第12話 浪響(なみひびき)の隠し事

 阿津耳あつみみは、豊浦宮にきて、秋津洲の危機をまざまざと肌に感じた。

 

 海賊の襲来について、皆々から報告を聞きおえると、阿津耳あつみみは、豊浦宮の祭殿に向かい一人佇たたずんだ。はるか西に浮かぶ沖之神島おきのかみしまを見やり、その神島でみそぎを行っている八潮男之神やしおおのかみに思いを馳せた。

 

 - 高天原では、若木神わかきかみが、世継ぎとなられた。父神の金拆神かねさくかみは、なぜにあのように不遇の運命を背負ったお子を跡取りとなされたのであろうか。ましてや、高天原の行く末を、どのようにお考えなのであろう。


 日が西の海に沈むと、あめつちは紫の気膜きまくに覆われてしまった。阿津耳あつみみには、その薄れゆく光の中から、神島にいる八潮男之神おしおおのかみの祈りが聞こえそうであった。


 - 豊浦宮は、の追撃軍から無旦王子むたんおうじを守るつもりである。しかし、今、八潮男之神おしおおのかみが、楚の国を相手に戦う理由はないはず。一体、宮は何を考えておられるのか。


 阿津耳あつみみは、次第に暗くなる日没の海を眺めてそう思った。東を向いても、西を向いても、秋津洲の行く末は見えない。「沈んだ太陽は、明日もまた、必ず現れるとは限らない・・・」と、気持ちは晴れなかった。


  ― しかし、すでに八潮男之神やしおおのかみの腹は決まっているようだ。えつ無旦王子むたんおうじを豊浦宮で匿うつもりである。


 その時、阿津耳あつみみは、沈んだはずの太陽光がひと筋の光となって跳ね上がるのを見た。その光は、神島の向こうを射した。阿津耳あつみみは、ぴくりとして背筋が伸びた。


 まさにそこは、津島つしまのわたつみの宮の場所である。


  ― あれは、わたつみの宮だ。そうか、無旦王子むたんおうじは、まだ、わたつみの宮におられる。


 神島の向こうには津島であり、わたつみの宮がある。まさに八潮男之神やしおおのかみは、無旦王子むたんおうじと向かい合っておられるではないか。阿津耳あつみみは、八潮男之神やしおおのかみが神島でみそぎをなされていることを理解した。


  ― なるほど、八潮男之神やしおおのかみは、越の王子を自らお出迎えに行かれたのであったか。


 阿津耳あつみみは、急ぎ、屋形に向かうと、留守居役の浪響なみひびきを呼んだ。外に誰もいないのを確かめると、


 「宮は、いつお戻りになられる。」


 浪響なみひびきの身体が固まった。息が喉につかえて声が出ない。無旦王子むたんおうじのことなら、先ほど、昆迩が説明したはずである。それでも、浪響なみひびきは、阿津耳あつみみに返事が出来ないでいる。


 若木神之詔わすきかみのみことのりとされた巨木が、時折、風にそよいで豊浦宮を蔽い、魔王の如くに立ちはだかっている。


「・・・」


 このような大事を高天原に報告せず、単独で進めていることに後ろめたさを覚えていたのであろうか。浪響なみひびきの表情は、ますます冷え切っていった。

 だが、阿津耳あつみみは、直ぐには、そのことを問い正そうとはせず、しばらく浪響と向き合ったまま、若木神を思った。

 阿津耳あつみみは、豊浦宮を信じていた。浪響なみひびき昆迩こんじを信じていた。これまでにも、秋津洲あきつしまは東の高天原たかまがはらと西の大海原おおわたはらに守られて、大陸の戦火を浴びずにいられてきたからである。


 阿津耳あつみみは、じっと我慢をして、浪響なみひびきの息が整うのを待った。


 「申し訳ございません。」


 浪響なみひびきは、ようやく正気を取り戻した。姿勢を正し、改めて深々とこうべを垂れた。

 「八潮男之神やしおおのかみは、仰せの通り、神島に於いてみそぎをなされ、越の無旦王子を神島にてお迎えに御座います。」

 「そのことなれば、先ほど、昆迩から聞いておる。」

 それでも浪響なみひびきはうわの空である。浪響なみひびきの心は何処にあるものかと、阿津耳あつみみは不審に思った。浪響は震えている。その震えが全身に伝わって来るのである。

 「ならば、神島の護衛ごえいは如何している。まさか、海賊に豊浦宮を襲わせたのは、なれの策ではないだろうな。」

 浪響なみひびきの震えがピタリと止まった。覚悟を決めたようにも見える。


 「いかにもその通りにてございます。」


 とても、聞き取れないようなか細き声であった。浪響は、このことをなんと申し開きしたらよいのか、畏れていたのである。覚悟したとは言え、今は、正直に許しを請うだけで精いっぱいであった。申しわけなさそうに、本心を伝えようとするが、声にならない。かぼそき声でさらに続けた。


 「津島のわたつみの宮と神島にお迎えの八潮男之神やしおおのかみをお守りするため、海賊の眼を欺くための策でござました。まさかあのように大勢の海賊船を引き連れて参るとは思いもしませんでした。に追われた海賊どもには、いささかの財を渡しましたゆえ、すでに、いずれにか姿を消しております。お許しを下されますように。」

 「だが、奴らは直ぐにまた、やってくるであろう。八潮男之神やしおおのかみには、ご覚悟の上のことであらせられるか。」

 「八潮男之神やしおおのかみ共々、われもまたいのちをば、あめつちの神に捧げております。」

 「相分かった。幸いに皆々も心配して、湊には多くの兵士が駆けつけてくれている。明朝にも、護衛船団を組んで神島に行こうではないか。」

 「いえ、其れには及びませぬ。すでに、八潮男之神やしおおのかみからは、『秘かに戻るによって、外には、決して漏らさぬ様に』との命が下っております。それに神島からの海路は、外の者には通ることの出来ない、この時期に特有の『カシコネの潮』が流れてご座います。この潮を手繰ることの出来る水主頭を乗せておりますれば、ご心配なきように。」

 阿津耳あつみみは、これ以上、浪響なみひびきを責めることはしなかった。浪響なみひびきの思いに応えることの方が、大切であると思った。

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