運命の相手じゃない話

碧海にあ

 

「運命じゃないんだろうな」


 披露宴のあとで、控室の椅子に座った花嫁が呟いた。真っ白なスレンダーラインのドレスに身を包み、頭はアイビーがモチーフのバックカチューシャでかざられている。憂い気な目は小さなテーブルに置かれた花瓶に向かっている。まるで絵画のような、美しい光景だった。

 俺は彼女が発した言葉に驚いて立ち上がった。椅子がガタっと音を立てそれにまた驚き、今度は静かに座る。

 彼女がこちらを見て少し笑った。

「せっかくのお顔が残念なことになってるわよ、花婿さん」

 すまない、と小さく言って一つ咳払いをした。

 ばれないように小さく深呼吸をする。

「どういう意味かな。教えてもらえるか」

 できるだけ平静を装って――もっとも、もうほとんど意味はないだろうが――そう訊ねた。

「言っても、今後目移りしちゃったりしない?」

 どこか冗談めいた様子で確認される。しかし、彼女の目は真っ直ぐだ。

「もちろんだ」

 話はいまいち掴めないが、答えは一択。はっきり答えた。

 彼女は体ごとこちらを振り返る。波のように広がる長いトレーンは動きについていかなかった。

 そしてゆっくりと、薄い唇がひらかれる。

「わたしたちお互いに、運命の相手じゃないと思うの」

「運命」

「そう」

 もし、運命なんてものがあるとしたらね、と付け足しながら微笑む。彼女の言葉は、時々少し難しい。

 彼女はちょうど今日、運命の相手意外と、俺と、結婚したということだ。が、その顔に後悔の色は伺えない。

 ちょっとの間考えてから彼女は続ける。

「例えば、そうだな。わたしたちは全然一目惚れじゃないでしょう?」

 俺と彼女は、中学の頃に出会った。クラスの中でなんとなくできた男三人女四人の仲良しグループに、僕も彼女も入っていた。学生の間はよくみんなで遊びに行ったな、と懐かしくなる。しかしその頃、彼女とは何もなかった。まさか結婚するだなんて思いもしなかった。

「それにね、わたし、あなたと花子が付き合ってるの、隣で見てたじゃない」

 花子は俺が中学時代に付き合っていた女子である。花子も仲の良い七人のうちの一人だった。

 もう十年も前のことだ。時効だろう。しかし矢張り、ばつが悪い。

「あの子、人のお祝いに嫌味を言うような子じゃないでしょ? でもね、完全な善意で友人代表のスピーチやろうかって声をかけてくれたときはびっくりしちゃった」

 ふふ、と彼女は悠長に笑う。そんなことがあったとは知らなかった。

 彼女はおおらかだ。彼女を知る人はみんな、海みたいな人だと言う。俺もそう思う。おおらかさも、時折見せる気紛れさも。

「そう、それで、二人が付き合って、別れるのを隣で見て、みんな別の学校に進学して。大学入ってからまたちょっと集まるようになってね」

 そして、なんとなく一緒にいる時間が増えて、以後心地の良さに気づき、付き合って、今に至る。

「あなたのこと、すっごく好きだし、今幸せ。愛してるわ」

 けど、と続く。落ち着かない。なんで接続詞が逆説なんだ。

「お互いに、ああこのひとなんだ! って瞬間はきっとなかったわよね」

「それは」

 一度口をつぐむ。俺たちの性格ゆえとも言えるのではないか。……いや、流石に言い訳が苦しい。

 再び口を開いた。

「まあ、否定はしないよ。今君といられることが幸せだと本気で思ってるけどね」

 正直な気持ちを隠すことも、すでに俺たちには必要がなくなっていたんだろう。気の利いた言葉を言えない俺は大変助かっている。嬉しい、と彼女は言った。

 一呼吸置いてまた話し始める。

「だからね、わたしたちって運命の相手ではないんだろうなって」

 なるほど。

 そしてまた少し、沈黙が流れる。

「運命の相手はどこかにいるのかもしれないわね」

「え」

 彼女が言って、自分の喉から弱々しい音が出た。

 彼女が優しく笑う。そういえば、いつか彼女にあなたは迷子の子供みたいな顔をすることがあるよね、と言われたことがあった。そのときの彼女と、同じ顔だ。

「運命の相手にまだ出会わないうちに、わたしたちくっついちゃったのかも」

 いたずらっぽく、けれどとても優しくそんなことを言う。

 不安に駆られる。もし、この先、その運命の人というのが彼女の前に現れてしまったら。

「でもね、残念」

 彼女はぐいっと身を乗り出し、つい先程までの微笑みから打って変わってその顔に挑発的な笑みを浮かべた。

「わたし、もうあなたを手放す気も、あなたに捨てられる気もないの。死んだってね。運命の赤い糸なんて、わたしがいつでもちぎってあげる」

 体の奥から熱が込み上がる。

 これはきっと彼女からの最大級の愛の言葉だ。僕はいつの間にか彼女に酔ってしまっている。それこそ運命の赤い糸になんて気が付けないくらいに。

「だってほらわたしたち、糸より強い金属の輪っかが同じ指にはまってる」

 そう言って左手を出して見せる彼女は、おおらかな海ではなかった。まるで荒々しい波で威嚇しているようだ。しかし、海を愛する愚かな船乗りは引き返そうだなんて思いもしない。

 笑う彼女に右手を差し伸べる。俺は喜んでこの海に溺れよう。

 彼女は手を取って立ち上がり、右腕を俺の肩にのせ背伸びして言った。

「だから、よろしくね。わたしの旦那さん」

 ああ、まったくこのひとは。

「こちらこそ、俺のお嫁さん」

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運命の相手じゃない話 碧海にあ @mentaiko-roulette

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