第2章41話 脱出

 礼堂が崩壊を始めると、ニアは困惑の色を浮かべながらも危機的状況を把握しているのか、セレスとカインのもとに足を走らせていた。


「二人を連れて上に逃げろ」


 テル・・の自分だけが逃げないような端的な物言いに、ニアの困惑は深まる。


「待って、テルは………、あぁ」


 途中まで声に出したところでニアは、先ほどのノーラントの台詞を思い出して、言葉が詰まった。


―――この遺跡にいる子どもは全員死ぬことになる。


 脳裏に蘇ったのはノーラントがニアの行動を押さえつけるための言葉。テルはその人質になった子どもたちを探そうとしているのだ。


「もう場所は掴んである。心配は不要だ」


 それだけ言うと、テル・・はすぐに背を向けて礼堂の壁に空いた穴に飛び込んでいった。

 依然としてテル・・の様子はいつもと違う。あの戦う様を目の前で目撃していたニアは、”だから不安”と”ならば大丈夫だろう”という二つがせめぎ合っていたが、いまさら呼び止めてもどうしようもないことだった。

 

「キュキュ?」


 肩に乗っているイヴがこちらを覗き込むようにして、ニアははっとする。

 今はこんなことを考えている時間ではないのだ。


 ニアは『黒泥』で屈強な体格の人形を生み出す。ノーラントの黒泥とは違い、物質を溶解させる性質のオンオフを切り替えることができたニアは、触っても危険のない黒泥の人形に、カインとセレスを抱き上げさせる。


「急いで逃げよう」


 地響きが止まない地下で、長い廊下を走り出した。



ーー・--・--・--

 


 テル・・はノーラントとの戦いの最中、一本の剣を先遣隊として遺跡中を捜索させており、すでに子どもが閉じ込められている部屋を探し当てていた。

 

 本来なら地下の迷宮のような回廊が惑わせるはずだったのだろうが、目の前には目的の位置まで真っ直ぐに穴があいた壁が続いている。

 遺跡崩壊の一端を担ってしまったかもしれないと思いもしたが申し訳なさはひとまず無視する。



 倉庫のような暗室に子どもが三人が身を寄せ合うようにして座っている。彼らを見つけるのに、それほど時間はかからなかった。全員が顔に涙を浮かべ、それでも声を上げて泣かないように懸命に堪えている。


「偉いな。よく泣かなかった」


 その言葉を聞いた子どもたちは、テル・・が助けに来たのだと察し全員が笑顔を浮かべた。

 

「この縄の輪を足で踏んで、俺にしがみつくんだ。いいね?」


 縄を結んで創った馬鞍のあぶみのようなものに、子どもを立たせ、体にしがみつかせることで、テル・・はスムーズに三人を持ち上げた。試しに少し走っても安定しているので、テル・・はそのまま速度を上げる。


 縄は肩に背負っているように見えるが全て魔力で持ち上げており、ほとんど重さのかかっていないテル・・は、限りなく全速力で地下迷宮を走り抜ける。


「崩れ始めたな」


 轟音が聞こえ、そう独りごちた。しかし、崩壊は遥か後方で起こっているのでテル・・たちは問題なく逃げることができるだろうし、あれだけの時間があればあの三人も脱出できているはずだ。



 そうこうしているうちに、テル・・は青空の下まで走り抜けた。

 まだ日は高く、遺跡内であれほどの戦いが起こっていたとは思えないほどの平穏さがある。

 

 テル・・は子どもたちを降ろし、辺りを見渡すと、正面入り口から少し離れた木陰に横になっている人が見えた。

 

 無事か、と安堵しつつ、そこに駆け寄るとテル・・は舌打ちをして、頭を抱えた。


「いない」


 ニアがどこにもいない。

 もう一度入念に周囲を見渡すが、そこにいるのは意識のないカインとセレス、そしてテルの足をひたすらにひっかくイヴだ。


 キュキュと小さな鳴き声でなにかをテル・・に伝えようとしており、大方のことに察しがついた。


「取り残されたか」


 そう口にしてテル・・は、正面の入口を振り返った。




--・--・--・--

 



 一番先頭にイヴ、次に黒泥人形を走らせ、その後ろをニアは追っていた。


 遺跡の廊下に崩れる気配はなく、初めの爆発は恐ろしかったものの、徐々に出口が近いことがわかり始めると、その恐怖も焦りもだんだん遠くなっていく。


 きっとそれが油断だったんだろう。

 がくり、と視界が揺れ、浮遊感に包まれた。

 

 まだ崩壊がこちらまで伝播している様子はなかったというのに、ニアの足元だけが突如として崩れたのだ。


 落ちる。


「キュ、キュキュィ! キュー!」


 イヴの鳴き声が懸命に上げられる。

 せっかく再会できたのに、悲しませてしまった。


 そんな後悔で胸が痛み、なんとなく腑に落ちたような諦めが痛みを鈍くさせる。


 黒泥人形は命令を最後まで実行するはずだし、崩れ落ちたのがここだけならばテルもきっと無事だろう。


 そしてニアはゆっくりと目を瞑った。

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