第3話

 それは、明らかに家のすぐ近くから聞こえていた。大きな音からいって、どこかの家が解体されているのは間違いない。それがこの家なのか、隣接する別の家なのか。工事の最中に発生する揺れだけでは、判断がつかなかった。


 だが、壊された壁の外側に、唸り声をあげる重機の一部が見えたとき。その疑問は、確信に変わった。解体されているのは、この家なのだ。きっと、埃だらけだった部屋も直になくなる。そうなれば、部屋にいることのみが確かな存在理由だと言える一冊の本は、自分の居場所を失くすだろう。


 それでも、本がどこかに行くなんてことはない。意思はなくとも、部屋がある限り、そこに留まり続ける。それが、一冊の本に与えられた使命なのだから。ゆえに、天井が青空へと変わり、壁だったところから別の家が覗くようになっても、動くことは決してなかった。


 しかし、大きく開いた穴の隙間から、風が入ってきた。いつものような、どこか優しげのある風ではない。強く往々とした風が、幾度となく一冊の本を襲う。そうして、強い風に絶え間なく吹かれた影響で、一冊の本はついに、別のページを開くことなく、完全に閉じてしまった。


 もちろん、再びページがめくられるなんてことはない。降り注ぐ陽の光が、ボロボロになった本の状態をさらに劣化させていく。もう、元の紙の色が分からないくらい、表面がひどく日焼けしている。いつ、本の形が崩れてもおかしくなかった。


 解体工事が進み、部屋の床が、端から一気に崩れる。一冊の本が存在し続ける、明確な理由は、たった今消滅した。新たな存在意義を作る必要もない。床であった瓦礫とともに落下する一冊の本は、地面にぶつかった瞬間、一部のページを勢いよく分離させた。そのためか、複数のページが少し曲がっている。


 加えて、本の本体と、分離したページを繋ぐものは何もなかった。だからなのかもしれない。躊躇うことなくやってきた風が、分離したページを容易に飛ばしながら、どこか遠くに持ち去っていく。それが何度も繰り返された結果、いつの間にか、崩壊していく家の近くに残されたのは、薄い一冊の本の、本体だけになっていた。


 壊されていく家。その家にあった、埃の部屋。その部屋が位置していたところに取り残された、本の本体。それは、最終的に朽ちて消えていった。飛ばされてページの行方は不明だが、今頃は、本体の部分と同じ運命をたどっているに違いない。だから、結局のところ、形あるものは、いつか消えゆく定めにあるのだ。

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部屋の中の本 刻堂元記 @wolfstandard

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