第2章47話 王都へ②

「さようなら」


 馬車が走り出し、シャダ村の風景が見えなくなってきたころに、きっと自分にだけ聞こえるくらいの声で、ニアはそう呟いた。


 聞こえてしまっていたテルも、その声に続いて恣意的な感傷に浸ってもよかったがニアに不誠実な気がしてやめた。

 純白の髪が風で浮き上がると、周囲の景色を白に溶かすように鮮やかさを反射した。緑の草原と、青く遠い空の二分割された世界で境界が曖昧になった景色の中心にニアがいる。


「どうかした?」


 こちらの視線に気づいたニアが、首をこくりと傾ける。


「ううん、考え事」


「なに考えてたの?」


「色々あったなって」


 自分で口にしておいて、本当に色々あったとしみじみしてしまう。


 リベリオに拾われ、魔人と戦い、ニアと手を取り合ったこと。


 そして、ニアが帰ってきてからも色々あった。


 ニアは自分が魔人であるとカインとセレスに明かし、驚いていたがそれでもニアを排斥しようとせず、温かく迎え入れてくれたこと。

 ニアと一緒に村の教会の司祭に謝りにいき、追い返されると思いきや、親身に話を聞いてくれたこと。

 ニア、カイン、セレスに、異世界から転移したことを告白したのに、全員びっくりするほど淡白な反応だったこと。


 他にも色々なことがあった。その全てが、あのコーレルとシャダ村での出来事。



「そういえば、なんで王都だったの?」


 ニアがだしぬけにテルに問う。


「あー、理由はいくつかあるんだ」


 そういうと、リュックのポケットから一枚の手紙を取り出す。


「それは……」


「前に、リベリオから預かった、ブラックガーデンって人への手紙。この人は王都に住んでるらしいから」


「あとは?」


「……王都、見てみたくてさ」


 テルが目を泳がせていうと、ニアはそよ風を生むように笑みを溢す。


「楽しみだね」


「ああ、そうだな」


 些細な嘘を吐いたテルは、ニアに笑いかける。


 街の片隅で出会った、あんな不審な男の話をする必要なんて、一欠けらたりともないのだ。




※ ※ ※




「君ぃ」


 テルが街で買い物をしていると、不意に背後から声をかけられた。

 しかし、どこを見てもテルを呼び止めたような人の姿はなく、困惑したまま歩き出そうとする。


「君だよ。君、君」


 そして、進行方向を向いたテルはぎょっとした。

 目の前には、ついさっきは確実にいなかった男が壁に寄りかかってこちらを見ている。


 確実にいなかった、そう断言できるのは、その男があまりにも奇妙な服装をしているからだ。


 上下黒の礼服の内側には、派出な柄と色のシャツを来ている。それだけでも十分に目を引くが、なによりも異様なのは、その男が口以外に顔全体を包帯でぐるぐる巻きにしており、その上に黒いハット帽というあまりにも奇異な外見だろう。


「誰、ですか……?」


 見るからに危ない人物を刺激しないように、敬語を選ぶテル。


「ははぁん、予想通りの反応だ。やっぱり君がテル君で間違いないね」


「……誰だよ、お前」


 教えてもいないのに名前を呼ばれて警戒心を引き上げるテル。すると男は慌てるように手を振るった。


「待て待て待て、そんなに警戒するな。俺は味方だよ」


「味方? 初対面の不審者に味方って言われて、どう信じろっていうんだ?」


 明らかに胡散臭い包帯男にテルは鋭い視線を向ける。しかし、包帯男は唯一露出している口元をニヤリと歪ませて、肩を竦めた。


「おいおい、あんまり酷いこというとしょげちゃうぜ? 忘れた・・・のはテル君のほうだっていうのによぉ」


「…………は?」

 

 男の言葉に、テルは頭が真っ白になった。

 まるで、テルの失った記憶に言及しているようではないか。それだけではなく、記憶のないときのテルと知り合いだったような言い草だ。


「ああ、君の考えは合ってる。俺は、君の知らない君を知っている」


「お前、誰なんだ……?」


「俺の名はダダイ。君の……そうだな、敢えて言うならば、パトロンってところだ」


「……」


 パトロン、つまりは支援者。ということはやはり味方なのか、それともテルが記憶を失っていることで利用しようとしている敵か。


「疑う気持ちはわかる。だから、今日はちょっとした助言を授けにきたんだ」


「助言……?」


「そうさ、テル君。奪われた君を、そして呪われた少女を救うための助言だ」


 テルの体が反応した。この男は一体どこまで知っているんだ。


「王都に向かえ。そこで、君は道標を得るだろう」


「王都? 道標?」


 どういうことだよ、そう叫ぼうとしたとき、ダダイと名乗った男は、目の前から消えた。

 混乱した思考ごと置いてきぼりにされたテルは、しばらくその場で立ち尽くして、冷静さを取り戻すまで時間がかかった。


 キツネに摘ままれたとはこのことだ。夢だったらわかりやすい悪夢だが、現実なのが実に質が悪い。


―――王都に向かえ。


 そんな言葉は無視してもよかった。

 しかし、ダダイの言葉には振り払い難い重さ・・がある。


「王都……」


 この国の中枢。一度、テルはその場所に向かおうとしたこともある。罠があるとしても指示が抽象的すぎて、なにが罠なのかもわからない。


「言いなりになるわけじゃない。……いずれ、そこに行く必要はあった。それが早まっただけだ」


 大きく深呼吸をした後で、独り言を呟くと、テルは何もなかったような顔をして、皆が待つヒルティスの家に帰った。

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