第1章9話  幸い中の不幸

 目蓋越しにかかる眩しさがどうしようもなく鬱陶しくなって、自分が今まで眠っていたことに気が付いた。


 腕で目を覆い隠して二度寝に突入してもよかったが、自分が眠る―――否、意識を失う直前の記憶が引っ張り出された。悲惨なほど破壊された足、体の熱を奪われるほど浴びせられた殺意、死に直面する恐怖。


 それらに引きずられるように飛び起きたテルは、自分の置かれている状況が拍子抜けで思考が停止した。


 目を覚ますとそこは、所々が散らかり、壊れているリベリオの家だった。

 テルはソファで横になっていたようだ。


「起きたよ」


 覚えはあるが、馴染みのない声を出したのはニアだった。そんなシルクを思わせる優しげな声の後、それとは正反対に豪快な足音が聞こえ、すぐにそれがリベリオだとわかった。

 どんどんと床を踏みしめ、凄まじい勢いでテルに接近すると、頭をがっしりと掴み、テルの頭を乱暴に揺する。


 「痛い痛い」と悲鳴を上げてもお構いなしで揺すり続ける。これは何かの罰なのか。しかし、リベリオの表情を見る限りずいぶん機嫌がよさそうなので意味がわからない。


「お前よくやったよ!大したもんだ!」


 リベリオの言葉で、この拷問が撫でて褒めているつもりなのだと合点がいく。

 我慢の限界で、その手を振り解くと、リベリオは機嫌の良いまま「悪い悪い」と言って、数歩後ろに引き下がった。


「戦いの経験のない素人が、上位の魔獣を退けるなんて奇跡だぞ!」


 多少落ち着いたようすでリベリオは腕を組んだ。


「じょういのまじゅう?」


「ああ、これがその魔獣の魔石だ。売れば結構な額になる」


 リベリオが懐から掌に収まるくらいの球体を取り出す。深い青に赤い筋が差し込んだものが中央に向かって渦を巻いている。一度見てしまえばそのまま飲み込まれてしまいそうな存在感があった。


 しかし、それはテルの質問の答えになっていない。


「いやそうじゃなくて」


 テルが困惑しているのをリベリオは「ああ、そういうことか」と察した。


「上位の魔獣は、考える頭のないただ突撃してくる魔獣とは訳が違う。知恵がある奴もいれば、稀に魔法を使ってくる奴もいる。基本は上位騎士以上の者に討伐要請がいくんだが」


 あの人狼も初めは人間の振りをしていたことを思い出す。言葉を交わしたり意味を理解している様子ではなかったが知能は持ち合わせていた。


 それをリベリオにいうと、僅かに真面目な顔になるが、すぐにそれまでの明るい顔に戻った。


「よくそんな魔獣を倒したもんだ」


 そう言って今度は肩を叩き始める。やはり生半可な威力ではない。


「痛いって!傷が開く……?」


 そう口にしてから首を傾げた。人狼に折られたはずの右足や、強打した傷、その他諸々の痛みが全くなくなっている。


「あれ、痛くない」


 恐る恐る足を触ると、腫れもきれいさっぱりなくなっていた。


「ああ、それはニアが治したんだ」


 リベリオがニアのほうを見るので、それを追いかけるようにテルも振り返ってニアを見た。呼ばれたのかと勘違いしたニアが小走りで寄ってくる。


「ニアは神聖魔法が使えるからな」


 リベリオが自慢げに言う。不意打ちのような痛みから怯えるように立ち上がるが、やはりどこも健康そのものだ。


「あんな重傷でも治せるのか。神聖魔法ってすごいな」


「どこも痛まないか?」


 こちらを覗き込むようにするニアの台詞を代弁したかのようにリベリオが尋ねた。


「ああ、むしろ前より元気になった気がする」


 大げさな物言いだったが、テルに嘘のつもりはなかった。


「ほんとありがとう」


「うん」


 微かに声を出し控えめに頷くニアは相変わらず無表情だが、どことなく緊張が解れているような気がして、テルも胸を撫でおろす。だが、ふと目が合うと先の出来事を思い出し、咄嗟に口が動いた。


「さっきはごめん。嫌な気持ちにさせた」


 ニアは少し黙るがすぐに柔らかい声で


「うん。私も、ごめんなさい」


 そう短く返した。


 ニアは元居た場所に戻り、散らかった瓦礫の片付けを再開し始めたので、テルも手伝おうとしたところリベリオに止められた。


「まだ休んでろ。怪我が治っても、無かったことにはなってないんだ」


 珍しく優しくされるので「そっか、わかった」と素直に答え、さっきと同じように座ると「そういえば」とリベリオが言った。


「剣もなにも持ってなかったのにどうやって魔獣を倒したんだ?」


 まじまじとリベリオに見られてテルははっとした。今まで肝心なことを忘れていた。


「そうだ、俺、魔法が使えたんだ!」


「魔法?」


「そう、ただ黒い砂が飛び出すだけだと思ってたけど、そうじゃなかったんだ」


 テルは意気揚々と掌をリベリオに見せるように手を掲げる。そこから徐々に黒い砂が意思を持ったように舞い始める。


「あれは『もと』みたいなものなんだ。俺があのとき剣が欲しいって思うと何も持ってなかったはずなのに剣があったんだ」


 テルが言い終えると頭の中で、先ほど手にした剣を思い浮かべる。掌の上で浮かぶ黒砂は急激に質量を増し、集まり、一つの形を成していった。すると、そこには何の変哲もない剣がテルの手にあった。


「おお」


 感嘆を漏らしたのはテル自身だった。憧憬を抱いていたものとは少し違いはすれど、それらしい魔法と呼べる現象を発現させることができたのだ。


「これって何属性の魔法?」


 目を輝かせてリベリオのほうを向く。しかし、そんなテルとは打って変わって、リベリオは深刻な表情で黙り込んでいる。


「リベリオ……?」


「浮かれているところ悪いが、それは魔法じゃない」


 落ち着いたあまり温度を失ったリベリオの声が、テルの興奮を掻き消した。


「それは『異能』といって、魔法とは似て非なるものだ」


 リベリオのまとう雰囲気が、一気に重くなる。声は決して荒げていない。しかし、怒りでも悲しみでもない激しい感情を隠した無表情で、空気が張り詰めている。


 ため息をついたリベリオは、間を置いてもう一度、口を開いた。


「お前が使っている『異能』は、この世界の禁忌だ」


 怒っている訳ではないことはなんとなくわかった。しかし、そうだとわかっていてもリベリオから発せられる静かな圧でテルは口を噤む。


「そうか、異能のことを知っているはずもないか」


「……」


 テルの無知に対する呆れと諦めを僅かに覗かせると、リベリオはテルの隣に座り、今よりも少し優しげな、出来の悪い子供を諭すように言葉を続けた。


「世界や人類の始まりが記された教典という本がある。そこに書かれていることは今でも多くの人が信じているし、ほとんどの国がそれに則って法を敷くんだ」


 すると、リベリオはすっと息を吸い、何もないところに視線を上げた。


「神は、彷徨える人々に五つの色の魔法を授けた。神はその魔法は人を支え育むものであり、そうでないものは禁忌の異能として神が管理するものであると仰った」


 迷うことも息継ぎをすることもなく言い切ると「これは教典の一節だ」と付け加える。


「まあ、単純な話、人殺しや盗みと同じように、異能は使っちゃいけないことだっていうのが、世の中の人の共通認識だってことだ」


「じゃあ、俺はこのまま異能を使えないってこと……?」


「あくまで宗教の教えだ。絶対禁止ってわけじゃないし、使ったから即刻処刑だってことはない」


「即刻牢屋行きになることはあるんだ……」


 いくら待ってもリベリオが否定してくれる気配はないので、テルの顔から血の気がみるみる引いていく。


「でも、ほら、あれだ。もし、それでも異能を使いたいなら、テルの異能は土属性だって言い張れば、ぎりぎり周りも納得してくれそうだし、そう落胆することじゃないさ」


 あからさまに落ち込むテルに、ぎこちなく慰めるリベリオ。当然、そんな言葉では、異能であると判明する前の勢いが戻ってくるはずもなかった。

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