第17話 昆迩(こんじ)、鄒衍(すうえん)と出会う 

 九鼎御廟きゅうていごびょう王朝以来、華夏かかの魂であった。だが、周王室の力が失われるにつれて、九鼎御廟きゅうていごびょうの神事に関心を寄せる王もまたいなくなった。神事を取り仕切る鬼谷巫覡衆きこくふげきしゅうの存在もまた、弱く薄くなっていった。それは、黄河中原に王の中の王である帝王ていおうがいなくなることを意味していた。


 この先細りの状況を憂え、鬼谷きこく一族を応援する一人の青年がいた。鄒衍すうえんと言う若き天才学者であった。後に、易経えききょう天地陰陽てんちいんようと占星術の五行ごぎょうを統合し、陰陽五行説いんようごぎょうせつを説いたことで広く有名になった。孟子もうしの影響を受け、天地陰陽てんちいんようの調和と木火土金水もっかどごんすいの星の動きによって、「天地が変化して王朝が変わる」など、大胆なことを説いているのである。しかも、八潮男之神やしおおのかみにとっては、後に息子、豊玉之男とよたまのおを預けた稷下しょくかの師となる人物であった。


 鄒衍すうえんは、幼少の頃から天賦の才覚を現わし、王道を求める恵王けいおうせい宣王せんおうを始め、多くの王に請われて各地を遊説した。この年端も行かない少年の話を、王たちは競って聞いたのである。燕の職王しょくおうは、鄒衍すうえんの為に、わざわざ宮殿を立てて歓迎した程である。王道がすたれるにつれて、孟子もうし鄒衍すうえんは、天地陰陽てんちいんようを守る王道保守おうどうほしゅ層から大いなる支援を受けた。


 斉の宣王が亡くなられる数年前のころ、鄒衍すうえんは、稷下しょくかに学舎を開くことが許された。鄒衍の学識に心を奪われていた徐賛じょさんは、昆迩こんじを誘って稷下しょくかの門をくぐった。既に鄒衍すうえんの名声は全国にとどろいており、子弟、食客の訪問は後を絶たず、訪ねたからと言って、簡単に会える相手ではなかった。

 ところが、徐賛じょさんが、蓬莱の海に浮かぶ秋津洲から男をつれてきたというので、鄒衍すうえんは興味を持った。徐賛じょさんが、いん時代、帝武丁の正妃となった婦好妃ふこうひの実家、徐氏一族の末裔であり、徐氏復興の立役者であることも知っていたのである。


 鄒衍すうえんは余りにも忙しかったので、自ら見知らぬ客に会うことは、ほとんどなかったのだが、徐賛じょさんが言う「蓬莱ほうらいの海に浮かぶ秋津洲あきつしま」と言う言葉が気に入ったのであろう、時間を割いてくれた。


 「初めてのお目見えにもかかわらず、このような時間を頂き、ありがとうございます。われ、蓬莱ほうらいの海のかなた黄海のさらに、東の精衛せいえいの海の向こう、日出づる国の秋津洲あきつしまより参りました奄美西方之昆迩あまみにしかたのこんじと申します。」


 「ほう、日出る国の秋津洲ですか。面白いことを仰る方だ。」


 「秋津洲あきつしまには八部族が住処となしております。太古の昔より、あめつちの神を信じ、季節、季節に歳事を行って生かされております。わが奄美西方あまみにしかた族は、秋津洲八部族あきつしまはちぶぞくの一つでありまして、黒潮族くろしおぞくとも呼ばれ、殷の帝武丁の時、南海の子安貝を黄河中原に運んで、名を馳せたこともあります。今では、南海の越族えつぞくと共に、大洋を航海する数少ない交易の民にございます。とりわけ、黄海、精衛せいえいの海、かしこねの海では、山東宇林さんとううりん、済州李承 《ちぇじゅりしょう》、津島之綿津見つしまのわたつみ、そして、わが奄美之昆あまみのこん が持つ独自の航海術なしには、これらの海を航行することはできないでしょう。」

 鄒衍すうえんは、初めて会った昆迩こんじに大いなる興味を示して受け入れた。人によっては、東海の海の向こうは、最果ての黄泉よみの国、死霊しりょうの国として、毛嫌いする者も多いのである。

 「あなた方の先祖に、しょう帝武丁ていぷていのことが記憶されているのですか。ならば、上甲微じょうこうび祭祀の事はお聞でありましょうや。」

 鄒衍すうえんは学者である。昆迩こんじの話がどこまで真実であるかを問うてみた。

 すると、昆迩(こんじ)は、驚いて目を丸々と開いて答えた。

 「勿論で御座いますとも。上甲微じょうこうびの祭祀によって、華夏族かかぞくは、古来の陰陽いんようが復活し、伝説の女媧神じょかしんは蘇えりました。母神ぼしんの祭祀は天干正妃家てんかんせいひけによって蘇えり、そのあかしとして、帝武丁の御代に、子安貝こやすかいが全妊婦に配布されました。それ以来、南海の子安貝は、わが一族が黒潮に乗せて運ばせて戴きました。」


 昆迩こんじは、ふところに持っていた紫に金の星が散らばる珍しき子安貝を取り出して、鄒衍すうえんに差し出した。


 「これが、当時、天干てんかんの正妃家にもてはやされた幻の子安貝こやすかいに御座います。婦好妃のものと同じ種類でございます。これも何かの縁で御座いますれば、どうぞお受け取り下さいませ。」


 鄒衍すうえんは、うす紫に星が散りばめられた珍しい子安貝を手にすると、まじまじと眺めて、頬をほころばせた。


 「これはこれは、数奇な巡り合わせであります。しばらく、われの学舎を宿とされるがよい。」

 「ありがたき言葉に感謝申し上げます。お言葉に甘えて、徐賛じょさん殿ともども、お世話になりましょう。」


 昆迩こんじ徐賛じょさんは、このような鄒衍すうえんとの出会いがきっかけとなり、以後、稷下しょくかの門に出入りするようになった。

 後に、昆迩こんじは、豊浦宮に戻った折、八潮男之神やしおおのかみに息子の豊玉之男とよたまのおを、鄒衍すうえんの元に遊学させてはどうかと進言し、実現させたのであった。


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