第1章24話 カルニ地方
天気は晴れていて、風も強くなく、何事もない。テルの旅の出だしはおよそ順調な滑り出しだった。
テルはリベリオに、心境を打ち明け、旅立ちを許されたその二日後に出発した。
「そこまで急がなくてもいいんじゃないか、と言いたい気持ちはあるが、思い立った勢いがあるうちに実行しちまったほうが上手くいくかもな」
そういったのはリベリオだったが、概ねテルも同感だった。
前日は、準備をして、いろんな人に別れを告げていたらあっという間に日が暮れた。
カインに旅立つことを言ったとき、テルはリベリオの弟子と名乗るなよなどと口にするかと思っていたが、意外にも少し寂しそうな顔をしていた。
「どうした、寂しいのか?」
テルは揶揄うようにしていうと、
「最近賑やかだったからね」
と素直な面持ちで、テルはひどい肩透かしを食らった気分だった。
「別に今生の別れじゃない」
そんな言葉を互いに交わしてカインとは別れた。予定なんてなにも決まっていないが、その言葉を嘘にするつもりはなかった。
予想外だったカインに対して、ニアは予想通り
旅を出ることを告げると、ニアは僅かに動きを止めるようにした。テルがそのまま別れを言って手を差し出すと、ニアは迷わず握り返した。
コミュニケーションとは呼べないが、そんなやり取りで十分に言葉を送られたような気持になった。
村のチビッ子三人も寂しそうにしてくれたし、ヒルティスにも一応声をかけた。
荷物の準備に関しては、あっという間に事が済んだ。というのも、テルの『オリジン』で食料品以外の者は大抵用意できてしまうからだ。
ただでさえ経済を回せていない罪悪感があるテルには、おそらく手を染める機会は巡ってこないだろうが、その気になれば貨幣や宝石を作り出してしまうこともできる。
いままで一辺倒に戦うための武器ばかりを作ってきたが、この『異能』は恐ろしい力だということを実感する。
「オリジンがバレるのもやばいし、犯罪に利用されそうなのもやばい」
この認識で、人前で異能を使わないように気を付けていれば、そうそう異能きっかけで危ない思いはしないだろう。
「それにしても疲れた」
テルは木陰に腰を下ろし、地図を広げる。この地図はリベリオに貰ったものであり、『オリジン』で再現できない代物なので丁重に扱わねばならない。
今日は早朝から出発し、コーレル地方の隣のカルニ地方を目指して街道をひたすら歩いていた。
このあたりの街道には魔獣は多くなく、小さな村をたまに見かけるので、現状まだ不安はない。穴が空くような目でじっと地図を見ていると、端のほうに小さな縮尺が書かれていることに気が付いた同時に、この調子だとカルニ地方まで三、四日かかることが発覚した。
「王都に着くのはいつになるのやら」
そう呟くと、この先の同じ景色の街道が変化もなく延々と伸びているような錯覚に陥りそうになる。
リベリオに旅を許されたとき、二つの条件を言い渡された。
一つは、戦争に参加しないこと。二つは、最初に王都に向かうこと。
一つ目の戦争とは、以前カインが話してくれた、魔獣の異常発生のことだろう。カインからこの話を聞いた時、いずれ自分も関わることになるのだろうかと、身震いしていたので、これに関しては願ったり叶ったりである。
二つ目の条件は、正確に言えば、ただのおつかいである。
「最初に王都に行ってこれを俺の知り合いに渡してきてくれないか」
そういってリベリオからなんの変哲もない手紙を渡された。宛名には「ブラックガーデン殿へ」と厳かで迫力のある名前が書かれている。
「間違えずに届けられる自信がないんだけど」
「大丈夫だ、通りすがりの人に聞けば丁寧に教えてくれるさ」
そんなことあるのかと怪訝な顔をしたが、リベリオはそれ以上取り合ってはくれなかった。テルにとっても、この手紙は唯一、旅のあてだった訳だし、厳密な旅程を組んでいたわけでもないので、手始めにこの手紙を届けるため、王都に向かうことにした。
王都とは、文字通りソニレ王国の首都をさし、地図には「王都カナン」と書かれている。地図上でみると、コーレル地方からそれほど離れているようには見えるが、じっさいには馬車で丸二日かかる距離のようで、歩きだけで移動すればどれだけ時間がかかるか見当もつかない。
始めリベリオは、馬車の移動を勧めていたが、テルは出来るだけ出費は節約したいといって、その提案を断った。
テルの所持金は、カインと山分けした三つ首の報酬と、テルが倒した人狼の報酬、あわせて一か月くらいはなんとかもちそうなだけの金を持っていた。なので、いまになって馬車の運賃程度なら使ってもよかったなと、後悔の念がむくむくと膨れていたところで、地面から小刻みに振動が伝わってきた。
街道の向こうから大きな馬と馬車が土煙を立てながら近寄ってくる。
テルは大旗を作って人に見られるのも嫌だったので、カバンから白い服を取り出して精一杯に振った。
テルの思いが通じたのか馬車はテルの前で止まった。テルが乗った馬車は、乗客ではなく、荷物を大量に乗せている。
「どうした、坊主」
高い位置にある御者席から顔を覗かせた髭の生えた男がテルに向かって、周りがうるさいわけでもないのに叫んだ。
「カルニに行くんですかー?」
「おう」
テルも負けじと大声を出すと、また大声が帰ってくる。
「乗せてくださーい!」
テルがそういうと、男は顔をひっこめてしまった。
まあ、そう上手くいくはずもないか。小さくため息を着いたところ、御者席から紐で木の棒を括った、簡易的な梯子が下ろされた。
「狭いけど、我慢しろよ」
「ありがとうございまーす!」
そう叫び返してテルは梯子を上った。
御者席はテルが想像していたよりは、狭くて揺れた。
定員は二人のようだったが、御者席ともう一つは予備席でほとんどあってないような、人が満足に座れる広さではなかった。結果、酷い車酔いに陥った。
御者の男はそんなテルを見かねて、気を紛らわせるために色々と話しかけてくれたが、テルはそれどころのじょうたいではなく、何を言われても「あー」や「うん」しか言えなかった。
日が暮れ始めたころ、やっとカルニ地方に到着した。
「兄ちゃん大丈夫か?」
「は、はい……ありがと、ございました」
「悪かったなあ、こいつ運転が荒くってよ」
男は、そういいながら巨馬の前足辺りを撫でる。すると、巨馬は褒められていると勘違いしたのか、ぶるると鼻を震わせた。
「全然平気、です。ほんと、ありがとう、ございました」
テルは気分が悪すぎて顔を上げられないが、精一杯の感謝を述べると、男は豪快に笑った。
「そうかそうか。じゃあもう行くからよ、旅気ぃつけてな」
そう言い残し、あっという間に遠くに去っていく馬車。テルはそれを確認すると、狭い歩幅で歩き出した。
カルニ地方は、コーレル地方の東に位置し、そこから南にある王都と隣接しているからか、僻地のコーレルに比べると断然都会らしい。
コーレル地方もカルニ地方も、どちらも市街地の外側には立派な防壁が気づかれており、テルが降り立った場所は都市部なだけあって、防壁も幾重にも立てられており、防壁ごとに区分けされていた。
セントコーレルにも大きな防壁があり、そこを潜ったのだが、今テルがいるセントカルニにはいるときに防壁を潜った記憶がないのは車酔いの具合が悪すぎたせいだろう。
テルは川沿いにたって、見損ねた防壁に思いを馳せたが夜暗くなってしまえば、見えるはずもない。
その代わりというように、川向こう側に見える建物の明かりを見ていると、思いのほか立派な夜景で懐かしい気持ちになった。
夜になっても食事をする気にもなれず、あてもなく散歩をしていたテルはこの川を見つけたのだ。少し離れたところに大きな橋がかかっており、馬車の明かりが絶えず往来をしている。
王都カナンはあの橋を渡り、そこから南に下る必要があるので、明日になればあの橋を自分も渡っていると思うと、車酔いで萎びていた心が再び弾みだしたような気がする。
「とりあえず、今日寝る場所を探さなくちゃ」
御者の男に安い宿を教えて貰えばよかったなと思いながらテルは呟くと、その場を後にした。
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