第4話 千年の呪い

 金拆神かねさくのかみは、再び祭壇の前に進み出ると、八十四個目の縄目の壺を手に持ち、頭上、高らかに掲げた。


 「あめのみなかぬしの神に申す。願わくは、わが千年の祈り、最後の壺とともに母神、香具姫神かぐひめかみの御許に届きますように。」


 続いて、金拆神は、剣懸つるぎかけに据えられた「八束之剣やつかのつるぎ」を両手で支え持った。


 「八束之剣やつかのつるぎ、千年の時を経て母神、香具姫神かぐひめのかみ御魂みたまをお迎えいたす。」

 と言うなり、剣のつかに手をかけて、静かに抜いた。みなみな、千年の言い伝えを思い出し、母神の荒魂が、鬼の形相となって現れるに違いないないと畏れ、目を閉じることもできなかった。

 さやから抜かれた剣はびることもなく、千年の時を待ち続けていたかのように、かがり火の中、大歳星おおとしぼしの輝きを映して光を放った。


 金拆神かねさくのかみの重圧は、いかばかりであったろう。千年にわたる一族復活の志がなければ、剣を引き抜く力は出てこなかったであろう。

 だが、佐久花姫神さくはなのひめかみは、呪いの剣の言い伝えを守る数少ない一族であり、祓戸秋津大宮はらいどあきつおおみやの当主である。さすがに、さやから抜かれた剣につみとがけがれの気配がないことをいち早く感じ取っていた。

 斎場さいじょうのあちこちから松明の炎がゆれ、「八束の剣」を照らした。金拆神は、引き抜いた剣を持ち上げると、御心のままに天を突いた。

 「香具姫神かぐひめかみの怒りよ、今こそ、あめのみなか主の神のもとに安らかに鎮まりたまえ。」

 金拆神かねさくのかみの内なる声が、全身に響きわたった時、剣に映った炎が刃先を伝ってひとつになり、炎の言葉が発せられた。


 「ヒカネ千年の子、金拆かねさくよ、よくも約束を守り通してくれた。おかげで、わが怒りの心は既に失せてしまった。そればかりかヒカネの兄である、おと彦根ひこね輝々彦かがひこの無念なる魂もまた穏やかに、わが心の内に収まってくれた。これよりは、われとおと彦根、輝々彦の行く末を心置きなく祓戸神はらいどのかみに任せることができようぞ。ようやく、われも晴れて根の国、底の国に参ることが出よう。願わくば、金拆かねさくよ、「緋の剣の祠」にも心を寄せてもらえないか。かたきとは言え、荒魂あらたまとなったヒサグジ、ホウ、タマツミの御魂みたまもまた、わが一族であるのだ。宇都志うつし一族にこの荒魂あらたまある限り、新しき千年の御代を迎えることは出来ない。金拆かねさくよ、心を奮い起こし、この難関を突き進みてあめ族の新しき御代を築いてほしい。」

 炎の言葉が勢いを増して光放たれると、金拆神かねさくのかみは、これに応えるかのように八束之剣やつかのつるぎを高々と掲げた。


 ここに香具姫かぐひめ千年の想いは、時を超えて成し遂げられた。


 金拆神かねさくのかみ諏訪神すわのかみジン姫は、母神の言葉に従って、傍らの「緋の剣の祠」に入った。さらに、佐久花姫神さくはなひめかみも、二人神の後に続いて祠に入った。

 このほこらには、千年前の戦いでヒカネの君に敗れた、宇都志火裂比古うつしひさくひこの子ヒサグジとその子孫ホウ、タマツミ親子の勾玉が祀られている。火裂比古ひさくひこの子として千年の命を生き長らえたと伝えられる妖怪ヒサグジの荒魂は、果たして時の流れの中で風化したのであろうか。

 金拆神かねさくのかみは、たとえ香具姫神かぐひめかみの願いとは言え、気を許すことはなかった。

 「この剣もまた、千年の眠りから覚めるのであろうか。」

 との思いから、ここは天常立神あめのとこたちのかみの力が必要だと思った。

 金拆神かねさくのかみは、「緋の剣」を両手に持ち上げると、「香具姫かぐひめ八束之剣やつかのつるぎ」と同じように、そのまま頭上に捧げて祈った。


 「われ、千年の時を経て、「緋の剣」にまつわる一族の荒魂を、ここに解き放たん。わが祖神、天常立神あめのとこたちのかみに申す。ヒサグジ千年のつみとがけがれを浄め給いて、直ちに、祓戸神はらいどのかみに引き渡し頂きたく願い奉る。」


 と言うなり、金拆神かねさくのかみは、緋の剣を一気に抜きはらった。たちまち祠の中は、黒雲が渦巻き、さらに祠の外に竜巻の如くに舞い上がった。


 「うぁっはっ、はっ、はっ。」

 突然、黒雲の中から轟の叫び声が高天原を震わせた。


 「ようやく、広々とした世界に舞い戻ることが出来たわ。しかも、あのヒカネが血筋の末裔まつえい、金拆かねさくの手によって封印の剣が抜き去られるとは、まことにもって滑稽こっけいなことよ。」


 金拆神かねさくのかみは、驚き、立ち昇る龍神の如き黒雲の正体を確かめようとした。


「うぬっ、妖しき物の怪よ。堂々と姿かたちを現して、われの前に現れよ。それとも、再び、千年の暗闇に封じ込められるを望むか。いざ、どちらを選ぶか、返答をいたすべし。」


 「なにを小癪こしゃくな、お前のような若造が、われにものをいうのもおこがましいわ。けがをする前に、黙って、「緋の剣」を元の鞘に納めるのだ。」


 金拆神ひねのかみは、ヒサグジのことを恐れているわけでもなく、勢い余ってつるぎを抜いたわけでもなかった。千年の時を想い、祖神天常立神そしんあめのとこたちのかみ御魂みちまと心を通わせていた。まさかの黒雲には戸惑っていたが、天常立神あめのとこたちのかみへの想いから離れることはなかった。


 すると佐久花姫神さくはなひめかみが、八尺瓊勾玉やさかにのまがたまを携えて立ち上がった。


 「われ、秋津洲の御しるし、八尺瓊勾玉やさかにのまがたまをもちて、ヒサグジ千年の荒魂を鎮めさせ給う。ここに秋津洲八百万あきつしまやおよろずの神々、あい寄り集まりて、われと共に鎮めたまえ。祓戸はらいどの四つ神であらせます、瀬織津姫神せおりつひめのかみ速秋津姫神はやあきつのひめかみ息吹戸主神いぶきどぬしのかみ速左須良比姫神はやさすらいひめかみ、われと秋津洲の神々の願いを聞き届け給いて、宇都志うつし千年のつみとがけがれを祓い清め給え。」


 さすがに、佐久花姫神さくはなひめかみはふりことばに、ヒサグジはもはや観念したのであろう。千年前の呪いの神、火神久呂押ひかみくろおしの影は見るべくもなかったが、最後の意地を張ったのか、金拆神かねさくのかみに向かって言った。


金拆かねさくよ、お主ら一族は、よくも千年もの間、母と子の約束を守り通したものだ。お陰でわれも、もはや、この世への未練はなくなった。うらみものろいも失せてしもうた。感謝すべきは、われの方であろう。われは、これでようやく黄泉よみの国、の国、そこの国に失せることができよう。ただし、一つだけ、みやげをくれてやろう。金拆かねさくよ、よく耳の穴をあけて聞くがよい。千年のみそぎはこれにてけりがついたはずであり、なれは、大きな務めを十分に果たすことが出来た。だが、安心してはならない。汝の世継ぎの子は、千年の約束の前にこの世に生まれ出でてしまった。残念ながら、この世継ぎの子には、わが痛みの心が引き継がれることを忘れるではないぞ。それが宇都志一族の宿命であると思え。汝らの母神、香具姫神かぐひめのかみは息子たちの無念を晴らすために千年の時を待ったが、素乃木そのきの母神もまた、新しき世継ぎのために、千年の罪咎つみとがを背負うこととなろう。」


 そう言い残して、ヒサグジとホウ、タマツミの魂は黒雲と共に、姿を消してしまった。


 佐久花姫神さくはなひめかみは、麻績おみ青和幣あおにぎてを握り、左右に振りかざして、約束の日から九百九十六年目の大歳の祈りを終えた。


 金拆神かねさくのかみはヒサグジの言葉を受け入れ、一族の宿命をわが世継ぎと共に背負うことを決意した。だが、ヒサグジが、最期に素乃木姫神そのきのひめかみへあのような捨て台詞を残そうとは思わなかった。心あたりのない腹いせであり、姫神の耳には入らぬようにと皆々に命じた。


 金拆神かねさくのかみは、姫神のことが気になったのか、産屋に向かい、素乃木姫神そのきのひめかみねぎらい、我が子を見舞った。だが、初めて見た、その余りにも未熟な赤子の姿に、金拆神かねさくのかみは言葉を失った。手と足の五本の指は離れてはおらず、耳や鼻、口も微かにその形を残すばかりであった。

 金拆神かねさくのかみは、素乃木妃そのきひめの涙をどのように受け入れればよいのか戸惑いの気持ちを隠せず、ただ、おろおろとするばかりであった。


 「これが、ヒサグジが言い残した、わが一族の宿命であるのか。ならば、宇都志うつしの族長として、命の限りに務めを果たすのみ。」


 金拆神かねさくのかみは、ヒサグジの言葉を一身に受け止めると、改めて素乃木妃そのきひめとわが世継ぎの姿を眺めて言った。


 「名をば若木わかきといたそう。必ずや、一族のおさとして大木に育ってくれるように、皆々でいつくしんでくれ。」

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