扶桑の君の誕生

第16話 昆迩(こんじ)、八潮男之神を説得 

 えつに敗れたのは、この時より、およそ三十年前の紀元前三百三十四年のことであったが、越王である無彊むきょうは、その後、姿を消して行方不明となった。


 無彊むきょうは、長江の河口で百越ひゃくえつの王と呼ばれた越王えつおうであり、王朝やいん王朝の天地陰陽てんちいんようを貴ぶ風貌があった。もともと歴代の越王は、会稽山かいけいざんに祀られた大禹陵だいうりょうを再建して敬うなど、古き華夏かかの魂を大切にしてきた。の国を負かし、琅邪ろうやに都を移したのは、古き越人の志を中原に届けようとする野心があったからであろう。


 しかし、周王朝の伝統的な王道政治おうどうせいじを夢見た恵王けいおうせい宣王せんおうが亡くなると、武力による覇道はどうを目指す王たちの前に、周天子しゅうてんしの姿はますます霞んで見えるようになった。まさに、「王の王たるの王」が姿を消しつつあった。


 そのような時、無彊王むきょうおうは、威王いおうの遠征によって琅邪ろうやを追われた。越王室の一族はバラバラに分かれ、無彊王むきょうおうは、行方知らずのまま消息を絶った。幸いにも、凛皇后りんこうごうと三人の王子たちは、泰山たいざんふもと徐氏じょしによって救われた。

 徐氏じょしの当主は、徐賛じょさんと言う淮河わいがの河口では、知らぬものがないほどの大物であったが、昆迩こんじとは旧知の仲であった。


 徐賛じょさんは、淮河わいが流域の各地に船を運び、交易によって徐氏じょしの復興を果たした。千年前、婦好ふこうを帝妃として送り出して以来の隆盛を極め、徐氏一族じょしいちぞくの名誉を回復した男である。その水運の徐賛じょさんは、九鼎きゅうていの守り主である鬼谷きこく一族とも通じていると昆迩こんじは言う。


 鬼谷きこく族は、王朝の始祖大禹しそだいう巫覡衆ふげきしゅうであり、九鼎御廟きゅうていごびょうの護り主である。九鼎きゅうていとは、王朝の始祖大禹しそだいうが、天地陰陽てんちいんようの象徴として、華夏かか九つのくにに、それぞれの一族祖神のあかしとして造らせた巨大な青銅のかなえである。大禹だいうは、九つのかなえ陽城ようじょうに集め、さらには、九鼎きゅうていあるところが帝都であるとして、九州(全国=九つの国)の帝王となったのである。


 以後、王朝が滅び、いん王朝が滅び、周天子しゅうてんしの時代となっても、九鼎御廟きゅうていごびょうは、天神地祇てんじんちぎの最も大切な聖域の一つとなって、人々に敬われた。

 時代が下っても、華夏かかをまとめる祭祀は、周天子しゅうてんしの務めであったのだが、九鼎きゅうていの神事だけは、帝や天子が代わっても、鬼谷巫覡衆きこくふげきしゅうが、代々にわたって引き継ぎ、その務めは、王朝の建国以来、千七百年にわたって途絶えることはなかった。


 その鬼谷衆きこくしゅうと並んで、徐氏の巫女みこ衆もまた、王の中の王がなすべき祭祀を受け継いできた。

 かつて、天帝てんてい及び王道おうどうに目覚めた幾人かの王は、古くからの言い伝えに従い、天にはいし地にして、天神地祇てんじんちぎの祭祀を行った。「封禅ほうぜんの祈り」である。封禅ほうぜんは王の中の王が行なう最も神聖な祈りであり、泰山たいざんで行われるのが常であった。

 その泰山たいざんを守ってきたのが徐氏じょしであった。九鼎御廟きゅうていごびょうの護り主が鬼谷きこく一族であるならば、封禅ほうぜんの守り主はじょ一族である。共に、天地の天帝・地帝を支えて来た、古くからの同胞であった。


 その徐氏を代表する徐賛じょさんが、越の無旦むたん王子を匿っている。


 臨淄りんしで、徐賛じょさんに会った昆迩こんじが、無旦王子むたんおうじの身柄を引き受けて、津島のわたつみの宮に連れてきたのには、徐賛じょさんの思いを知る昆迩こんじの配慮があった。


 徐賛じょさんは、臨淄りんしでの別れの際に、それまで王子の世話をしていたとうという青年を一緒に送った。無旦王子むたんおうじは、十二、三歳であるが、生まれた時から、逃亡生活が続いていたので、毎日が脅えて逃げ回る生活であり、人を信用すると言うことを知らなかった。とうもまた、同じような運命を辿ったのであろう。年上のとうは、無旦むたん王子に取って、初めて会った時から、馬が合ったというか、心の扉を開くことの出来る唯一無二の青年であった。


 徐賛じょさんは、無旦王子むたんおうじとの別れ際に、昆迩こんじに王子の事を頼んだ。


 「昆迩こんじよ、無旦王子むたんおうじの事を宜しく頼む。王子おうじの心は、長年の逃亡生活によって、今はすさんでいるが、本来、天地陰陽てんちいんようの気に包まれている。必ずや邪気が晴れ、陰陽いんようの気に被われる時がくる。それまでは、とうを一緒にいさせてくれないか。あめつちの心を大切にする秋津洲あきつしまならば、必ずや、無旦王子は蘇える。秋津洲の為にもなるはずだ。頼んだぞ、昆迩こんじ。」


 昆迩こんじにとって、徐賛じょさんの一言は重たかった。結果的に、昆迩こんじ無旦王子むたんおうじを引き受けることを約束した。

 続いて、昆迩こんじは、独断で無旦王子むたんおうじとうと王子の叔父である無路むじを、秘かに津島つしまに運び、わたつみの宮にかくまった。さらには、豊浦宮にします八潮男之神やしおおのかみを訪ね、無旦王子むたんおうじの事を願い出た。


 八潮男之神やしおおのかみは、はじめ、戦いの種となるので、無旦王子むたんおうじと関わることを拒んだ。ところが、徐氏一族が、泰山たいざんの守り主あり、九鼎御廟きゅうていごびょうの鬼谷一族とも通じていることを聞くと、次第に関心を示すようになった。


 「なんとな、泰山たいざんで行われる天地陰陽てんちいんようの祭祀「封禅ほうぜん」は、今でも徐氏じょしの巫女衆が守っているのか。それに、九鼎御廟きゅうていごびょうの鬼谷一族は、王朝以来の華夏かかの魂を守っていると聞いておるがまことであるか。ならば、徐氏じょし鬼谷氏きこくしも、あめつちの神々を心の支えとなす、わが秋津洲あきつしまに通じる一族ではないか。」


 昆迩こんじ八潮男之神やしおおのかみがようやく、関心を示してくれたことで、先の光が見えて来たと大いに喜んだ。


 「いかにも。しかしながら、華夏かか国に於いては、いまや、天地が逆転し、臣下が王の座を奪うことは当たり前、まさしく下克上げこくじょうの戦いが絶えることはありません。もはや、華夏かかにあめつちの神々を敬う心など、天、地、人のどこにありましょうや。徐賛じょさん殿は、『無旦むたん王子には、天地陰陽てんちいんようの気が流れている稀人まれびとなり。』と仰せられました。『いずれの日にか、泰山たいざん封禅ほうぜんの祈りを成されるお方である』とも申されました。われ、徐賛じょさん殿の言霊を信じてみようと思っております。」


 もともと、八潮男之神やしおおのかみは、開明の志が強く、稷下しょくかの学舎に息子の豊玉之男とよたまのおを遊学に出す程であり、大陸の知識を大きく評価していた。当時、せい臨淄りんしでは最先端の儒家じゅか法家ほうか兵法へいほう天文てんもんなどの学問が盛んであったが、八潮男之神やしおおのかみは、王朝以来、いん王朝、さらにしゅう王朝に受け継がれて来た九鼎きゅうていの行く末に大いなる憂いを持っていた一人であった。


 えつを討った威王いおうは、淮河わいが長江ちょうこうの中下流域を支配下に置き、戦国覇王せんごくはおうの一人として頭角を現した。の国境は、せいかんしんと接しており、中原の各王にも圧力をかけるほどの大国になった。

 特に、長江ちょうこう淮河わいがの沿岸部族を抑えたので、海からの戦いに威力を発揮し始めた。おかげで越の残党への楚の追手は、どこまでも厳しかった。

 その上、えつの王家はせいからも追われるようになり、越王子えつおうじの居場所は、華夏かかのどこにもなくなってしまった。その王子を昆迩こんじは、「秋津洲あきつまかくまってもらえないか。」と八潮男之神やしおおのかみに迫ったのである。

 八潮男之神は、徐氏がなぜ、無旦王子をここまでかばうのか、その理由はわからなかったが、昆迩こんじから、徐氏が泰山の守り主であり、鬼谷一族とも一脈、通じていることを聞くと、に落ちるところはあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る