第1章34話 最適な人選①
騎士庁舎のあるセントコーレルはこの地域でもっとも大きい町だが、そこまでいくのに、自分の足以外は持ち合わせていなかった。
数時間走り続ける覚悟を静かに決めていたときに、避難して空き家になった家で馬が置いてけぼりになっているのが目についた。
飼い主も馬と一緒に避難させたかっただろうが、致し方なく置き去りにしたのだろう。
おそらく二人とも同じ考えを口に出せず言い淀んでいただろう。
「盗むわけじゃないし、ちゃんとあとで返そう」
最初にそう口を開いたのはテルだった。
「ああ、火事場泥棒なんてなりたくない」
近づいて手を出してみると人懐っこく、嫌がる気配はない。
テルは簡易の鞍を作り、カインが手綱を握った。
騎士庁舎の所長はシャナレア・ワンズは大貴族出身で若くして騎士庁舎のトップに君臨するエリート中のエリートらしい。
頭がよく実戦経験もある。そのうえ美人で非の打ちどころのない人物というのが世間の評判だという。
話をするなら、騎士庁舎の所長に話をするべきだ。そう言ったカインは、馬を繰りながら、所長の概要を説明した。
なぜそんなに詳しいのかカインに尋ねると、曇った顔をして「リベリオとその人は仲がいいそうだよ」と答えた。
どうしてそれでカインが苦々しい顔をするのかは不明であったが特に追及はしなかった
騎士庁舎の扉を開けると、狂乱といって差支えないほどに人の声がごった返していた。
しかし、そこに騎士と思われる人の姿は全くと言っていいほどいない。そこにいる人すべてが、騎士庁舎で魔獣の大群からの侵攻を食い止めるために集められた職員達であった。
これほどの混乱状態なので、受付に人はおらす、顔を出して覗いてみると、比較的若い女性と目が合った。
「ごめんなさい、いま一般の受付は中止しているの」
女性からは疲労感が滲み出ていた。書類が入った箱を腕に抱えており雑務の真っ最中といったところだ。
「緊急の案件です。所長に面会させてください」
カインが前に出て交渉を持ちかけると、女性は首を横に振った。
「申し訳ありませんが、所長は現在お取込み中ですのでまた後日お越しください」
女性の目には質の悪いイタズラをするガキに対する軽蔑が籠っていた。丁寧な応対は最も効果的に拒絶する術のようにも思える。
「緊急事態なんです。僕はカイン・スタイナー、リベリオ準特位騎士の弟子です。シャナレア所長にどうしても伝える必要があるんです」
「だめです。帰っていただけないのなら、警備のものを―――」
もどかしそうに食い下がるカインにも女性は眉一つ動かさない。しかし冷徹だった対応の女性だったが、言葉の途中で不意に黙りこんだ。
「……はい、承知しました」
独り言のように、ここにいる誰にも向けられていない言葉を言うと、
「所長からの許可が出ましたので、ご案内します」
受付の女性は、伏し目がちにそう言った。
頑なに拒否の姿勢であったのにどういう風の吹き回しかとも思ったが、何も言わずに後をついて行った。
所長室はロビー以上に人であふれていた。書類とにらめっこしている人もいれば、怒鳴り散らす者、そのものに何度も頭を下げるものもいる。しかし、不思議なことにここにいる人達の大半が独り言を話している。
違和感を覚えつつも、女性に案内されてその奥の部屋に入った。落ち着いた調度品にローテーブルとソファそして紙の束の山。部屋の半分が物置として使われているそこが客室であることはすぐにわかった。
そしてその部屋には独特の雰囲気を放つ薄水色の髪をした女性が一人。
カインの話していた特徴と結びつけるに、この人が所長のシャナレアであろうことがわかる。確かに美人であるが、そのかすかに笑っているような表情は、喜んでいるようにも怒っているようにも見えて不気味さを感じる。
シャナレアはこちらの存在に気づくと視線を上げて口を開く。
「せっかく来てくれたというのに、騒がしくてごめんなさい。何分こちらも息つく間もないほど忙しくてね」
予想外に砕けた物言いをしたシャナレアは、二人の顔を順番にみると首を少し傾げた。
「カイン・スタイナー君はわかるけど、隣の君には見覚えがないな」
「弟弟子のテルです。この間騎士登録をしました」
カインが代わりに紹介をしてくれたところ、シャナレアは「ああ、君が例の」となにか合点がいったというように頷いた。
「私はシャナレア・ワンズ。リベリオの新しい弟子でしょう? 話して見たいと思っていたんだ。それで、そんなリベリオの弟子達が揃ってなんの用かな?」
機嫌がよさそうに足を組むシャナレアだが、どうも目が笑っていない。
シャナレアの砕けた雰囲気で和らいでいた緊張は、すべて彼女の気分次第で操られているようだ。
「シャダ村の外れの森で、魔人と遭遇しました」
シャナレアの視線が鋭くなった。
「……申し訳ないけど、立場上すぐに鵜呑みにはできないの。詳しく話を聞かせて。内容を聞いてこちら情報の正誤を判断します」
話を頭から否定されたらどうしようという不安があったので、テルは少しだけほっとしつつ、女の子が助けを求めてきたところからひとつづつ漏れがないように説明した。
「上位魔獣ヒトモドキに四つ腕の大猿は異常個体のモモワヒヒかな。そして、『獣』の魔人ティヴァ」
シャナレアはそれだけ呟くと考え事をするように口に手を当てた。
「魔人の個別名称や上位魔獣など一般公開していない情報だ。魔人が口にしたお姉さまという存在やソニレの崩壊の話云々はまだ何とも言えないけど、テル君の話は嘘ではなさそうだね。君の言葉を信じます」
君の言葉を信じる。シャナレアがそう口にしたことで、テルの緊張が一気に解けた。
魔人に殺されかけてから今この瞬間にいたるまでが、とても長い時間に感じたが、いまこうして無力な自分にできる精一杯の事を果たしたのだ。
「でも、困ったな」
ふいにシャナレアがこぼした言葉はテルの晴れ渡ったような気持ちに一つの雨雲を生んだ。
「いま特位は三人中二人がソニレにいない状態で、今は防衛ラインの維持で手一杯なんだ」
シャナレアはなんでもないような口ぶりでそう言った。それがどれほど深刻なのかテルはいまいち理解できない。
「わからないって顔をしてるね。記憶喪失らしいし仕方ないから説明してあげよう」
自分のことを話した覚えはないのになぜそんなことを知っているのか、困惑するテルの顔をシャナレアは覗き込むように言った。
「およそ一年に一度ある魔獣の総攻撃は終了する条件が三つある。一つはおおもとの原因である魔人を打ち取ること。これは絵に描いた餅だ。成されれば魔獣との戦争はこれっきりで終結になる。私たち騎士庁は創立以来その目標を掲げているが、いまだ実現には至っていない」
シャナレアは人差し指をあげて言った。その声に口惜しさなど情熱的なものはない。ただ耐え忍ぶために備えた無感動さが伺える。
「次にこの国が攻め落とされること。これは言わずもがなだ。いまだ現実にはなっていないが、今回もそうとは限らない」
そういって二本目の指を立てる。
「そして三つ目。魔獣の生産の拠点、
「母胎樹?」
シャナレアは「そう」と頷いて三本目の指を立てた。
「戦争で群れをなす魔獣は、ほとんどこの母胎樹という魔獣に生み出されている、言わば親玉のようなものだよ。この魔獣がいなくなれば魔獣の発生は収まる上に、全体の統制が乱れる。過去の戦争は全て母胎樹を討伐する形で終わっている」
腕を下ろすと、足を組みなおし、ソファに深く座る。
「母胎樹の場所はいつもわからないから、戦争のたびに捜索隊を出しているんだけど……」
そこまで言うとシャナレアはため息をつく。
「今は絶望的に人員不足でね、捜索隊を出すことも儘ならない状態なんだ」
「それは、つまり……」
「魔人を討伐する余裕なんてない」
カインが吐き捨てるようにいうと、シャナレアは「そのとおり」と他人事のように微笑んだ。
「我が国は、今まさに滅亡の危機に瀕しているんだ」
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