第1章10話 オリジン
その晩、テルは体に落ち着きが戻らず、床についても眠れずにいた。長い間、気絶していたのもあるだろうが、いつまでも来ない眠気を待ちぼうけるのにも嫌気がさして、体を起こした。
軽く深呼吸をして、掌から黒砂を生み出し、剣へと姿を変える。汚れも歪みもない刀身が月の明かりを反射した。刃の部分を軽く指でなぞると、その指に浅い切り傷ができて僅かに赤い血が零れる。
「やっぱりちゃんと切れるんだな……」
小さく呟くと、持っていた剣があっという間に黒砂になって、消滅した。これも、テルが意図してやったことだ。作り出すことも、消し去ってしまうのもテルの思うまま。
自分の可能性が膨らんだ気がして、高揚感があったが、同時に罪悪感もあった。
先ほどのリベリオの慰めには、注意を促すだけで使用を禁じることはなかった。テルの心中を慮ったのかもしれないが、言葉の裏や表情にできれば使ってほしくないという思いを感じ取った。
しかし、もしリベリオが真っ向から「異能を使うな」と言っても自分はきっと言いつけに従わなかっただろう。例え身の安全が脅かされたとしても、それ以上に自分にできることがあるという実感が欲しかった。
この異能を用いて富や名誉が欲しい訳ではない。それでも何か行動せずにはいられない理由を、テル自身はっきりした答えを持っていなかった。
ただ、漠然とこの異世界を生き延びた先に何かが待ち受けていると、そのために備えをしなくてはいけないという予感が、胸の奥で、無視できないほどの熱を放っていた。
どこに向かっているのかはわからないが、その歩幅を少しでも広く、その歩速を少しでも速くしなくてはならない気がした。
それはこの余熱が、記憶を失う前の自分が残していったものだという確信があったからだ。
そしてなによりも、この異能はテルに残された唯一にして大きな手掛かりなのだ。
初めて異世界にやってきたあの夜、金色の瞳の男がテルの胸を貫いたあの現象。
あれこそが、テルと同じ『異能』だったのだろう。根拠はない。しかし、直感がそう訴えている。
金色の瞳の男が、テルの記憶喪失に起因しているなら、この異能も記憶を取り戻すための鍵になるはずだ。
テルは、少しでも異能を理解しようと思い立ち、同じ長剣を五本ほど創り出してベッドの上に並べた。しかし、自分の手の本数以上に剣があっても意味がないと気づいて、五本の剣をまとめて消し去った。
そこでふと、剣と言っても材質は鉄だけではないということに気が付いた。テルが生み出したのは、持ち手に巻いた革を布紐で結び付けたものだし、鍔は刀身よりも少し柔らかさがある金属だった気がした。もし布や革単体や剣以外の金属が作れるなら、一気に可能性が広がる。
テルは革靴を思い浮かべた。掌からふわりと現れた黒砂は靴を形作っていき、気づけば、黒いローファがそこにはあった。同様に布で簡単な衣服を創ることもできた。
「すごいな……」
またしても自分に感嘆を漏らす。これで衣食住の衣に困ることはなくなった。
「だったら……」
次に思いついたのは食だった。丁度小腹が減っていたのを思い出した。
「いきなり出来上がった料理は難しそうだな。とりあえず食材から」
そうして創り出したのはリンゴだった。見た目はまさしくリンゴで、特に変な臭いはしなかったが、少し食べるのに
「まっずっ!」
口を手で覆い、噴き出しそうになったものを何とか抑え、なんとかすべて飲み込めるまで咀嚼して飲み込む。
見た目はリンゴだったし、匂いもリンゴだった。しかし、味、触感、舌触り、どれをとっても最低だ。リンゴはリンゴでも最低なリンゴだったのだ。
口に残った不快感を取り除こうと、黒砂で陶器のコップに入った水を創りだし、口内に流し込むと、ついに含んだ全てを噴き出した。
「う、うべぇ……水まで不味い……」
床に散らかった水を睨みつけるテル。おそらく、食べ物を作っても、全てが不味くなるのだろう。わが身を犠牲に知見を得たテルは、水を消滅させようとする。
不幸中の幸いか、床に散らかった水は、黒砂に戻り消えていったので、面倒な片付けは回避することができた。
「ていうか、この異能、なんでも作れるんだな」
考えてみれば、食べたリンゴも水も、手にある陶器も、別の材質だ。鉄、革、布、水、陶器、食べ物と異能の可能性がどんどん膨らんでいく。
「だったら」
そう呟き、掌に創ったのは、武骨なオートマチックの拳銃だ。ずっしりとした質量がまた高揚感を煽った。
誰もが一度は夢に見るような現代科学技術無双を実行してみると、思いのほか見た目はしっかりしていた。
テルは部屋を出て階段を下り、外へ繰り出した。玄関は人狼に破壊されたままになっている一階は室内の役割を果たせていなかった。
銃を撃つにも、発砲音で寝ているリベリオとニアに爆音で起こす訳にもいかず、家から十分ほど歩いた草原で立ち止まった。
黒砂から出来た銃弾を込めて、真上に銃口を向け、引き金を引く。しかし、発砲音がなることも、銃弾が飛び出すこともなかった。そして理由も何となくわかった。
銃を分解してみようにも分解できず、半分だけ黒砂に戻して中身を確認すると、鉄がぎっしりと詰まっているだけだった。
通りで重いわけだ。これは銃の形をしたただの鉄塊である。銃弾も同様で、薬莢に火薬はなく鉄が詰まっていた。
火薬があればまだ希望があると、試してみようとしたが、黒砂が火薬らしきものに変化することはなかった。
無駄足の事実と、異能の限界を突きつけられ、テルはどっと気だるさが押し寄せてきたような気がした。生成するのも条件があるのかもしれないが、その条件はわからない。
「思ったより、使い勝手が悪いな」
そうは言っても剣を常に携帯する必要はなくなったし、これで腹が壊れなければ空腹を凌ぐという点においては十分と言える。
『オリジン』
様々な物質の
名前を付けようとは思っていなかったが、しっくりとくるものがあり、なかなか悪くないような気もして、この異能を『オリジン』と呼ぶことにした。
ふと、テルの眼に眩しい光が差し込んだ。夜が明けたのだ。朝日が山を越えて顔を出すと、一斉に呼び起こされたように、風が吹き抜けた。
これからまた二度寝をするのも悪くないと思ったが、テルはその手に剣を作り出した。
記憶を失ってから、ずっと後ろを付いてくる、鈍く燻るような焦燥感はいまだ消えてくれない。ずっと深い場所で誰かが誰かに向けて叫んでいる。
「……今の俺がやるべきこと」
選択肢なんてほとんど持ち合わせていない。ならば、できることこそがやるべきことなのだろう。
テルはしばらく流れていく雲の行方に思いを馳せたが、雲はすぐに違う形になってしまい、テルが見ていた雲はどこにも残っていなかった。
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夜が更け始めた頃、リベリオは窓を開けて夜風を浴びながら、小さなグラスに入った酒を少しづつ飲んでいた。
度の強い酒を選んだのに、なかなか酔いが回らないのは、先ほどの魔獣の襲撃のことで頭がいっぱいだからだろう。
魔獣除けを掻い潜っただけでなく、一般的な魔獣の行動パターンから外れた強力な魔獣。リベリオの経験上、そんな魔獣が発生するときは、その背後により巨大な存在が何かを企んでいることが多い。
「狙いは俺か、ニアか、それともテルか」
どちらの可能性が考えられるが、魔獣の強さからしても自分ではなさそうだ。
脳裏に浮かぶ、テルとニアの顔。
どちらも一人では抱えられないような宿命を背負わされ、リベリオはわざわざ救いの手を差し伸べた。
あの二人を幸せに導くことこそが、自分の責任であり、使命なのだ。
悪しき者の思惑が二人に向くなら、なんとしても阻止しなければならない。
気づけば、酒瓶は空になっており、考え事も碌に進まなくなっている。
「ああ、今日はもう寝てしまおう」
立ち上がると、自分が思っているよりも酔っており、足元が不安定だ。
そのうち、テルやニアとも酒を飲みかわす日が来るのだろうか。そんなことを思いながら、リベリオは眠りについた。
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