第1章2話 奪われたもの
自分の胸が、一本の剣で貫かれている。
茫然とした思考のなかで、認識にワンテンポ遅れた感覚が追いついてくる。
熱い、熱い、熱い、痛い、息ができない。
ちょうど心臓の位置に刺さった剣から、勢いよく血が流れていく。喉からも血が込み上げて、口外へと吐き出される。
「あ……が…………」
少年は、今度こそ目にした。
ざざあ、と黒い砂のような
先ほどの化け物に起きた
もう一度、男の金色の瞳と視線が交わる。
余裕のないしたり顔を見た少年は、理解した。この男があの魔法を操ったのだ。
「な、んで……」
「■■……■■■■……」
激痛で視界が明滅する。温かい血が体外へ逃げ出し、一気に冷たくなった自分の体は支えを失ったように倒れる。
突然、突きつけられた自らの死。そんなとき、少年の頭を埋め尽くしたのは、怒りでも悲しみでもなく、どうしてという疑問だった。
当の加害者である男はというと、もう未練はないといわんばかりにやり遂げた顔をして穏やかな視線をこちらに向けている。
「じ、にだく……ない……」
まだ死ねない。こんなところで終われない。まだなにもできてない。
いくつもの後悔が洪水のように押し寄せ、動くことをやめようとする体に鞭を打つ。少年は男に背を向け、這うようにしてこの場所から逃げ出そうとする。
「■■■…………■ル」
穏やかに投げられる男の声が聞こえる。
男と少年から溢れた大量の血は、海の様に広がっている。少年はそんな血の海で溺れながら、なくなっていく命に手を伸ばす。
「■■……■ダニ■ナイ」
視界が黒で染められていき、手足の感覚が失われていくなかで、なぜか男の声がなぜか言葉となって少年の耳に届く。
「ムダダ、アキラメロ」
はっきりと聞こえた言葉と同時に、少年は全てを取りこぼした。
--・--・--・--
柔らかい明かりが閉じた目に差し込み、意識が覚醒する。二度目の目覚めを出迎えるのは、知らない天井と柔らかいとは言い難いベッドだった。
「ここは……」
どこだ、と口に出そうとする前に、最後の記憶を思い出す。
大きな血だまりと胸を貫いた剣。痛みと底なしの絶望。
咄嗟に胸に手をやると、違和感に気づいた。
自分のものではない服に着替えさせられており、血や土の汚れが何一つ見当たらないのはいい。きっと誰かが助けてくれて、清潔な服に着替えさせてくれたのだろう。
しかし、おかしいのは痛みが跡形もなく消えてなくなってしまっている事だ。
横になっていた体を起こし、かなりぶかぶかの服を捲り上げると、やはりそこには剣が刺さっていたことを感じさせるものが全くない。
「夢だった?」
あれほど痛くて、あれほど苦しい体験。夢であったらどれほどよかっただろうと思ってしまうことが、それが夢でないことのなによりの証拠だった。
しかし、同じく証拠であるはずだった傷がまるで姿を消してしまっている事実に混乱してしまう。
改めて、自分が寝かされていた部屋を見渡す。硬いベッドに照明のランプが置かれただけ木製の机、椅子。夜であるためか外はほとんど見えない窓とドアがそれぞれ一つといった、質素な部屋だ。
大方、部屋を見回したところで、誰かの足音が床を軋ませながら近づいてくる。やがて、床が擦れる音を立てながら、ドアが開かれる。
息を飲んで身構えていた少年は、混乱も恐怖も、呼吸さえも忘れた。
扉を開けて姿を見せたのは、目を疑うほどの可憐な少女だった。
穢れを知らない純白の髪を肩まで伸ばし、何者も寄せ付けないような深紅の瞳が明かりを映し、燃えるように揺らめく。
艶やかさとあどけなさがある顔立ち。人類が生み出した至高の美術品があるならば、きっと彼女のようなのだろう。
そんな仰々しい感想を思わせるほどの魅力と、近寄りがたい緊張感を持ち合わせていた少女が、こちらに視線を向けている。
少女の持つ不思議な雰囲気に当てられ、何も喋れないまま互いに黙って見つめ合うという不可解な時間が数秒流れる。
ハッと我に返り、話すべき言葉を、「あ、えっと」と情けなく取り繕いながら探す。
ここは一体どこなのか。口にすべき言葉を見つけ、いざと言うぞと意気込んだとき、この部屋唯一のドアが音を立てて閉じた。
「え……?」
何が起きたのか理解が追いつかないまま、再び孤独となった。そうはいっても、少女がドアを閉めただけである。しかし、目を合わせたのに言葉も会釈もなく、やり取りが拒絶されるというのは、字面以上に精神的ダメージがあった。
間違ったことをしたわけでも失敗をしたわけでもないのに、恥ずかしさと情けなさが無性に込み上げ、座ったままになっていたベッドに倒れこみ、天井のシミをなぞる。
「おう、起きたか。調子はどう……って起きてねえじゃん」
乱暴に開かれるドアと同時にそんな言葉が投げかけられる。特に許可を取るわけでもなく、のしのしと部屋に入ってくる人の気配で体を起こす。
顔を上げると、その男は少し気だるげな黄色の瞳でこちらを見下ろしていた。橙色の髪を短く雑に揃えた大男は、丸太のように太い腕で小さな椅子を引き寄せると、そこにどんと座る。椅子が潰れまいかとヒヤリとするが、男が尻から床に落ちる様子はない。
「おら、起きてるなら返事をしろ。こっちは命の恩人だぞ」
事実なのだろうが、その恩着せがましさと状況の飲み込めなさから「ああ、どうも……」と返す。しかし、大男はどうも物足りないようだ。
「ここってどこですか」
「俺の家だよ。森で呑気に寝ていたから連れてきた。あのままだったら間違いなく死んでたぞ」
「あの男は」
「は?」
自分がこの場所にいる経緯は得心がいった。しかし、どうしても気になるのは脳裏にこびり着いた血だまりと謎の男の光景だ。
「俺以外にも、あそこにいた男はどうなったんですか」
その言葉に男は不思議そうに顔を傾ける。
「見つけたのはお前ひとりだ。他の奴は見てない」
「え?」
間の抜けた声が自分の喉から飛び出した。
「あそこにいた血だらけの男に殺されかけて……」
「いなかったよ。それにお前怪我一つないだろ。悪い夢でも見てたんだろうよ」
男が興味なさそうに手を振る。夢なんかじゃないと口から飛び出しそうになったが、どれだけ言っても取り合ってはくれないだろうと押し込める。そんなことを意に介さず男は続ける。
「なんでお前あんなところにいたんだよ。怪我はないくせに血塗れで。そもそもお前なにもんだよ」
そういえば命の恩人にまだ自己紹介も礼も言っていなかったことを思い出し、慌てるように口を開く。
「助けでくれてありがとうございます。俺は……」
そこで言葉が詰まった。男は不可解そうな顔をしている。
「俺の名前は」
頭の中にぽっかり空洞が生まれたような感覚。自分が自分である第一の証がどうやっても見当たらない。
一番近くにあったものを失ったとき、人は失った事実を認めることさえ無意識に拒否するのかもしれない。しかし、そうとしか言えないこの状況を少年はゆっくりと口にした。
「俺の名前は……わかりません」
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