第1章3話 焦燥と言い訳
「名前もわからなければ、出身もわからない。当然なんであそこにいたのかもわからない。……ようするに、記憶喪失ってわけか」
男の口から説明される受け入れがたい状態。そんななか少年が放心していると、男は「待ってろ」と言って部屋を出た。すぐに戻ってきた男の手から見慣れたものを差し出される。それは黒い液晶の薄い機械だった。
「スマホだ」
「すまほ?」
復唱する男は首を傾げる。スマホを知らないのかと驚いた少年だが、どうしてか自分も使い方を思い出すことができない。
「お前の着ていた服のポケットに入っていたんだ」
「これだけですか」
「あとは血塗れでぼろぼろの服だけで捨てちまった。それでなにかわかるか」
さっきまではわかっていたけどわからなくなったとは言えず、黒い髪と黒い目の自分の顔を反射する
初めて触ったようなぎこちなさがあるが、記憶の手がかりなのは間違いない。ひとまず手当たり次第に触ってみると、画面がぱっと明るくなり大きな字で日付と時刻が現れる。前と同じで圏外であったが、それまでに受信したと思われる、なんらかのメッセージと思われる通知があった。
ケイスケ 「てる、今どこにいる?」
この人物からの不在着信が三つある。付き合いの長い友人に迷惑をかけてしまい、罪悪感が込み上げたところで思考が停止した。
否、停止しただけではない。思い返していた「ケイスケ」に由来する過去の記憶。それら全てが順番に蓋をされたように思い出せなくなっていく。
冷たい刃物が胸に当てられたような、どうしようもない心細さに支配され、頭は別の温かい思い出に縋ろうとする。家族と家、兄弟と夕焼け、友人と学校、優しい大人と嫌な大人。助けを求めた記憶が、無慈悲にも失われていく。
奪えるものを奪い尽くすと略奪者は鳴りを潜めた。なぜかそのとき、金色の目の男が笑った顔が脳裏を
そして、少年は悟った。これは記憶喪失などではなく、記憶を奪われているのだと。
「おい、なにか思い出したか?」
力強く肩を揺すられると、男がこちらを怪訝そうに覗き込んでいた。
「え、ああ」
「なんて書いてあるんだ?」
「……てる」
口に出して読んでみるが、自分の名前だという感覚はない。このあだ名が苗字からとったとも名前からとったとも判断できそうで、それが手ごたえのなさに拍車をかける。
「それがお前の名前か?」
「うーん……多分?」
他になにかいい案があるわけでもないのに、自分のではないかもしれない名前で呼ばれることに若干の抵抗があり、頷きあぐねていると男が口を開いた。
「まあ、気が乗らない気持ちはわかるが、呼び名がないのは不便だろ」
「……じゃあ、テルです」
「テルか。いい名前じゃないか」
「テル……」
半ば強引に名前が決まると、据わりが悪い気持ちを誤魔化すように声に出さず自分の名前を唱えた。悪くはないのかもしれないが、これでいいのだろうか。
「俺はリベリオだ。呼び捨てでいいし敬語も要らない。苦手なんだ」
「あ、わかりまし……わかった」
リベリオと名乗った男の言葉に、テルと名乗ることになった少年はぎこちない返事をする。
「しかし、困ったなあ。記憶がないとなるとこれから行く場所もないんだろ?」
「そ、そうだと思う」
「そんなテルに一つ提案があるんだ」
テルは無言で次の言葉を待つ。圧倒的に立場の弱い相手に持ちかける提案に、警戒心を高くする。
「なら、しばらくこの家での生活を保障しよう。その代わり俺の仕事の手伝い、つまり―――」
やっぱりだ。
断れない立場なのをいいことに、奴隷のようにこき使われるのか。あるいは、もっと酷い目に遭うかもしれない。
「―――『魔獣狩り』になれ」
「まじゅう、がり?」
覚悟も決まらず、小さく手を震わせていたテルの耳に飛び込んだのは、聞き馴染みのない単語だった。
「記憶喪失って、そのレベルの常識も抜け落ちてるのかよ?」
そんなリベリオの言葉を皮切りに、テルの持つ知識を測るための質問を次々に浴びせられた。そうしているうちに、テルは徐々に自分の置かれている状況を理解していった。
魔獣狩り。そんなファンタジーを想起させる言葉。しかし、その非現実的な言葉を常識と呼ぶような世界。つまり、―――テルは異世界にやってきてしまったのだ。
その後、始まったリベリオとの問答をまとめるとこうだ。
まずここはソニレ王国のコーレル地方にあるシャダ村という場所であり、リベリオはそんな世界に蔓延る『魔獣』という凶暴な生物を、
テルは荒唐無稽にも思える話を聞きながら、昨日の出来事を思い出していた。
夜の森で遭遇した、異形の化け物と金色の瞳の男。おそらくあの化け物は魔獣であり、謎の男が起こしていた現象が魔法だったのだろう。
納得はできないが、どこか腑に落ちた感じがしたテル。しかし、今自分が危機的状況にいることを思い出して、はっとした。
テルはあんな化け物と戦うような命懸けの仕事を押し付けられようとしているのだ。
「押し付けるって言ったって、あくまで俺の手伝いだ」
「イヤだ! 死にたくない!」
布団に潜り込むようにして頑なに拒否するテル。しかしリベリオは聞く耳を持たず、圧倒的な体格差でテルを持ち上げると、問答無用で家の外へと向かった。
「まあ、死ぬと決まった訳じゃない。『魔法』が使えるかどうかだけでも調べようじゃねえか」
「え、俺も『魔法』が使えるの?」
魔法使いになれる、そんな誰しもが一度は思い描いた子供じみた夢を前に、テルは途端に拒む力が弱くなる。
たしかに、異世界に来たなら、魔法が使えるようになっていてもおかしくないじゃないか。
記憶がないというのに漠然と残った憧れは、不思議とテルをときめかせる。
「ああ、どうせお前は使えるさ」
よくわからない決めつけをしたリベリオは、魅力的な言葉をテルの目の前に吊るし、まんまと外に連れ出した。
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