第2章 君の戴く王冠
第2章1話 新しい生活に向けて①
テルがノックをすると、返事もなくドアが開かれた。
背の低い桃色の髪をした自称老婆は、睨むようにテルを見上げている。
テルから漂う、用がありげな雰囲気を敏感に察知したヒルティスは顎をくいと出して、中に入るように促した。
「お邪魔します」
テルがそういっても返事はなく、そのまま台所へ向かいお茶を入れている。
「あの、お構いなく」
「あんたのためのじゃないよ。私が飲みたいんだ」
「そ、そうですか」
遠慮した物言いを突っぱねられて、大人しくヒルティスを待つことにしたテルは、比較的片付いているダイニングテーブルと椅子を見つけ、座った。
ヒルティスの家の一階には、裏路地に位置するという理由で、外の陽光を取り入れる窓が一つもない。そのかわり、吹き抜けになった二階の出窓から、唯一光が差し込んでいた。
日の当たるしっかりと明るい場所があるせいで、今自分は頼りない照明だけの仄暗い場所にいることをきっぱりと告げられている。
ヒルティスは背伸びをし、短い手を伸ばして、テルの前に紅茶の入ったカップを置いた。
視線を戻すと、ヒルティスが正面の席に座っており、手元には彼女の分のカップが収まっている。
結局淹れてくれたのか、と呆れるような、ありがたいような気持ちになり「いただきます」と小さく言って、口をつけた。
「それで、一体なんの用なんだい」
ヒルティスの言葉はイラついているようにも聞こえたが、目元は穏やかで、卵のように張った子供の肌には皺が寄っていない。
「話があってきました」
「私と雑談でもしにきたのかい」
「そういえば、なんでリベリオの葬儀に来なかったんですか?」
「それが本題なのかい?」
テルが抱いていた疑問をふと思い出して問うと、脱線していることを見抜いたヒルティスが少し苛立たし気に眉をぴくりと動かす。
「い、いえ、違います」
ヒルティスは湿度のある視線をテルから外すと、ため息とともに「まあいい」と吐き捨て、
「弔いの場には行かない主義なんだよ」
と躊躇いも着飾りもなく答えた。
外見からは想像もつかないほど長い年月を生きていたというヒルティスは、きっと自分独りだけで人の死の乗り越え方を知っているのだろうと強引に納得する。
実際あの場で、テルは落としどころのような物を見つけた気がするし、今はその話をしに来たのだった。
「さっさと本題を話しな。私も暇じゃないんだよ」
「ニアのことです」
威嚇するようにしゃがれた声を出したヒルティスは、ニアの名前を出すと攻撃的な気配を潜ませる。テルはそれから、視線の置き場に困らせたように色々な方向に目を泳がせ、最後に唯一光をもたらす出窓を見上げるようにして、息を吸う。
「どの口が言ってるんだって俺も思いますが、ニアと一緒に住んで貰いたいんです」
テルはテーブルに手にあるカップを見ながら言った。ヒルティスは案の定、目を鋭く細めテルを射貫くように見る。
「リベリオにニアを頼むと言われました。でもニアのことを考えるとそうするのが一番だと思うんです」
「はあん、私に押し付けて逃げるってことかね」
「そうじゃありません。どう考えても俺にできることが少なすぎます。勝手な憶測ですけど、ニアが今一番心を許しているのはヒルティスさんだと思うんです。信頼出来る人が傍にいてくれたらそれが一番だと思います」
「やっと慣れたあの家を追い出すのかい?」
「ニアが家に残りたいというならヒルティスさんに来てほしいです」
「私には家を捨てろと言うわけだ」
辛辣でわざとらしく意地悪なヒルティスに、テルは怯えを隠して真っ直ぐ頷いた。睨み合うような時間が少しだけ続くとヒルティスは鼻を鳴らして笑った。
「テルが面倒ごとを押し付けにきたんじゃないのはわかったよ」
懐から取り出した煙管を口に咥え、魔法で火をつけるヒルティス。紫の煙が立ち上り、光に当てられ拡散していく。
「でも、お断りだよ。私はもうこの村を発つ。だからその頼みは引き受けられないね」
「え、なんで」
テルが小さな声で驚くと「はじめからそのつもりだったのさ」と微笑みかけるように言った。
「リベリオが満足するまで傍で見守るつもりだった。面倒は最後まで見る主義なのさ」
「ニアは……」
そうじゃないんですね、という言葉は堪えた。ヒルティスは怒ることもせず、
「それとこれは別の話なのさ
と、独り言のように言った。
「面倒は最後まで見る」という、どこか聞き覚えのある言葉は不思議と説得力があり、
テルはそれ以上食い下がることなく「そうですか」と言って、視線を落とした。
「それに、ニアは私にも口を聞かない。私が一方的にお節介を焼いていただけだ。あんたもニアにそうしてやればいい」
落胆するテルを励ますような言葉。きっとリベリオも、幾度となくヒルティスからこんな風に助言を受けていたのだろう。
ヒルティスはもう一度高窓に目をやると、煙管を吸う。管に詰められた葉がちりちりと焼ける音がする。
「それに、ニアも自分の足で立ち上がる頃合いだ」
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