第9話 若木神の真(まこと)

 「これが、若木神わかきかみまことであるか。」


 阿津耳あつみみは、若木神わかきかみの霊力は、金拆神かねさくのかみ素乃木姫神そのきのひめかみにしか伝わらないものだと、勝手に思い込んでいたのだが、今、はっきりと、自分の目の前に現れた若木神わかきかみの姿を、目にし、耳にし、香りをかぐことが出来た。


 かしこね姫神も豊玉之男君とよたまのおのきみも、大地をらし、天に昇る神木に触れ、さすがに驚きて天を仰ぎ、高天原の若神を受け容れて寄り添った。


 佐久花姫神さくはなひめかみは、とっさに、磐座いわくらに捧げた八尺瓊勾玉やさかにのまがたまを手に取ると、改めて、あめつち八百万やおよろずの神々に深々と頭を垂れて祈った。


 「これぞ、まさしく、秋津洲あきつしま御柱みはしらなり。われら、あめつち八百万やおよろずの神々をあなどらず、おそれる心を忘れてはならじ。高天原たかまがはら若木神わかきかみ、ここに現れ、秋津洲八部族あきつしまはちぶぞくの魂とひとつにならん。」


 と申されて、八尺瓊勾玉やさかにのまがたまを根元の枝に懸けられた。


 瀬戸の大三島おおみしまからやってきた久治良神くじらかみは、新しい芽が出る度に、芽の先から金色の水が噴き出すので、喜んで傍に寄って浴びた。


 「阿津耳命あつみみのみことに申し上げます。わが久治良くじらの一族は、いにしえの大戸乃自神おおとのじのかみ綿津見曽良わたつみのそら、そして面足神おもだるのかみ以来のえにしにありて古き身内なり。今でこそ、瀬戸の海の守り神としてあめつちの神に使えさせて頂いておりますが、これもそれも宇都志うつしの神々と阿津見あつみの神々のお陰であります。若かりし頃の大戸自神おおとのじのかみ綿津見曽良わたつみのそら殿とは、共に幾度となく瀬戸の海を行き来した仲でありました。曽良そらの子、八潮やしおとは、後の面足神おもだるのかみのことでありまして、共に、外海そとうみである精衛せいえいの海を航海し、南の海にも参りました。今、西の海に災難ありて、豊浦宮とようらみやに影射すを聞くに及んで、このまま見逃すことはできませぬ。是非にも、久治良くじら一族の力をお使いいただきますように申し上げます。」


 久治良くじらは、千年前のことをまるで昨日のことのように語った。久治良くじらの身体は身も心も朽ちることがないのであろう。


 さらに続いて、知佳島ちかしまからやって来た西方昆迩にしかたのこんじが、阿津耳命あつみみのみことの前に現れ、なにやらふところから碌玉りょくぎょく手繰たぐり寄せて祭壇に捧げた。


 「高天原たかまがはら阿津耳之命あつみみのみことに申します。われ奄美族西方昆あまみぞくにしかたのこんの末裔にて、知佳島之宮ちかしまのみやを守る海人うみびと西方昆迩にしかたのこんじなり。一族の勾玉を若木神わかきかみに捧げて、わが思いを明らかに致します。」


 こうべを垂れたままに後ずさりして、再び、拝礼した。この奄美の昆迩こんじは、古くより知佳島ちかしまを拠点として大陸交易を取り仕切ってきた黒潮西方流くろしおにしかたながれの頭である。大陸では、古くより徐氏じょし一族と強い信頼で結ばれており、秋津洲あきつしまと大陸との絆となっている。

 「わが西方にしかたの一族は、豊浦宮とようらみや二代目オモダル八潮神やしおのかみとともに、西の海を守りてはや千年。黒潮の海が宝貝たからかいの海路として開かれたのは千年前のことでありました。かつては、子安貝こやすかいの道として、二十二代目殷の天帝てんていである武丁ぶていをして

 「わが尊祖そんその魂は子安貝こやすかいにあり、南海の海道を開くべし。」

 と言わしめたのが奄美黒潮海道あまみくろしおのかいどうでありました。以来、南海の珍しき産物を運びては、沖の縄島、奄美、知佳島ちかしま、さらには大陸の蓬莱湊ほうらいみなとは、共に栄えて参りました。」


 昆迩こんじの言葉に、阿津耳あつみみは血筋の故郷を思い出すかのように遠くを眺め、耳を澄まして聞いた。

「そうであったな。大海原の豊浦宮とようらのみやは、西方之昆氏にしかたのこんしと共に築かれたものであった。子安貝こやすがいは、宝貝たからかいとして豊浦宮に大きな富をもたらした。お陰で秋津洲には、母神の祭祀が絶えることなく、あめつちの神々は守られてはきたのであった。」


 昆迩の表情が急に険しくなった。

  

 「だが、大陸ではそうは参りませんでした。いんは、紂王ちゅうおうの暴政によりて天帝の国は亡び、姫神の世もまた滅びました。新たに周の天子が生れましたが、天地陰陽てんちいんようを敬う徳治とくちの時代は長く続きませんでした。今では、天の道も地の徳も失われております。周天子の力は弱まる一方で、群雄割拠ぐんゆうかっきょなす戦国の世であります。これ地の神、母神の祈りを怠り、子安貝こやすかいを疎かにした報いでありましょう。周の国では、母神の象徴である子安貝を求めることはなくなり、新しく生まれる男の子を兵士となして戦いが常の世となりました。今では、子安貝は秋津洲と長江の上流、古蜀こしょくの母神の求めに応えるだけとなりました。」

 阿津耳あつみみは、昆迩こんじの話に耳を傾け、心を空にして聞き入った。

 「大陸には、もはや天地陰陽てんちいんようの気は失われたというのか。」

 昆迩は、静かに頷いた。

 「いかにも、われら海道の民は、大陸の異変に敏感であります。とりわけ、この百年、黄河中原は大いなる天地の乱れ極まって、これをまとめる天子はあってなきが如くであります。天子に代って王を名のる者たちが次々と現れました。だが、徳を学ぶ王はいても、それは仮面をかぶった姿であり、武器と兵士を減らして、戦いをなくす王は一人としていないのです。むしろ武力を持って天子の領土を奪い合う戦いは、熾烈しれつを極めております。天地陰陽てんちいんようの気を求めるどころか、戦いは、内陸から沿岸地域に及び、海の民も戦いに巻き込まれるようになりました。大陸の天地あめつちの乱れは、四方に広がり、わが秋津洲あきつしまにも及ばんと致しております。豊浦宮とようらみやへの襲撃はその表れに御座います。」

 「そこまで急を要しているとは、思っていなかった。」

と、阿津耳あつみみは、肩を落とした。

 「もちろん、我々も、大陸での戦いが、秋津洲あきつしまに及ぶとは考えておりませんでした。何しろ、華夏かかの民にしてみれば、われらは、東海の彼方に浮かぶ黄泉よみの国の住人ぐらいにしか思われていないのですから。だが、大陸を追われた戦争難民は、命を懸けて、黄泉よみの国に希望を抱いて逃れて参るのであります。」

 「なるほど、われらは、黄泉よみの国の希望であるのか。」

 「おかげで、八潮男之神やしおおのかみは大陸の情勢にも詳しくなり、海を渡って秋津洲あきつしまにやってくる避難民については、大いなる憂いを持たれているのであります。」

 阿津耳あつみみは、さもありなんと大きく頷いて、さらに昆迩こんじの話に耳を傾けた。

「先般より、沖の神島に渡られまして、みそぎと祈りの日々をお送りで御座います。豊浦宮は、大陸と秋津洲の最前線なれば、ここは、皆々様のお力を合わせて、お守りいたさねばなりますまい。豊浦宮とようらみやを守ることは、高天原と秋津洲八部族を守ることと同じであります。今まさに高天原より、若木神の依り代が届けられ、天にまで届かんと皆々の御前おんまえにて、繁り栄えたところであります。まさしく、蜻蛉あきつの止まり木のごとく、民草の支えとなりましょう。」


 昆迩こんじの言葉は、今回の豊浦宮への襲撃が、これで終わることがないことを暗示し、切々と、阿津耳に訴えたのであった。だが、昆迩こんじは、肝心なことを、阿津耳あつみみに伝えることは出来なかった。

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