『帰ってきた幼馴染を殺す女』

小田舵木

『帰ってきた幼馴染を殺す女』

 ひらめく刃。それが僕の腹部を貫く。その瞬間はスローモーションに感じられて。

 ゆっくりと刃が僕の腹部の皮膚を裂き、筋肉繊維を切り、胃の方に刺さっていく。

 徐々に暗くなっていく視界の先には少女。僕の幼馴染の霧崎きりさきさん。長い髪にキツめの顔立ち。その表情はクールだ。人を刺し殺そうってのに涼しい顔をしている。

「腹を刺してくれるのは勘弁してくれないかな」と僕は声帯を震わせて。

「これくらいしないと殺した気がしないから」こたえる声は平板で。

「いくら殺してくれたって僕は死ねないよ」

「これだからゾンビは」と苦々しげにいう彼女。

「走ってくる電車に放りこんだ方がぐちゃぐちゃになるぜ?」

「一度試したじゃない。アレ、こっちは相当そうとう気分悪くなるのよ」顔をしかめながらそう言って。

「そりゃ轢死体れきしたいってのは見栄えしないからね」

「しばらくお肉が食べれなくなった」

「そいつは御愁傷ごしゅうしょうさん」

 

「さて。やっぱりアンタは死なないのよね。こうしても」彼女は問う。

「何度も試したろ。死なない。一日しないうちに復活してしまう」

「恐ろしいまでの生命力」

「望んで手に入れた訳じゃない。気がついたら―そうだった」僕は数年前に彼女の眼の前で亡くなっている。臓器にちょっとした機能異常を抱えていて。そのせいで身体のバランスを崩した。その結果、病室で息を引き取った。

「生前にそれくらいタフだったら、どんなに良かったか」彼女は悔しそうにそう言って。

「そりゃ僕もそう思う」

「得てして。人は望むモノを手に出来ない」

「それが人生ってものさ」

「死んでる人間は言うことが違う」

「悟るまでには至らないけどね」

 

 ひとしきり会話をすると彼女は刀を携えて去っていく。まったく、あんなモノ何処から持ってきたんだか…ああ。彼女のお爺さんだ。霧崎さんのお爺さんは刀剣愛好家で日本刀を所持してたっけな。しかも彼女は剣道部、その上に居合術もやっていて。

「一番の得物えもので僕を確実に殺したい訳だ」

 

                  ◆


 彼女は僕をゾンビと形容するが、それは正しくない。

 

 燃え盛る炎が僕の身を焼き尽くしたはず。なのに僕は肉体を持って再生しちまった。

 そこにどんな原理が働いたかは僕は知らない。残念ながら。その上どうやって不死性を帯びてしまったのかは更なる謎だ。

 

 彼女は僕の心臓をあの日本刀で刺し貫いた。きっちり仕事はしていった。

 傷口からは血がしたたり。僕はその場でぶっ倒れていて。

「早めに意識いしき帰ってくると良いな、人に見つかったら面倒だ」場所は人目につかない路地。時刻は深夜。朝までに意識を戻せば人には見つかるまい…

 

                  ◆


 僕は朝のハンバーガーショップでコーヒーをすする。

 このゾンビの体になってから食欲は感じないが、どうにもカフェインだけは恋しくなる。

 え?何故ゾンビの僕が現金をもっているかって?

 …霧崎さんが同情なのかしらないが、現金を渡してくれるのだ。殺す前に。わざわざ。何がしたいのか分からなくなる。

 

 まあ、そんな事はどうでも良くて。

 今日もまた死ねず終いの人生は続く。今夜もまた彼女は殺しにくるだろうか?

 出来れば勘弁してもらいたい。いくら不死だからといって、痛覚がないわけではないのだ。

「今日は何をして時間を潰すかね」死んだはずの人間ってのは存外自由がない。居ないはずの人間には居場所はそうそうない。

 また漫画喫茶にでも乗り込むか。霧崎さんの渡してくれた現金はまだ残っているし。

 

                  ◆


 彼は今日も死ななかった。

 まあ、あんな殺し方では足りないのは分かっている。

 前、駅に居た彼を線路に突き落とした事がある。フルスピードの快速電車に彼をかせてみたのだ。彼は見事にバラバラになったが。死にはしなかった。数日後にピンピンして帰って来たのをよく覚えている。逆に私は戦々恐々だった。なにせ防犯カメラのある駅のホームで彼を突き落としたのだから。一応変装してたし、フードは被っていたから顔は割れてないと思うけど。今のところ警察が家に尋ねて来たりはしていない。

 

「今日はどうやって彼を殺すかな…」なんて物騒な独り言が漏れる。少し前まではそんなこと考えるだけで恐ろしかったけど。今や日常になりつつある。

 まあ?私が殺しているのは死者である訳で。そこまで良心のとがめはない…というか、本来くなっているはずの人間を元の状態に戻してやるのは正しい事だと思う…のだ、多分。

  

                  ◆


 私と彼が再会してしまったのはある夜のことだった。

 夏の夜。暑苦しい空気が私を包んでいて。意識は何処か宙を舞っていた。

 家路を急ぐ視界の先に―見えてはいけないモノが見えた。

 彼だ。黄泉坂よみさかくん。亡くなった時と同じ姿ではなかった。彼は小学生の頃に亡くなっているが、高校生くらいの年頃の姿をしていた。何故、ひと目で分かったか?目元に妙に面影があったのだ。

 でも。まあ、普通に考えれば他人の空似か、はたまた私が見る幻影だろう…

「霧崎…さん?」彼はそうつぶやいて。

「…」返事が出るわけがない。

「僕だよ、黄泉坂」と彼は言葉を続けるが。

「…彼は」私は言い淀む。ここで彼を彼だと認めてしまったら。何かがおかしくなる。

「死んでるんだろ?僕は」

「そう。アンタは居ないはずの人間だよ」

「ところがどっこい。なんだか帰ってきちまった」

「それで全てを済まそうとするな」私は毒づく。あまりのお気楽具合に腹がたってきたのだ。

「僕にだって訳分かんない」

「こっちは意識を保ってるのが不思議なくらい」

「申し訳ない…けど季節は夏だ。こんな不思議な事が起きてもおかしくはないかもよ?」と彼は笑みを浮かべて。

「そんな訳があるか。超常現象はお呼びじゃない」

「そう言われてもねえ」

「…帰る」私はこの珍現象にほとほとうんざりしてきていて。

「そうかい。じゃあまたね」なんて彼は何処かに去っていった。

  

                   ◆


 それから彼は私の生活圏に度々現れるようになり。

「黄泉坂くん…死者が現実に復活するってなんだか間違ってない?」私はコーヒーをすすりながら問う。

「そりゃ僕も思うよ。道理から外れてるって」彼は美味しそうにコーヒーを飲む。昔からカフェイン中毒気味だったから。

「もう一度…死んだほうが良いんじゃない?」

「酷い事を言う」なんてベンチのかたわらに座る彼は言い。

「在るべきところに帰りなさいよ。死者の国があるかどうかは知らないけど」

「死者の国なんてモノはないよ。死者が言うんだから間違いない」

「じゃあ何処からアンタは出てきたわけ?」

「知らないよ。気がついたらこの姿でこの世にカムバックしてた。その上、他人が認識できる状態だった」

「怪奇現象どころの話じゃない」

「怪物でもなんでもないからね。ただの人間だよ。多分」と彼は頭をきながら言って。

「ただの人間は復活したりしないもんよ」

「もしかしたらただの人間じゃなかったのかも。僕」

「いや。アンタ、普通に死んだから。小学生の時に」

「そういや、そうだった。体が弱いのはいかんともしがたい」

「そ。アンタはままならぬ体の持ち主だった」

「もしかしたら、神とやらがその時の事に同情してくれたのかも」

「死者の国を否定するやつが神なんて持ち出さないでよ」

「って事にしとかなきゃ考える事が多すぎる」

「それは言えてるけどさ」と私は言い。空を見上げる。スカイブルーは今日も一点の曇りなし。それがなんだか憎たらしくなってきた。

「難しい顔してるねえ」なんて隣のアホは言う。

「これで難しい顔しないやつってどんな神経してんのよ」

「はは。でも霧崎さんは神経太い方だろ?今も僕に付き合ってんだからさ」

 

                  ◆

 

 僕と霧崎さんは幼馴染。付き合いは生まれた頃にさかのぼる。

 その頃、両親が住んでたマンションの隣室に彼女は居て。気がつけば付き合いは始まっていた。

 しかし。僕は生まれ持っての臓器の機能障害があり。何かと入院しがちで。

「また入院?」とよく言われたっけ。

「具合悪いからね。検査入院だけど」

「さっさと帰って来なさいよね。勉強遅れるわよ」

「頑張る」なんて会話をどれだけした事か。


 僕は小学校の最後の学年の時に亡くなった。

 その頃の事の記憶は曖昧だ。意識が薄れていることが多かったから。

 ただ。死を迎えようとした時の事は少しだけ覚えている。

「アンタ…居なくなるの?」とベッドの傍らの霧崎さんが言い。

「みたいだね」と僕は短く返して。

「居なくなるのは嫌…」彼女が珍しく涙ぐんで。

「しょうがないよ」

「でも―」

「ゴメン。もうキツい。喋ってるのもキツいんだ」

「…」彼女は僕の手を握る。腕には点滴。感覚はほとんどなかったけど。手が触れているのは感じられた。


 ―っと。眠っていたらしい。

 場所は駅前の漫画喫茶。昼のフリータイムに滑り込んだけど、眠る余裕まではなかったと思うのだが。

 眼の前のパソコンで時刻を見れば夕方。これならまだ手持ちの金で間に合いそうだ。

 

 外に出ればあかね色の空。血のように染まるその空は夜の惨劇を予感させる。

「縁起が悪いなあ」なんて僕は呟き、街の中に消えていく。今日は見つかなければいいのに、と思いながら。

  

                 ◆


 。私はそう思った。

 電車でこうが、日本刀で刺し貫こうが、彼は死なずに戻ってくる。

 家には使い古しの灯油が残っている。母がズボラなせいだ。

 それをペットボトルに移して。キャップをしながら考える。


 

 

 彼がこの世に戻ってきてしまった時、感じたのは驚きだが、それ以外にも嬉しいという感情がないではなかったはずなのに。

 でもそれでも。道理を外れたモノが跋扈ばっこするのを看過かんかすることは出来ないという感情もあって。

「どうしろっていうのさ」と呟く。その声は家のリビングに吸い込まれていく。

 

 いつもの深いフード付きのパーカーを羽織る。それはこの季節には似つかわしくない長袖で。

 その姿には皮肉がある。この世に似つかわしくない者をこの季節に似つかわしくない格好をした者が殺しに行く。

  

                 ◆


 何故、彼女は僕を殺すのか?

 それはまあ、僕と彼女が分かりあえなかった…というところに尽きるのだろう。

 彼女と幾度も会って話したけど、会う度ごとに何かがズレていって。

「アンタをこのままにしておけない」彼女は言う。

「ほっといてくれても大丈夫なんだけどね」

「んな訳ないでしょうに。アンタが補導されてないのが不思議よ」

「今は夏休みだからねえ」

「夜、どうしてるのよ?」

「眠気なんてあまり感じないから歩き回ってるよ」実際、この世にカムバックしてから眠った事はあまりない。

「…それでも警察に厄介になってないのは奇跡」

「言えてる。戸籍から抹消されたはずの人間が歩き回ってるってのにね」


「…アンタは消えるべき」彼女はこう言った。

「しょうがないのかな」と僕はこたえる。そう言われても仕方のない在り方をしているのだ。

「せめて。私がアンタを送り返す」

「君が僕を殺してくれるっていうのかい?」

「…うん」彼女は唾を飲み込みながらそう言った。

 

 それからだ。夜間に襲撃を受けるようになったのは。

 最初は剣道の竹刀でしばき回された後に絞め殺されたんだっけなあ。

 アレはよろしくない殺し方だったな。妙にしんどかったのを覚えている。その上アホみたいに時間がかかった。

 

                ◆


 彼女はいつも通りの格好で現れて。

「今日はどうしようってんだい?ってまた竹刀持って来てる」

「大丈夫。また絞め殺したりしないから」

「どっちにしたって殺すんじゃん?」

「それはそうね。申し訳ないけど」

「謝るな。殺せなくなるぞ」なんて僕はあおって。何がしたいんだか。まだ死にたくはないってのに。

「容赦はしないの分かってるでしょ?」

「分かってる。けど、君はホントよく幼馴染を殺せるよなあ」

「もう。私の幼馴染は居ないから。それをはっきりさせたいだけ。この世に戻ってくるなんて怪奇現象を放っておきたくないだけ」

「なんとも厳しい。相変わらずだ霧崎さんは」

「性格って変わらないものだから」と霧崎さんは言いながら、竹刀を袋から取り出して構える。

「少しは丸くなればいいのに」と言いながら僕は走り出す。彼女の一撃を喰らったら、色々危ない。前もバカ正直に腕で受けて、骨を折られた。

「なる訳ない」なんて声が僕の後ろに遠ざかっていく。


 僕は走るのは得意じゃない。実は。

 病気がちな僕は走るって事をあまりしてこなかったのだ、生前は。いや、今もだけど。

 霧崎さんは竹刀片手な癖に僕の後ろに追いすがっていて。

 堪んないなあ、と思いながら走る。この糞暑い中。肺が熱くなるのを感じる、そして空気が冷えてくるような錯覚に襲われる。息苦しい。

 後ろを振り返ってみれば。

 霧崎さんの頭が見えない―なんて考えていた僕の顔に石がぶつかる。

 脳が揺れた。鼻っ柱から伝わる振動は意識を揺らすのには十分で。

 その場に崩れる。その近くには霧崎さんの気配が。

「飛び道具は卑怯だろ…」と僕は呟いて。

「手段を選んでなんかいられないっ!!」と言いながら何か―竹刀か―を振り上げる気配が。

 思わず腕を頭に回すが。それは間に合わない。

 竹刀が僕の脳天を打ち。意識はさらに揺さぶられ―ブラックアウトした。

 

                ◆

 

 彼は私の眼の前に倒れていて。

 私は竹刀を袋にしまい、背負ったリュックから灯油入のペットボトルとマッチを取り出して。

 ペットボトルの中身を彼に振りかける。パチャパチャと言う音が彼を包む。

 灯油が彼にかかった事を確認する。そして離れてからマッチを擦り。火をつける。

 そう言えば、今日は盆の暮れだったっけ。本当なら線香辺りに火をつけてたんだろうな。もしかしたら彼の仏前で。

 

 マッチの火を眺めて。そこにいろんな思いを馳せる。

 黄泉坂よみさかくん…私の居なくなったはずの幼馴染。

 私は彼にどんな感情を抱いていたんだろうか?

 幼い頃から近くに居たけど。彼はよく分からない人間だった。重病人特有の変な諦念を抱えていた彼はつかみどころがない人間で。何時でも飄々ひょうひょうとしていた。病の事など何でもなさそうに。

 私はそれを見て。妙に腹がたったのを覚えている。

 なんだか生に対する意欲が感じられなくて。

 だから。何時でもキツくあたってしまったものだ。

「今日こそ。盆の終わりの今日こそ―バイバイ」と私は火のついたマッチをツンとする匂いの灯油に塗れた彼に放り込む。


 点火された黄泉坂くんは勢いよく燃えて。

 肉の焼ける匂いがするのかな、と思ったけど。

 そんなモノはしなかった。ただ。眼の前の彼は燃えさかっていく。そこに灯油しかないかのように。

「変だな」と呟く。

「変だねえ」と返事が―した。燃えてるはずの彼の方から。

「アンタ、今燃えてる…」なんて私は返す。焼死体になりつつある者に。

「不思議と熱くない」なんて彼は楽しげな声で言って。

「痛覚イカれてるんじゃないの?」と私は呆れながら返す。

「いや、霧崎さんに殺される時はいつも痛んだよ、ちゃんと。でも今日は違うね」

「アンタの不死もここまでなんじゃない?今日は偶然にも盆の終わり。死者は帰っていく時間」

「ああ。言われて見れば。そういう時期だったね。時間の感覚が薄くてね。意識してなかった」

「さすが死者…そうか。今日でまたアンタは死者に戻るのかも知れないのか」

「最後になんか言っとけば?幼馴染を火葬した記念にさ」

「趣味が悪い」

「死に趣味も糞もあるかい?何度も僕を殺そうとした癖に」

「あり得ない者を在るべき姿に戻すことは間違いじゃない」

「ま、今回はそれで良いや。こういう結果になったしね。火の始末だけは頼むよ」

「一応、水は持ってきてる」

「足りるのかね?」

「アンタが燃え尽きれば、火の勢いも止まるでしょ。周りに燃えそうなものなんてない」ここは街外れのコンクリの路地だ。

「んじゃ、良いや。それじゃ先に逝くよ」

「さようなら」

「うむ。さようなら」

 

                 ◆


 こうして。

 私と幼馴染を巡る奇譚きたんは終わった。思い返して見ても訳が分からない。

 これを夏の怪奇として片付けるには、あまりに情報量が多い。街で彼を殺しまわった私が一度も警察の世話にならなかったのもそう。現実にしては都合が良すぎる。しかし怪奇として片付けるにはあまりに現実感が強かった。特に彼の存在は。

 

 私は歩く。彼の墓へと至る道を。久々に。あの彼の火葬以来、妙に彼が気になってしまって。

 道すがらには赤く染まった彼岸花ひがんばな。季節は秋を迎えて。そろそろ彼岸の供養の時期でもある。

 手にはぼたもち。彼岸にはこれを供えるのが決まりなんだそうだ。彼ならきっと、

「甘いもんにはコーヒーだろ」と言い出すのが予想できるからコーヒーも持ってきている。

 

 墓前にぼたもちとコーヒーを供える。そして線香に火をつけ。手を合わせて。

「もう変なカタチで帰って来ないでよね」と祈る。

「さて、どうかなあ」なんて返事が聞こえた気がした。

 

                  ◆


 

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『帰ってきた幼馴染を殺す女』 小田舵木 @odakajiki

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