越の無旦王子(むたんおうじ)

第10話 倭人は、暢草(ちょうそう)を献じる

 昆迩こんじは、迷っていた。のどまで出かかっているのであるが、言えないまま話を変えた。


 「かつて、われ等は、大陸人から領地なき海人として、沿岸の湊を利用する特権が認められておりました。周の二代目天子てんし成王せいおうの時、わが知佳島の先祖、昆須こんすは、秋津洲に伝わる不老不死の草薬、千年に一度花咲かせるという暢草ちようそうを淮河の黥王げいわんの元に届けました。黥王げいわんの先祖は、古くから淮河わいが沖の孤島に住み着いて、秋津洲の言葉を話し、自分のことを阿曽彦あそひこと呼んで、代々に名を継がせておりました。その黥王げいわんが「これは、時を得た仙草せんそうである」として、直ちに、二代目周天子しゅうてんしに即位された成王せいおうへ献上致しました。この時、越裳えつしょうもまた白雉はくちを献じたことから、王は辺境の地からの贈物と大層喜び、「越裳えつしょう白雉はくちを献じ、倭人わじん暢草ちょうそうを献じる。」と歴史に記し、海人の中でも越人えつじん倭人わじんを特別に扱いました。海人は、それぞれに姿、形、肌の色、言葉が違うのですが、誰もその所在を明らかにする者はいませんでしたから、越人以外の海人は、いつしか、倭人わじんと呼ばれるようになりました。」

 

 昆迩こんじは、遠回りではあったが、黒潮奄美くろしおあまみ族と周天子しゅうてんしとの繋がりを話した。


 「その話は、高天原たかまがはらにも届いておる。豊浦宮とよこんすうらみやを築かれた豊雲野之神とよくもののかみは、知佳島ちかしまこんによって、宝貝の海路が開かれたことを高く評価され、こんと共に豊浦宮とようらみやを築かれたと伝わっておる。豊雲野之神とよくもののかみは、後に、大海原の大神となられ、高天原に次ぐ神として、西の海を任されたのである。昆須こんすとは知佳島之昆ちかしまのこんの子孫であったはず。」

 さすがに阿津耳あつみみは、高天原の重鎮じゅうちんである。豊浦宮とようらみや創建そうけん時代のことだけでなく、奄美西方あまみにしかたの昆一族についても周知していた。


 「ありがたきお言葉に感謝いたします。われは、その昆須こんすの子孫であり、西の海の交易と海の守護役を務めさせて頂いております。ところが、その倭人わじんが、いまや海賊の代名詞となっております。近頃では、内陸での戦いに敗れた兵士たちが、命からからがらに海に逃れ、あちこちの海で倭人を名乗るようになっているのです。」

 「戦いに敗れた兵士は、海に逃れれば、命だけは助かると言っているらしいではないか。」

 「よくご存じで・・・、その通りであります。海に逃れた者たちは、いまや、大半が海賊の一味に加わっております。救う側の海賊もそのつもりであります。何時の日か、奪われた領地を取り戻そうと志を持った敗残の将も居ますが、ほとんどが盗人ぬすっとになっております。今や大陸の湊々は、海賊に襲われ、海も陸も荒れ放題であります。倭人わじんの名誉も地に落ちたもので御座います。」

 昆迩は、言い終わると大きなため息をついた。

 「だが、そのような大陸の戦争と、秋津洲とは直接に関係があるはずもなかろう。豊浦宮を襲った倭人わじんとは何者であるのか。豊浦宮と倭人を結ぶ役割は、常に、知佳島の昆一族が担ってきたではないか。なれが一番よく、分かっているはずであろう。」

 すると、豊浦宮の留守居を守る浪響なみひびきが、躊躇ちゅうちょする昆迩こんじを見かねて応えた。


 「もともと海賊の多くは、長江口ちょうこうぐち周辺に多くの拠点を持っており、越王えつおうの配下にありました。えつは長らくと戦いを続けましたが、を破ると、都を琅邪ろうやに移して、勢力を北に向けました。この時、豊浦宮とようらみや倭人わじんである山東の莱族宇林らいぞくうりんを通じて、えつとの交流が始まりました。だが、越王の北進策はそこまででありました。最期の越王無疆むきょうに滅ぼされてからは、さすがに豊浦宮とようらみや琅邪ろうやとの交流は無くなりました。王を失った百越衆はたがが外れたように散り散りに離散し、多くは南に戻りましたが、一部は、海賊となって山東半島や朝鮮半島に跋扈ばっこする者も結構いるそうであります。」


 阿津耳あつみみは、初めて聞く大陸沿岸の海賊の状況に、大いなる関心を持って聞いた。

 「えつの残党が海賊となって、東海を暴れていると申すのか。」

 「いえ、越人えつじんだけではありません。戦いに敗れたものは、逃れる場所を失って、海に救いを求めてやって来るのです。だが、皆が皆、海賊となるわけではありません。戦いを嫌い、難を逃れた難民の一部は、海を越えて秋津洲に渡り、知佳島や松浦や豊浦宮に流れて来る者もおります。」

 「ほう、ふるさとを捨て、海を渡り、逃れてまいるのか。」

 「帰るべき故郷を奪われた者たちであります。豊浦宮では、多くはありませんが、八潮男之神やしおおのかみの許しを得て、これらの流民を受け入れ、宮の北海岸にひっそりとかくまい、生活させております。彼らについては、知佳島ちかしま小値賀おぢか衆が、責任をもってお世話しております。」


 浪響なみひびきは、阿津耳あつみみの反応を窺いながら、恐る恐る、流民を受け容れていることを話した。流民の受け入れについては、豊浦宮の独断で進めたことで、高天原には伝えていなかったのである。

 浪響なみひびきもまた、のどに何かがつかえたかのような口調になり、それ以上のことを語ることはなかった。


 流民のことについて、阿津耳あつみみは、内心、驚いて聞いたが、「倭人との交流がある豊浦宮とようらみや知佳島宮ちかしまのみやならばありうることだ」と、ことを荒立てることはしなかった。


 「奄美西方あまみにしかたの衆は、千年前から、黒潮に乗っては、南海の子安貝を蓬莱湊ほうらいみなとへ運んでこられた。百越ひゃくえつの国ともうまくやって来たではないか。倭人わじんが豊浦宮を襲うには、なにか特別の理由でもあるのか。」

 と、わざと鷹揚おうような態度で応えた。すると、今度は昆迩こんじ阿津耳あつみみの気持ちを察するかのように実情を話した。


 「先般、蓬莱湊ほうらいみなとより戻ったわが一族の者が申すには、『行く先を見失った越人が暴れ出し、蓬莱湊を占拠した。』と報告してきました。蓬莱湊ほうらいみなとは古来より、天海てんかいのとまり宿として、誰もが利用できる湊でありました。ところが、もともと海戦に強い越人らは、敗残兵を集め、蓬莱湊を占拠すると、たちまち渤海沿岸の湊の領袖りょうしゅうを襲いて、その利権をひとり占めにしたそうであります。内陸での戦いに敗れた者たちが加わり、折あらば力を蓄えて、再び、戦いの場に乗り込もうとの魂胆で、湊の利権を抑えたのであります。」

 「湊の利権が争われているのか。天子も王も形なしであるな。」

 「まこと、その様であります。大陸では、海も陸も河も各部族の報復の最前線となっております。特に、湊の奪い合いは甚だしく、裏切りやいわれなき怨恨が渦巻く殺戮の場となっております。豊浦宮を襲撃した海賊は、そのような輩が海を渡ってきたのでありましょう。」


 阿津耳あつみみは、想像以上に、大陸の戦いが拡大し、海を越えて、西の海、大海原に影響をもたらしていることを知った。


 「蓬莱湊を襲った連中が、最後の越王無彊むきょう一族の生き残りで弟の無恬むてんであることは、高天原にも聞き及んでいるが、それ以来、詳しい報告は受けていない。」 

 「なんと、無恬むてんのことをご存じてありましたか。さすがは、阿積あつみの親方で御座います。耳が早い。ならば、無彊王むきょうおうの子、無旦むたんを秘かに琅邪ろうやから逃した者のいることもご存知ではありますのか。」

昆迩こんじ迂闊うかつにも阿津耳(あつみみ)の誘いに乗って、無旦王子むたんおうじのことを口にした。


 「ほう、越の王子をかくまっている者がいるのか。」

 もはや、口に出したものは取り返しがつかない。昆迩こんじは、ここで慌てても栓ないことだと覚悟した。


 「いかにも越の王子とは、第一王子の無旦むたんと第二王子の無辰むしんことであります。」


 昆迩は、已む得ず王子の名を出してしまったが、これ以上の話をいささか躊躇ちゅうちょした。高天原の力が衰えていることは、皆々、周知のことである。その重臣である阿津耳之命あつみみのみことにどのように話せばよいのか迷ったのである。ありのままを話せば、高天原を巻き込んで、秋津洲始まって以来の戦いになるかもしれないと、昆迩こんじは心配した。

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