第2章15話 そして、三日目

「明日、皆で祭りにいくからニアも一緒に行こう」


 家についたテルは一番初めにニアに伝えた。

 テーブルにはまだ湯気が上っている料理が並んでいて、ちょうど配膳が終わったようだった。


 ニアははっとして驚いたようにしたあとで、頷いた。無表情が崩れたのはそのときだけで、テルはニアが少しでも喜ぶ姿が見えるのかと思ったが、その期待通りにはならなかった。



 翌日の午前中、テルが外に出て玄関先の掃除をしていると、丘を上ってくるセレスの姿に気づく。


「おはよ。テル」


「え、急にどうした」


 テルは持っていた箒を体重を預けて、セレスを見る。昨日までの動きやすく、露出がない地味っぽい装いとは違って、華やかで明らかにおしゃれな服を着ている。


「言ったでしょ、二人で服を買いに行くって」


 昨日別れる直前にそんなようなことを言っていたが、本気で言っていたとは思っておらず聞き流していた。

 

「ていうかそういう話はもっとちゃんとしてくれないと」


 急に来られても困ると、眉を顰めるが、セレスはまるで気にせずに、ドアをあけて中を覗く。


「おじゃましまーす。あ、おはよう、ニア」


 ニアは外の会話が聞こえていたのかあまり驚いていない。


「予定の時間よりだいぶ早いけど、先に向こうで服とか見ましょうよ?」


 直球で要件を伝えると、セレスの言動が比較的非常識なものであることを知らないのか、首を縦に振る。


 まさかニアが即了承すると思っていなかったテルは、慌てて「あ、俺も行くから待って」と、ニアの手を引っ張ろうとするセレスを呼び止めてしまった。


 セレスの表情に、人を玩具と思ったときの邪な笑みが宿る。


 急に誘いをかけるセレスも非常識だが、女子同士の服の買い物に出しゃばる男も非常識具合では負けていない。


「いや、えっと」


「別にいいわよ、ついてきても」


 言い訳を模索するテルに掛けられた言葉は、その表情に反して優しいものだった。


 え、ほんとうにいいんですか、と聞き返しそうになったが、どう転んでもこれ以上の怪我は避けられないので、セレスの言葉に甘えるまま三人はシャダ村に向かった。




ーー・--・--・--




「どうしてこうなったんだ……」


 テルはシャダ村の大通りに丸まるように座っている。といっても自棄になって奇行に走ってしまったわけではなく、テルの周辺にも同じように地べたに座っている人が少なくない。

 

 思い返すのは数時間前の話。

 隙を見せたのに、揶揄されることがなかったテルはシャダ村に着いたところでセレスに肩を叩かれた。


「テルが一緒に来たいって言ってくれてよかったわ。ちょうど場所取りしてくれる人が欲しかったのよ」


 そう口にしたセレスは、ちょうど四人くらいが座れそうな広さのレジャーマットを敷くとそこにテルを座らせた。

 

「いや、そんな話」


 初耳だ、と異議を申し立てようとしたテルの立場は余りにも弱い。布団の中で思い出しては恥ずかしくなるような事を未来永劫揶揄われたなら、テルは二度と安眠を手にすることはできなくなる。


「あら、助かるわ。カインも合流したら連れてくるからそれまで気長に待っててね」


 渋々頷くテルに、満面の笑みを浮かべ、ニアの手を引くセレスがスキップのような軽い足取りでテルから離れていく。

 きっとニアとの買い物を優先するセレスは、カインとの約束の時間を確実に忘れ、テルの孤独の場所取りは続くのだ。



「そもそも、なんの場所取りなんだ……?」


 シャダ村の大通りの道を二分割するように、ロープで仕切りが作られていた。


「パレードかなんかかな」


 凱旋祭というだけあって、凱旋のパレードが開かれてもおかしくはない。テルの知らない場所で立役者がいたのかもしれない。しかしテルやカインが呼ばれないのは不服とまではいかないが、もやもやしていると、テルを呼ぶ声が後ろから聞こえた。


「あれ、皆いる」


 やってきたニア、セレス、カインの顔ぶれにテルが不思議そうな顔をした。予想では、セレスが好き勝手自由に遊びまわり、集合時間を大幅に遅れるのだと思っていた。しかし、今の時刻は集合時間ちょうどだ。

 

 カインが口を尖らせているセレスを鼻で笑いながら横目で見る。


「まだ見て回りたい場所沢山あったんだけど……」


「ニアさんに諫められたんだってよ」


「なるほど」


 へそを曲げるセレスだが十分買い物は楽しんだようで、さっきとは違う服装になっており、他の衣類が入った大きな紙袋を持っている。ニアも服を買ったのだろう、いつものローブの下にきていた服は見たことがないものだった。


「テルは災難だったけど、早めに場所を取っておいて正解だったね」


 カインの言葉に顔を上げると、たしかにさっきよりも人が増えている。最前列はもうすでに埋まり切っており、その後ろも人が密集している。


「なにがはじまるの、これ?」


 テルの問いにカインは特に反応はないが、セレスが「ええ!?」と声を上げて困惑している。ニアが首を傾げているのは、テルに対して驚いているのか、自分も知らないのか、どちらの判別か難しい。

 

「これが記憶喪失ってことね」


「面目ない」


 昨日の話を思い出したセレスが腕を組んで唸っている。


「『獣威けものおどし』っていう見世物でシャダ村の伝統なんだよ。戦争が起こるたびに魔獣を模した大きな引き車を作って街を練り歩くんだ。今では何十台も車があって、観光客が結構くるらしい」


 カインの説明に「へえ」と相槌を打ちながら、ねぶた祭や山車のようなものを思い浮かべる。最初にパレードを予想していたがあながち間違いではない。


「でもなんで魔獣を作るの?」


「魔獣共は人間に負けてペットにされたぞ、って魔獣を脅すためらしいわ。色々所説はあるらしいけどね」


 テルの質問に答えたのはセレスだった。


「市中引き回しってことか……」


 なかなか惨い伝統に苦笑いを浮かべるテル。二人の話に、ニアもじっと耳を傾けていたので、彼女もこの祭りのことは知らなかったようだ。


 そんなやり取りをしていると、ラッパのような演奏が聞こえてくる。誰もが小さな歓声をあげ、音の方向を見ると、鼓笛隊がテンポが早く明るい演奏をしながら、ゆっくりとテルたちに近づいてくる。

 この音楽もきっとこの祭りのために作られたもので、『天国と地獄』のような分不相応な名前がつけられているかも、と変な想像をしていると、鼓笛隊がテルたちの前を通過したところで、観客の歓声がぐっと大きくなった。


 鼓笛隊の後ろをついてきたのは、大きくカラフルでどこか可愛げのある魔獣の引き車だ。

 引いているのは子どもから大人老人までいて、きっと誰でも参加できるのだろう。そんな参加者たちに、観客が手を振ると、向こうも手を振り返してくれる。


 そんな様子を眺めていると、あっという間に数台の引き車が通り過ぎた。すると、また別の鼓笛隊がやってきて、似たようで少し違う音楽を奏でており、音が穏やかに塗り重なってスッと耳に入ってくる。絶え間なくなり続ける音楽は僅かに趣を変えて、観客を飽きさせない。


「凄いな」


 テルが思わず言葉をこぼすと、すぐそばでニアが頷いたのがわかった。


 近づいてくる魔獣の出し物は、どれも個性的で、首が動いたり、火を噴いていたりと演出にも抜かりがない。テルが見覚えのある猿の魔獣もいて、一瞬ぎょっとしたが、嫌な思い出がいい思い出に塗り潰せたような、苦いものと甘いものを同時に食べたような気分は悪くなかった。


 今日ここに来れてよかった。

 湧きあがった気持ちが、胸に熱を帯びさせる。


 黒泥事件を解決するために、奴隷商を追い、そして黒泥を捕えた。

 子どもを救うことができたのはテルを晴れやかな心持にさせたが、喉の奥に刺さったような違和感もあった。


 黒泥である先生はどうして子どもを攫っていたのか。


 テルたちに負けた先生は、そのあと決して口を開こうとしなかった。

 家に突入し、子どもを助けたとき、その子供たちは全員健康で身綺麗にしていた。どうしてあれほど丁重に扱う必要があったのか。だというのに、なぜあの夜子どもを殺したのか。

 そもそも、救出した子どもの数は、奴隷から買った子どもと攫った子どもの数と合っていないのだ。


 そして、あの教師は弱すぎた。


 一度目の黒泥とは、まるで別人・・のように、あっけない幕切れだった。


 テルは正気に戻ったようにかぶりを振るう。こんなところで無粋なことを考え、楽しみ切れないのがテルの悪い癖だ。 


 誰にも悟られないようにため息をつくと、不意に、引き寄せらせたようにニアの横顔が視界に入った。

 どの出し物にも瞳を輝かせて、通り過ぎていく百鬼夜行に釘付けになっている。


 口元が僅かにむずむずしているのは、観覧席から手を振っている子どもたちと同じように身を乗り出したいという気持ちを堪えているような、そんなもどかしさもあるのかもしれない。


 しかし、ニアの表情が変わった。興奮で少し頬を赤らめていたのに、急に血の気が引いて真っ青になった。


「ニア、どうかした?」


 テルがそう言って、ニアの視線の先に目をやると、一台の引き車があった。


 次の瞬間、その引き車が爆発した。


 大きな爆発音は辺り一帯に鳴り響き、笑顔で溢れていた祭囃子は、阿鼻叫喚に姿を変えた。

 

 爆発の逆方向に逃げる人達が洪水のように溢れる。

 テルはニアを守るように前に立つと、熱波に顔が焼かれるようで顔を顰める。

 その先に上る黒煙と、真っ赤な炎。その中に一つのシルエットが浮かび上がると、一層大きい悲鳴が上がった。


 なにかから逃げている? そんな憶測と嫌な予感がしたとき、煙が晴れた。 


 黒泥だ。


 明確な輪郭を持たない黒泥の姿が、炎と太陽にはっきりと照らし出される。

 一度目と二度目より明らかに体格が大きくなっており、その巨体で引き車の残骸の頂点まで登ると、ぐるりとこちらに首を向けた。

 

 目が合った。


 どこが目かわからない泥に包まれた異形に捕捉されたテルは、手の震えを堪え剣を作り出した。

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