そうな目で「べつにぃ?」と的確に自分の状況を説明し、カインを絶句させた。

 いちはやく談話室から撤退しようとしたテルは、大急ぎでケーキを食べ終わったところで、セレスのケーキもほとんど残っていることに気が付き、迷惑料としてセレスのものも平らげてしまった。しかし、二個目のケーキ、それを一気に食べたことで、酒に弱いテルは酩酊状態に陥ってしまったのだ。


 テルの酒の弱さに驚いて怒りを忘れたカインだったが、セレスはそんなことは関係がないらしく、噛みつくような勢いでテルを睨む。


「親と死別した悲しみを隣で支えて、絶体絶命のところを助け出したってだけで王子様を気取るなんて、見てて痛々しいわよ!」


「ふっ、これを聞いてまだ吠えていられるかな?」


 顔を赤くして憤るセレスに、余裕綽々のテルが煽りを利かせて語り始める。


「セレスはいつもすぐに寝るし家事の手伝いをしないから、知らないかもしれないけどニアは眠くなると、めちゃくめちゃ甘えん坊になるんだ。この間だって、俺の袖を掴んでうとうとしてるニアを寝室まで案内した」


「なん、ですって……!?」


 勝ち誇った顔のテルを前に、青ざめた顔で足から力が抜け、セレスが敗北したかに思われたが、膝が床に着く寸のところで堪え、目に闘志を滾らせる。


「いや、まだよ。私だって――――――」


 こうして、冷めた目で傍観するカインの前で、自慢話大会が始まったのだった。




「はあ」


 あとしばらくは続きそうな扉の向こうの喧噪を背にしたニアが、ため息を吐いて床に座り込んだ。


「とりあえず、テルはお説教だとして……」


 いつもと喋る調子が少し変わっているのが気になったが、だとしても自分の恥ずかしい話を自慢げに広めることについては叱らねばならない。そんなテルに対する細やかな憤りはあるが、ニアはそんなことよりも今すぐ走り出したいようなむずむずとした感覚を抑えることで精一杯だった。


「どんな顔で部屋に入ればいいんだろう」


 実はかなり始めの方から自分に関する話を一通り聞いていたニアは、赤くなった顔を覆う。

 一緒にいたイヴが「どうしたの」とこちらを見上げているので、ニアはおでこを撫でて「なんでもない」と強がって返す。


 いっそ悪口だったらこんなに恥ずかしくなかったのにと、ありえない想定と天秤に掛けるニアは、経験のない種類の困惑への対処法を見つけられずにいた。


 恥ずかしいと一言で括っても、それぞれ別方向の恥ずかしさで、しかもその裏にはニアに対する『好意』が潜む―――否、堂々と仁王立ちしていて、ニアの恥ずかしさに拍車をかけた。

 知らない顔をして部屋に入ったとしても、にやけ顔が漏れ出てしまったらどうしよう。そんな不安で、ニアはしばらくその場から立ち上がることができず、最後にヒルティスの怒声で全てを片付けるまで、三人は騒ぎ、ニアは悶え続けた。



 そんなシャダ村を出立までの一幕は一例に過ぎず、バカ騒ぎもお説教も、失敗話でさえも、ニアの知らなかった当たり前の毎日を彩っていったのだった。

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