第1章23話 自分を写す鏡
その日リベリオは遅くなると伝えられていたので、ニアと二人で夕食を食べたあと、時間を持て余したテルは、暇つぶしに特訓をしていた。
前回の遠征で、剣術の至らなさと使える魔力上限の低さという新たな課題が見つかり、日中の魔獣狩りのあとも鍛錬に励んでいた。筋トレはもちろん、使える魔力総量と『オリジン』により物の生成速度をあげるための、スクラップアンドビルドのトレーニングだ。
今日は満月で明るかったため、いつもより長く鍛錬をして、家に戻るとニアはすでに部屋に戻っていた。
汗を流した後、リベリオの帰りを待つ。今日はいつもより遅いなと独り言を言いながら、児童向けの短編小説のページをめくっていると乱暴に玄関が開かれた。
肩を震わせてドアの方を見ると、リベリオが眉に皺を寄せて立っていた。
過去に帰宅したリベリオの機嫌が悪いことは数回あったが、ここまであからさまに、しかも物にあたる場面を目撃するのは初めてだった。
「お、おかえり」
テルが控えめに言う。なかなか返事がないので、それほどのことがあったのかと考え始めていた矢先、リベリオはその場で崩れるというよりは溶けるといった様子で、地面に倒れた。
「ただい、まぁ」
「おい、大丈夫か……って酒臭っ!」
リベリオは呼気から衣類にいたるまで酒臭さを纏っており、駆け寄ったテルは思わず顔を顰めた。
「嘘だろ、もう寝てる」
肩を揺すっても反応のなく、安らかな寝顔で少々やかましい寝息を立てるリベリオ。しかし、玄関の敷居をまたいで横たわっているので、ドアを閉めることもできない。
このまま放置することも考えたが、人狼の一件以来、防犯意識の高いテルは、リベリオを引きずって室内に入れて、ドアと鍵を閉めた。
「ぐうぅ、くうぅ……」
そこまでするとやっとうめき声を上げたので、意識が僅かでも浮上したタイミングで思い切り肩を揺らしてリベリオを起こしにかかる。
「ほら、起きろ。風邪ひくぞ!」
「ああ、うん。おきる、おきた、わかった」
リベリオはのっそりとした動作で、起き上がるが、横にふらついて転びそうになっている。テルは支えになろうかと、リベリオの肩を掴むが、
「だいじょうぶ、歩ける。でも一杯水が欲しい」
といって、手を付きながらテーブルに座った。
テルは言われた通り水を汲んでリベリオの前に置くと、リベリオはあっという間に飲み干して「もう一杯」と呻くようにいった。
「ああ、落ち着いてきた」
それから何杯かを一気に飲み干すと、到底そうだとは思えない声で言った。
「すまん、迷惑かけた」
肘をついて重い頭を支えるようにしてリベリオが謝る。
「別にいいよ、吐かれてないし。水汲んだだけだし」
テルは立ったまま腕を汲んで、いまだに頭が上がらないリベリオの様子を見守っている。
リベリオが酔っぱらうことはこれが初めてではなかった。家のなかで飲むことはほとんどないが、外で飲んで酒気帯びのダル絡みを何度か受けた。リベリオは酒が好きなようで、絡む度にどうして一緒に飲めないのだと嘆いていた。
そういうときは、ニアは必ず早めに部屋に引き上げていたので、彼女にはなにかしらのセンサーがあるのかもしれない。
「こんなにべろべろなのは初めてみたけど」
テルの独り言にリベリオは「んぅ?」と間抜けた声を出してやっと顔を上げた。テルが首を振ってなにもないことを伝えると、「そうかぁ」と言い、腕の支えを貫通してテーブルに頭から落ちた。しかし、すぐに向くりと起き上がるとテルの顔を細めた目で見た。
「なんでこんな時間まで起きてるんだ?」
「ああ、うん。ちょっとリベリオに話があって」
「話?」
「別に今度でもいいけど」
テルがそういうと、リベリオは倒れていた体を背もたれにまで持っていった。
「いいや、大丈夫だ」
「無理はしなくていいよ」
「昔から酔いが醒めるのは早いんだ」
その言葉通り、呂律は先ほどより明らかにはっきりしている。頭痛がするのか時折こめかみを抑えるが、支障はないようだ。
「わかった」
テルは椅子を静かに引いて腰を下ろす。
どう切り出そうものかな。切り口を探るように頭を巡らせる。しかし、切っ掛けや動機なんかをくどくど話すよりも、端的にことを伝えるのがやはり一番わかりやすいだろう。
「俺、この家を出ようと思うんだ」
リベリオは目を瞠って、少し黙ったあとに「ああ」とか「いや」とか「ううむ」とか色々口から音を洩らして最後に深く息を吐いた。
「……ここを出てどうするんだ?」
リベリオは酷く後悔したような表情をしていた。それは、こんな子供に育てたつもりはない、というよりもやはり酒が残った状態で聞くべきじゃなかったというような内省だ。
「魔獣狩りとしての生計の立て方は一通りわかったから、それでお金を稼いで色々な場所を見て回ろうと思う」
「どうして?」
「それは―――」
「記憶を取り戻す刺激を得るために?」
リベリオは慎重な言葉選びでテルに問う。
「半分は当たっている」
「もう半分は?」
「……自分でもよくわからないんだ」
テルはそういうと視線を落とした。テーブルには空のコップが一つあるだけだ。
「考えるんだ。自分のこと、過去のこと、未来のこと。でもその過去も未来もわからないから、唯一わかる今の自分に目を向けると不安と焦りで一杯になるんだ。もとにいた場所に戻りたい気持ちはないけど、ただ俺が呑気なだけで、記憶が戻ったときはもう後戻りできない状態なのかもしれない。だからずっと何かしないとって気持ちがぐるぐるしてて」
とりとめのない言葉が捻った蛇口のように流れ出した。しかし、ふと正気になって蛇口を閉め、視線を上げるとリベリオは黙って話を聞いている。
自分の髭を撫でつけて、テルの言葉を飲み込むと、ゆっくりと口を開いた。
「なにかに駆り立てられて、その恐怖を誤魔化すために必至になにかに打ち込むっていう気持ちはよくわかるんだ。俺も昔同じように色々なものをすり減らしていた時期があったから」
リベリオは真っ直ぐテルに向けていた視線を、すこし上に逸らして、なにかを懐かしむように口元を緩ませた。
「そのときは周りに相談しても、『皆、同じ苦しみを持ってる』って言われて苛立ってたよ。その人は時間が解決してくれるって、一人じゃないって言いたかったんだと、今になってはわかるんだけどな」
リベリオは自嘲気味に肩を竦める。しかし、表情には過去に執着して、面影に捕らわれている気配はない。
「でも今は、時間以外が解決してくれることも知っている。だから、お前が旅に出るのは止めないよ」
「え、止められると思ってた」
「まあ、正直かなり不安だけどな」
目を丸くするテルに、リベリオは揶揄うように笑いかけた。
「人は、一人じゃ人でいられないんだ。誰かに頼られて誰かに頼ったとき、人は初めて自分の輪郭に触れることができる。他人は自分を写す鏡なんてよく言う話だ。だからテル、沢山の鏡を探すんだ」
テルは静かに頷いた。今は、心に空いた空洞がほんのすこし塞がれて、呼吸が軽くなった気がした。
「一つ聞きたいんだが」
席から立とうとしたとき、リベリオに呼び止められた。
「なに?」
テルが向き直ると、リベリオはきまりが悪そうに頭を掻いた。
「この家は居心地が悪くなかったか?」
テルは一瞬キョトンとしたが、いまさらなにを訊いているのかと思わず噴き出した。
「ニアとはほとんど言葉を交わしていないし、カインはまあまあ嫌なやつだけど、それも含めてこの家は好きだ」
思ったことをありのままに言うと、今度はリベリオが面食らったような顔になったが、すぐにいつもの適当で気取ったような顔になる。
「それなら、ここはお前の帰ってくる家だ」
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