第15話 いざ、豊浦宮(とようらみや)へ

 朝焼けの空は雨が降ると言われているが、その日は、どんよりとした雲に覆われた。昼頃、沖之神島おきのかみしまから四艘の船が島を離れた。いったん、南下すると、しばらくして、東に進路を取った。空には太陽がなく、厚い雲に覆われた。だが、先頭の案内を務める水主頭かこがしらのヒルホは、自信たっぷりに声を上げてえいじた。


    水月みずつきのカシコネ、われ等の船道

    雲あつく、海に雨、降り注ぐとも、

    浪高く、飛び散るしぶきを浴びるとも、

    カシコネの空は神のみち

    カシコネの海は宮のみち


 かしこねの船道ふなみちとは、かしこね海の潮流しおながれであり、特に、梅雨つゆ時に特有の早潮はやしおのことである。大抵の船は流れが速いので、この時期は、皆、恐れて避けて通るのであるが、ヒルホはこの早潮を渡れる数少ない水主頭である。

 ヒルホは、昼間でも雲が晴れた僅かの間に、空に輝く北の極星きわぼしを身体に受け入れることができる。しかも、その星を追って進むことが出来る特別な水主である。

 「神の路」とは、ヒルホの中に映し出される天翔ける綺羅星きらぽしの路のことである。そして、この海路(うみのみち)こそが、カシコネ姫神の「宮の道」となることが伝えられている。


 水主頭の歌声に誘われて、八潮男之神やしおおのかみも、自ら声をあげて唱った。


 「かしこねの空は神の路、かしこねの海は宮の路」


すると、船に乗った全員が八潮男之神に続いた。


 「かしこねの空は神の路、かしこねの海は宮の路」


 梅雨つゆ時に陸地の河川から、海に流れる水量は、莫大なもので、黒潮であるかしこねの流れと、海岸反流との間に、特殊の海流層が生まれる。渦があちこちに生じ、かしこね流に近いところでは、流速が増す。だが、水主衆かこしゅうの皆々、この早流れの潮を恐れることはない。全員が、ヒルホを信じている。

 これを上手く乗り切ることが出来れば、豊浦宮までは半日とかからずに、夕刻には着くのである。


 波響なみひびきは、阿津耳 《あつみみ》が提案した護衛船団を受けなかったのには、それなりの理由があった。豊浦宮を襲った海賊数名を捕らえたところ、ほとんどが、海には慣れておらず、船の操作もままならない大陸の敗残兵ばかりであった。多分、間違って、流速のある特別のかしこね流に巻き込まれたのではなかったか。

 ヒルホは、夜明け前から海に出て、朝焼けの空気をたっぷりと浴びていた。だが、直ぐに雲が空を覆い、厚く立ち込めてきた。先ほどの朝焼けの空が嘘のように、暗くなってきた。空には晴れ間が覗きそうにない。

 ヒルホは、ワタツミの水主がもつ秘伝によって、昼間でも北の極星きわぼしを見ることが出来るのだが、なにしろ、晴れ間がなくては、極星きわぼしの位置は分からない。ヒルホは、夜明け前から、かしこねの神に祈りを捧げて、極星の位置をしっかりと頭の中に叩き込んでいた。もう一度、薄明かりが射せば、漕ぎだせると思って忍耐強く待った。

 すでに、船は沖之神島おきのかみしまを離れると、南西に位置するひとつ柱島の方向を目指している。しばらくは、浪のまにまに、浮かぶように進んでいたが、雲が薄くなり、僅かにかしこねの空が開かれた一瞬があった。さすがにヒルホは、その時を見逃さなかった。

 その直後、横なぐりの雨が、四艘の船べりにたたきつけたが、ヒルホは、ひるむことがなかった。


 「かしこねの姫神の導きによって、われら、早潮に乗ったぞ。」


 海神に届けとばかりに、大きな声を発し、御幣みぬさを挙げた。水主衆は、全員が一斉に櫂を引き寄せ、ヒルホの掛け声に合わせた。


「ひぃ、ふぅ、みぃ! 」

「それ。ひぃ、ふぅ、みぃ! 」

「それ。ひぃ、ふぅ、みぃ!」


 ヒルホは、全身で心の鏡に映された極星きわぼしを見ながら、そして、潮の流れに合わせて、舵を取り声をかけた。

 

 四艘の神船は、早潮に乗ると、飛ぶか如くに豊浦宮を目指した。


 大潟宮おかみやの近くにきた頃である。雨はやみ、重々しかった雲もいつしか晴れた。阿津耳あつみみは、豊浦宮でじっとしてはいられなかった。皆々に声を掛けかけると、高台の斎庭に集まって、八潮男之神やしおおのかみの帰りを待った。

 それでも、我慢できずに、阿津耳あつみみ昆迩こんじを誘い、皆々と共に沖合に出で待つことにした。入り日を背景に、今か今かと八潮男之神やしおおのかみの船が現れるのを見やったのであった。


 「昆迩こんじよ、どの方向から船の姿は見えるかの。われも、年は取っておるが、目は通る方だ。まだまだ、若い者には負けはせん。」


 阿津耳あつみみは、水平線に目を据えて、遥か彼方に視線をやった。その姿は、まるで、かしこねの海に浮かぶ、一片の木くずでも見逃さないと言う気迫があった。自分が、高天原を代表して、無旦王子むたんおうじを迎えに行くぐらいの気持ちがあったのであろう。阿津耳あつみみにして見れば、八潮男之神やしおおのかみに対して、高天原の全面的な後見があることを知らしめたかったのである。


 かしこねの海は、入り日の空と海の景色が素晴らしい。雨上がりの海と空に、茜色あかねいろの大気が輝いている。阿津耳あつみみは、その光を浴びながら動かなくなった。豊浦宮大神とようらみやおおかみの船影を捉えたのか。しばらくは、只、一点を凝視するばかりであった。


 「高天原の旗を掲げよ。大海原の旗を掲げよ。秋津大宮の旗を掲げよ。皆々、それぞれの宮の旗を上げて、大神を迎えよ。」


 阿津耳あつみみの声に、皆々は旗を振り、船端を叩いて応えた。大っぴらには言えないが、阿津耳あつみみの視線の向こうから、誰がやって来るのか、皆々は分かっていた。

 

 百艘を越える迎えの船には、色とりどりの船旗がはためく中、まさに、入り日の照り返しが煌めく波間に八潮男之神の船は、静かに現れた。

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