Night moon

川谷パルテノン

 取材の帰りに車が突然停まった。故障にしたって近くにはスタンドもなければひと気もない山道だ。正直参った。下世話な創作話を実話風に偽ってゴシップ雑誌の片隅に載せてもらう。そんないい加減なものでも幾らかは金になった。とはいえたまには外に出てネタになるような物事を見聞きしなければアイデアも底をつく。ところがこうして出てきてみればこの有様。野良犬か。嫌な遠吠えが聞こえる。

 昔はまともに作家を目指した頃もあった。好きだったのだと思う。ただそれを生業にとなるとどうにも思うとおりとはいかず納得出来たためしがなかった。それでも諦めがつかないので出版社に直接送りつけたりもしたが箸にも棒にも掛からなかった。ところが一人だけ声をかけてきた人物がいる。影緋えいあ社の田所という男だ。影緋社は田所が作ったマイクロ法人で主に芸能を取り扱う雑誌の出版を細々と行っていた。のっけからお前の小説はゴミだと言ってきた田所に拳を振り上げたのは妄想の中で実際の俺は言い返せなかった。自分の才能を信じていたようで信じきれなかった。田所は俺に物書きとして食わせてやると告げた。それが今の仕事だ。ろくでもない仕事。読者がいるのかさえ怪しいエロネタ、暴力、スキャンダルなんでもありの創作話。ただ実在の有名芸能人を匂わせたりする。田所はまだ記事に出来ないスクープのなり損ないみたいな話をそこで小出しさせた。正直言ってくだらないと思った。あいつはいずれこれがどこかで予言の書になるなどと言って神様気分に浸っていたが結局自分の力では握りつぶされるネタに諦めがつかずしがみついている小物でしかない。それは俺も同じだった。物書きくずれのゴシップライター。真似事のようにアイデア目的の取材と称して田舎の山奥にまで足を運んでいた。

 今どき珍しく圏外で通信手段が断たれたため車は仕方なくその場に放置したまま周囲にひと気がないか探すことにした。相変わらず獣のような声は響いており、陽も落ちた山で遭難など御免だとは思いつつもまるで土地勘のない地域。何処から探したものか正直途方に暮れた。

「どうかされたのですか」

 急に声がして背筋が震えた。振り返ると女が一人立っていた。小柄な女で歳は若く見えた。

「すみません。バッテリーがあがったみたいで。近くにスタンドなんかありませんかね」

「この山なので。もしよかったら朝になるまで私たちの村のほうで休まれてはいかがでしょう。寝泊まりする場所ならご用意できますけれど。この辺は野犬も多くて夜は危険です。日が登ったら下山の案内をしてそれから救助を頼まれてみては」

 助かったと思う反面、親切さに不信感があった。田所のもとで働くようになってからそれが事実かはともかく人間の汚さを垣間見てきた自分はすっかり人というものを心底信用することがなくなっていた。とはいえこのままでは気もおかしくなりかねないので女に言われるまま村とやらに案内してもらうことにした。女は瀧本と名乗り、比賣ひめ村などという地名は聞いたこともなかったが村役場の会議室を使っていいとのことだった。しばらくすると瀧本が食事を運んでくれた。握り飯二つと味噌汁。そういえば昼から何も食べていないことを思い出し腹がなった。瀧本の傍にいた老人がニヤけた顔でこちらを見ておりいけすかない爺だなと感じた。

「私は榊と申します。比賣村で村長をやらせてもらっとります。疲れもありましょう。今晩はゆっくり休んでくだされ」

 二人が退室すると携帯がなった。俺は握り飯を味噌汁で流し込みそれを取る。田所からだった。

(石上いしがみか? お前、今どこにいるんだよ)

「もしもし、すみません。今車が故障して立ち往生してしまって。比賣村ってところで」

(比賣村だと! すぐに出ろ!)

 比賣村の名をあげると田所の様子が急変した。どういうわけだ。その後、何かを言いかけて通話は途絶える。また圏外になっていた。田所の態度は気になったが疲労からか強烈な睡魔が襲ってきて意識はそこで途絶えた。


 気がつくと暗い部屋にいた。先程の会議室とは異なった場所だ。夜目に慣れてくるとそこは格子で間仕切りされた牢屋のようになっていた。どういうことだ。

「ひょっひょっ。旅のお方、ゆっくりできましたかな」

 村長の榊が格子の向こうに立っていた。俺はこの状況を問うた。わけがわからない。

「貴方様には礎なる五皇子を担ってもらいます。これでようやく我らの本願が遂げられる。ああ夜が訪れる。ようやく、ようやく」

「何を言っている。おかしくなったのか」

「口を慎め。貴様のような下賎な者が礎なる五皇子に選ばれただけでも誉れ。それを抱いて死ぬがいい。夜はすぐそこに」

 榊はそう言い残して立ち去った。奴の言葉からどうやら自分は殺されるらしいと悟った。奴が口にしたことはすべて意味不明で、今思えば俺はここにまんまと誘い込まれたらしかった。意識を失う前に田所が言ったことを思い出す。すぐに出ろ。田所はこの比賣村について何か知っているのか。考えはまとまらない。どうにかここを出なくては。しかしどうする。路頭に迷う中、また暗がりに人の気配がした。瀧本だ。

「俺を嵌めたのか」

「お許しください。私はそうするしかなかった」

「奴は、榊は何の話をしている。俺を殺すのか」

「榊様はここでずっと夜の復権を目指してきました。それがあなたの来訪でようやく整われた。このままではあなたは他の贄たちと同様に礎とされてしまいます」

「ふざけるな。俺があんた達に何をしたんだ。すぐに出せ。出してくれ」

「残念ながら私が直接あなたを救い出すことはなりません。ですがこちらをお持ちください。あなたならばもしくは。どうかご武運を」

 瀧本が残していったのは一枚の紙切れと棒状の鉄塊だった。鉄塊は手に取ってみると剣のようで材質は青銅のように見えた。鉄臭さから随分と古いもののようだ。紙切れにはかすれた字でこう書かれていた。

 

 夜の訪れを誘う五宝を揃え賜へ 

 御石の仏鉢、蓬莱の枝、火鼠の裘、

 龍頸の珠、燕の子安貝

 しからば月より夜は来らん


 まったくもって意味はわからない。相変わらず携帯も圏外のまま。瀧本が置いていった銅剣はひどく重かったがこれならば或いはと感じそのままに格子へ振り翳した。衝撃で肩の関節が外れそうになる。しかし俄かに折れかかった格子を蹴破るとなんとかすり抜けられそうな隙間が出来た。そのまま暗がりを警戒しながら建物の外へ出た俺はそのまま地面に膝をついた。目の前に広がった景色は連れて来られた時の比賣村とは一変するどころか、それはもはや現実と呼べるのか、呼称するならば地獄とはこのようではなかったかと思えるほどの不気味でおどろおどろしい暗闇が広がる土地へと変貌していた。

「礎が逃げたぞーーッ! 探せーー!」

 咄嗟に身を岩陰に隠し、なんとか落ち着きを取り戻そうとする。だがどこに逃げればいい。ここはどこだ。俺はなぜこんなことに巻き込まれている。瀧本の残した紙をもう一度開く。暗くてよく見えない。記憶を辿りつつ補完すればたしか五宝を揃えろと書いてあったはずだ。瀧本はなぜこれを俺に渡した。榊は夜の復権を目指していると瀧本は言っていた。夜とはなんだ。この紙に書かれた夜ということか。なら五宝とはなんだ。俺は直感した。少なくとも榊にその五宝を手渡してはいけない。それは細糸ほどの生還の道を絶つことになると。榊よりも早くその五宝とやらを見つけ出さなくては。重い銅剣を捨て置くべきかは悩んだが万一追手に襲撃されたことを考えると持って歩くしかなかった。

 探し出すとはいっても手掛かりはほぼない。名前だけは記されていたがそれがどのようなものを指すのかも見当がつかずにいた。周囲を見渡すと俄かに灯りの点いた場所が見えた。危険はあったがこのまま立ち止まっていても埒があかない。俺は灯りを目指した。途中、おそらく榊の手下であろう村人達が懐中電灯を手に周囲を警戒していた。どうやら一人のようだ。この暗闇を行き来するにはあの懐中電灯を手に入れたかった。脚は震えていた。中々一歩が踏み出せない。相手は一人。銅剣を両手で握りしめ覚悟を決めた。少しずつ、背後に回り込み静かに近づく。足元に落ちていた石ころを奴の手前に転がるよう投げた。思惑どおりそちらに気を取られている隙を見て俺は村人の背後から銅剣を叩き伏せた。村人はそのまま突っ伏し、俺は懐中電灯を奪い取ると再び灯りに向かって歩き始めた。いったいこんなことをあと何度繰り返さなくてはいけないのか。どっと疲労が押し寄せてくる。

「うガァーーッ!!」

 隙を見せてしまった。覚悟が足りなかった。とどめを刺すべきだったのだ。先ほど殴り倒した村人が息を吹き返し、背後から頸筋を締め上げられた。酸素が欠乏し意識が遠のき始める。俺は死ぬのか。

「石上!」

 村人の力が急に抜ける。なんとか腕を振り解き俺は無我夢中で村人の胴に剣を突き立てた。生温い液体が顔にかかる。血だ。俺は人を殺してしまった。しかし仕方ないと思った。不可解な状況で殺すか殺されるかの瀬戸際。俺は自分の行いを正しかったと思い込むようにした。懐中電灯を照らす。村人から俺を助けようとしてくれたのは意外な人物だった。

「田所さん、どうやって此処へ」

「まあここには因縁があってな。それより早く逃げるぞ」

「なんなんですかこの村は」

「ここは村なんかじゃねえ。イカれた連中の住処さ。お前はこれ以上踏み込むな」

「わけがわからない。あんた、くだらないゴシップ追い回すよりここに詳しいならこのネタを追うべきじゃないのか」

「関わっていいことと悪いことがある。ここはヤバい。芸能界や闇社会がどうだとかいうレベルの話じゃないんだ。わかれよ!」

「俺はもう人を殺してしまった。ただじゃ帰れない」

「莫迦野郎! ここの連中を何人ぶっ殺そうが奴らは表には出て来れない。お前、何を考えてる。まさか物書き根性に火でも点いたか? 莫迦莫迦しい。生きて帰りたいならここまでにしとけ」

「あんたがやらないなら俺がやる」

「わからねえ奴だな。もういい。勝手に死ね。忠告はしたからな」

 田所は来た道を戻っていった。何故俺は危険を選んだのだろうか。田所が現れるまでは逃げ出したかったはずなのに、行くべき道はこの地獄のような道の先にある気になっていた。田所の忠告を無視する形で俺はまた灯りへと向かった。


 灯りは洞穴から漏れ出ていた。村人達が屯しているのかもしれない。周囲を警戒しながら中へと踏み入る。闇夜の中では一際明るく感じた。中は夏のように暑い。歩いているだけで汗が滲んだ。

「誰だ!」

 村人達に見つかった。やるしかない。銅剣を構える。相手は先程と違い三人だ。既に後悔していた。一人倒せていい気になっていたのかもしれない。多勢を相手に切り抜けるビジョンがまるで浮かばないのだ。少しずつ間合いを詰めてくる敵にどうしていいのかわからない。互いに竦んでいると奥からもう一人が走って駆けつけた。劣勢はさらに高まる。しかしどうも様子がおかしい。駆けてきた村人は「火鼠かそが暴れ出した! ここはもう駄目だ!」と仲間に告げる。途端奴らは急に此方へと向かってきた。思わず身構えるもの震えて身動きが取れない。しかし奴らはそのまま俺の横を通り過ぎて洞穴の外に向かって走り去った。どういうわけだ。本当の絶望が洞穴の奥から這い出でる。燃え盛る炎を纏った四足の獣。獲物を強かに凝視し喰らう隙を窺っていた。洞穴内の温度はさらに上昇し、肌を焼き尽くすような熱さまで至る。火鼠。その咆哮が洞穴中に響き渡ると奴は突進してきた。本能的にそれを躱すも態勢が崩れたところへ再び向かってくる。すぐさま立て直すが間に合わない。俺は全身に強い衝撃と熱を受けた。死ぬ。間違いなく殺される。恐怖の狭間でどうにか意識を持ち堪えさせようとするも火鼠を退ける手立てが見つからない。三度目の突進。これを喰らえば間違いなく終わりだ。俺は覚悟の上で銅剣の切先を前へと突き出した。火鼠は勢いを弛めることなく向かってくる。切先が奴の眉間へ命中するとそこからマグマのような火柱が噴き出した。俺は腕を焼かれ、胴体を焼かれた。爛れた部分は骨が辛うじて溶けぬまま剥き出しになる。痛みというよりかはその見てくれに悲鳴をあげた。火鼠もまた突き刺さる剣にのたうち周囲へと火の粉を撒き散らした。どうせ死ぬ。その無鉄砲さは俺を奴の方へと走らせた。突き刺さった銅剣に手を伸ばすと全身の皮膚が焼かれ間違いなく俺の体は骨だけになった。それでも動く限りの力で剣を持ち上げるような形で火鼠の額を切り裂いた。再びマグマが大きく噴出し俺は骨も溶かされる感覚を味わう。その先は覚えていない。俺は死んだのだ。


「目覚めましたか」

 夢だろうか。それともこれが死後の世界か。俺の意識はどこだかわからないなりに再び取り戻っていた。骨も肉も元どおりになっている。声の主は瀧本だった。掴み掛かりたい一心ではあったが火鼠との戦いが現実だったのか動けなかった。

「なんなんだあの化物は。お前らは何者なんだ」

「あれもまた五皇子が一人。あなたはそれに打ち勝ち宝を得た。あなたの肉体は五宝の導きにより再生されました。火鼠の裘はあなたの肉体に宿りました。あなたの旅路にこれからも祝福あらんことを」

「待てッ。どこへ行く。クソッタレが! 殺してやる!」

「いずれまた。五宝はまだ四つ。ご武運を」

 理解などもはや意味がない。田所の言うようにこの比賣村は踏み入ってはならない世界だった。なんとか洞穴を出ると来たはずの道は大岩で塞がれ途絶していた。前に進むより他ないのか。激しい後悔は何故かすぐさま未知への好奇心に変換される。その情動は自らでは制御出来なかった。

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