第1章46話 どこかで涙の落ちる音
「邪魔をしてしまったようですまない。出直したほうがいいだろうか」
特位騎士にして、この国で騎士の頂点に立つ存在。そんな大げさな紹介に気にせず、恭しく引き下がろうとするシスに、シャナレアは首を振った。
「いいえ、構いませんよ。私もちょうど戻ろうと思っていたところですし、最強の騎士様のお時間を奪う訳にはいきません」
どこか意地悪さを感じさせるシャナレアは二人に背を向けて階段を下っていく。そんな背中を眺めながら、シャナレアはシスを嫌っているのかもしれないと、ぼんやりと思った。
シャナレアはそのまま立ち去るかと思われたが、曲がり路に差し掛かったところで、「そうだ」と足を止めた。
「他人は自分を移す鏡という言葉があるだろ」
「? ……はい」
振り返ったシャナレアの唐突な言葉にテルは首を傾げた。
「くれぐれも鏡に惑わされないように。リベリオからの言伝だ」
リベリオからの言伝と言われ、テルは目を丸くした。
「それじゃあまた、仕事で会おう」
そう言って手を振るとシャナレアは去っていった。
――・――・――・――
金髪の壮年の男はシャナレアがいなくなるのを見届けるとこちらに向き直った。
「改めて、初めまして。シス・フューリズだ」
「テルです」
テルは畏まって立ち上がろうとすると「ああ、そのままでいいんだ」と制止される。
シスは癖のある金髪で、近くで見ると存在感を感じさせた。所作や身のこなしや装飾品もそうだが、何よりも目を引くのは腰に携える剣だろう。
その一本の剣は、リベリオの大剣ほどに目を引いた。素人のテルの目でもわかるほどの業物に思え、テルの中で、ソニレ最強の男、という言葉に真実味が帯びていた。
「隣、いいかな」
「どうぞ」
シスは高級そうな礼服が濡れることも気にせずにテルの隣の階段に座った。
「あの、なにかご用が……?」
「ああ、これといった用事はないんだ。ただ、挨拶をと思ってね」
テルは一言一言慎重に言葉をさがすシスという男に、シャナレアが言っていた最強という言葉が当てはまらないような印象を受けた。
「私とリベリオは古い友人だったんだ。でもあるとき喧嘩別れ、というかほとんど私が原因で疎遠になってしまってね。それ以来一度も顔を合わせて話を出来なかったんだ」
「昔っていうと」
「二十年前かな」シスはばつが悪そうに答えた。
思えば、リベリオの過去の話は一度も聞いたことがない。過去を振り返らないような人柄のようにも見えたし、そう演じていたようにも思える。
「リベリオに家族がいると聞いて合ってみたいと思ったんだ」
「俺はただの居候ですよ」
「そうだったのか。いや、さっき声を掛けた少女には嫌われてしまったようだったから……」
「ああ……」
ニアの口数の少なさはそう思わせるかもしれないと思った後で、自分も嫌われていない保証はないとも思った。
少しの間沈黙が流れ、自然の音は一人で聞く分には心地よいが、そうでないときは気まずさを助長させるような気がする。
「リベリオには酷い言葉を言ってしまってね、結局謝れなかった。その勇気がなかったんだ」
「最強らしくない言葉ですね」
弱々しく語るシスに、テルは思ったことを率直に言った。
「その肩書が私にふさわしいと思ったことは一度もないよ」
あっさりと認め自嘲気味に笑うシス。テルは軽口を咎められるどころか、むしろ同意されてしまって居心地が悪くなった。続ける言葉が見当たらず、黙っているとシスは立ち上がる。
「急に押し掛けた上に、こんなことを言って困らせてしまっては、いよいよだな。邪魔をしてすまなかったね、私はこれで失礼するよ。火葬に立ち会えず申し訳ない」
「お仕事ですか」
「ああ、忌々しいことにね」
嫌味なく頭をかくシスにテルはどことない親しさを覚えた。
「頑張ってください」
少し恐れ多いことを言った気がしたが、予想通りシスは気にしない。
「ありがとう。テル君も何かあれば頼ってほしい」
シスはそう言って、階段を下っていった。
取り残されたテルは頬杖をついて、流れていく雨雲を見ていた。
神官がなにかを唱えると、リベリオが入った棺に火を着けた。
この世界だと遺骨は出来るだけ形を残したまま箱に入れて土に埋められる。遺灰は砂と砂漠を連想させ、砂と砂漠は死や災いなど不吉なものの象徴のだという。
魔法の火はあっという間にリベリオの肉を灰に変える。
もとの世界はもっと時間がかかったはずだよな、なんて考えていると、それらの知識と記憶に靄がかかり始める。こんなことにも慣れてきて、こんな場面だからさほど怒りもわかない。
誰もが燃え盛る炎に視線を向け、それぞれなんらかの思い出を辿っている。
ふと横を見ると、ニアが泣いていた。
リベリオの死を知ったときから、今日に至るまで泣かなかったニアが、涙を流していた。
あの日以降、悲しんでいないようにも見えるほどに、ニアは今までと同じように振舞った。テルはニアのためになにかできることはないか考えていたのに、肩透かしを食らったような気持ちにもなった。ニアはそれほど悲しくないのだと勝手に思うこともあった。
しかしそれはテルの勘違いだった。
ニアは一人で悲しみを抱えて、誰にも甘えなかったのだ。弱っている姿を見せて、誰かに寄りかかろうとせず、ずっと一人で立つことを選んだのだ。そんなニアが、涙を堪えきれないでいる。
―――ニアを任せたぞ。
不意にそんな言葉を思い出した。自分の死を確信したリベリオがテルに残した最期の言葉。それが、テルの胸の一部を抉った。
ほとんど衝動的に、テルはニアの手を握った。ニアは少し驚いたようにテルの顔を見上げた。
ニアがテルを嫌いだったとしても、今だけは一人にしてはいけないと強く思った。そんな独りよがりをニアは拒絶しなかった。
ニアは手を握り返して、しばらく音も立てずに泣いた。
「もう大丈夫。ありがとう」
火が燃え尽きたころ、テルにだけ聞こえるくらいの小さな声でニアは囁き、手を離した。
ニアの視線は真っ直ぐ前を向いており、ついさっきまで涙を流していたとは思えないような凛とした顔立ちが純白の髪越しに見えた。
以前までの燻りがいつのまにかきれいさっぱり消え去った。そのかわり、別の何かが新しい火種がちりちりと音を立てて燃えている。そんな見知らない熱を感じていると、いつの間にか日が差し込んでいる。
不意に出てきた日の光にテルは目を眩ませながら、雨雲がどこか遠くへ行ってしまうことを祈った。
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