第2章36話 最良の容

「貴様ごとき無能が、ニアどころか私に勝てるとでも思っているなら、それは蒙昧さが見せる妄想だ」


「黙れよクソ野郎。もうお前を、ニアに一歩たりとも近づけさせやしない」


 テルは宣言と共に一歩、ニアの前に立った。すると同じくノーラントを守るようにドールが立ち塞がる。



 ノーラントの背後にはドールが控えており、ぐったりとするカインとセレスが抱えられている。


「あぁ、そんな……」


 それに気づいたニアの小さな悲鳴が聞こえた。

 しかし、大きな傷は見当たらない。きっと生きている。


 カインとセレスを人質に取らず、入口の脇に倒されており、テルにとってはこの上なく都合のいいことだった。

 しかし、それは腕に自信があることの証明でもある。


「ドール、無事に返す約束だ。そうそう味わえない苦痛を与えた後でニアに治させる。強者に楯突くという愚を存分に教えてやりなさい」


 自分の言葉に矛盾があると疑いもしないノーラントに、「御意」と短く答えるドールは、体から鉈を作り出した。


「テル……」


 ニアがテルの名前を呼んだ。自分のせいで傷つく人を増やしたくない。その気持ちがテルにも向けられているのだとわかり、胸が熱を帯びる。


「俺、もっとニアと話がしたいよ。俺も話してないことが色々あるし、お互いにお互いを何も知らなさすぎる。だから、帰ったら最初に自己紹介をしよう」

 

 視線だけをニアに向けたテルが笑いかけた。ニアは驚いたように目を見開くと、涙ぐんだ声で頷いた。


「……うん」



 ドールの鉈とテルの剣が火花を散らして交差する。

 剣で切り結べば、体格に分があるドールが有利だというのに、テルが飛び込んだのは、自分の体積の減少であるとドールは考えた。


 先の戦い、間一髪のところでノーラントに助けられたが、ドールは斧一振り分の我が身と、黒泥の鎧の大半を失っている。


 泥の鎧は全身を覆うことはできないが、基本的な攻撃は武器で防御すればなんてことはないはずと踏んでいたドールだったが、それは楽観だった。


 魔力が渦をまいたテルの剣を鉈で受けるが、あまりにも重い一撃に、ドールは表情を歪ませる。

 弾かれた鉈をなんとか引き戻し、辛うじて次の攻撃を防いだが、次こそは防げない。

 いざというときの切り札のつもりだった、小さくして忍ばせていた黒泥の鎧が展開する。


 迫る斬撃の威力が殺されると、テルは少し眉を上げ、距離を取る。


 ドールは、短時間で黒泥の鎧を使わされたことに屈辱で下唇を噛むが、一方で自分の優位を確かに感じた。

 目の前の敵が、ドールの弱点となる武器を使うことは知っていたが、それは魔法ではない。明確な隙がなければ、簡単に食らうことはないだろう。それに爆弾なら数に限りがあるはずだ。

 そう、ドールはまだ、テルが異能者であることを知らない。


 ドールが傍からはそうは見えない笑みを浮かべて、地面を踏み込むと、小さな爆発音とともに周辺が煙に包まれた。


「煙幕? 目潰シカッ!?」


 想定外の出来事に足を止める。

 視界を奪われたなら、確実に不意打ちが来る。

 ドールが神経を研ぎ澄ませると、なにかが迫ってくる気配がある。


「ソコ!」


 背後から近づく影を、一刀両断するドール。確かな手ごたえと飛び出す赤い物質に、鼻を鳴らすが、すぐに異変に気づいた。

 切った影から溢れたのは血でもはらわたでもなく、大量の粉末だ。


「グ、グオゥッ!」 


 目と鼻から大量の刺激物を吸引して、脳内がパニックを起こす。

 自分の体を模したダミー、そして鼻と目の粘膜を痛めつける粉末。それらは明らかに土魔法の領分を超えている。


「異能者カッ!」


 納得のいく結論に至ったドール。前の戦いは市街地の真っただ中、人の目もあったがゆえに相手も全力ではなかったと知り、腹の中が煮えるような激情が押し寄せた。


「小癪ッ!」


 目潰しに目眩まし。力のない弱者の足掻きが如く醜い戦法。怒髪天を衝くばかりに全身を震わせる。

 鉈に更なる刀身を与え、巨大化した得物で煙を振り払わんと空を切り裂く。

 ドールの特異な体質は目潰しの粉末を即座に克服し、すでに視力は戻っている。


 姿を現したときが、あの男の最期だ。


 確殺の決意を固め、生み出した空気の乱れで煙幕が完全に取り払われようとしたそのとき、足元に転がってくる物体があった。


 黄色く苦い皮と酸味の強い実を持つ果物。檸檬だ。


 なぜ急にこんなものが?


 純粋な疑問に思考が停止したその刹那、檸檬は内側から強烈な威力で爆発した。


 目潰しとは違う黒煙が引くと、ドールはうずくまるようにしている。周囲には飛び散った黒い液体があり、それはドールを守りきって機能を失った鎧であったことがわかる。

 今のドールは、限りなく無防備だ。


「醜い裸体だな。服でもこしらえてやろうか」


「貴様ァァアアアッッ!」


 声を荒げるドールに、テルは淡々と爆弾のナイフを投げた。

 

 さっきのような爆発を食らえば、無事では済まない。その確信があったドールは、青ざめてナイフを必死で弾き飛ばす。しかし、そんなわかりやすい態度はそれが弱点であるとひけらかしているようなものだ。


 『オリジン』によって際限なく生み出される爆弾をドールは必死に躱した。

 防戦一方の戦いは、敗北を知らないドールを委縮させ、動きに乱れが生まれる。


「ァア」


 二本の鉈をもってしても、確実に当たると悟った一つの爆弾を目にしたとき、ドールの周囲の世界は、進みが遅くなった。


 避けられない敗北。逃れられない死。


 それらを前にした怪物ドールは、全く新しい自分の可能性を見出した。



 爆弾のナイフが後方に弾かれて爆発し、テルの眉がぴくりと動く。

 死角を狙った投擲とうてきで、勝負を決めた自信があったテルは目を疑った。


 ドールの肉体。しかし、形状は全くの別物と成り変わっていた。


 完全な球体。黒っぽい臙脂色のボールのような物体がそこにあった。

 テルはすぐさまそれがドールであると判断し、爆弾ナイフを投げる。


 しかし、ボールは急速に横回転を始めると、テルのナイフを別の方向に弾き飛ばした。


 その驚異的な回転に秘められた破壊力をテルはすぐに感じ取った。しかし、ドールの回転速度は留まることを知らない。


 魔力を体の回転に全て裂いてさらに速度をあげる。床が抉られ砂塵が舞い、つむじ風が生まれる。

 あらゆる自分の体を模索して得た、最も合理的な肉体のかたち


「貴様ゴトキ、挽肉ニシテクレルワッ!」


 どこが発声器官なのか見当もつかないが、快哉を叫ぶドール。

 ひとつ前の敗北を乗り越え、自分史上最高潮を感じていたドールの、最大の破壊力を誇る突進。


 目の前に迫る脅威。直撃すれば四肢は散り散りに引き裂かれるだろうその一撃を、


「邪魔だ」


 テルは真っ二つに切り伏せた。


 「エ?」


 回転が安定しない違和感ののち、自分の体が二つになっている事実に気づく。

 球体の回転の軸を定めるために中心となる部分に置いた核が、怪物ドールの中枢が両断されている。


 慣性が残った半球二つは、ふらふらと迷走した後に地面に落ち、そのまま蟲の結合が解け、見た目の悪い水溜まりのようなものができあがった。

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