魔法と約束

魔法と約束

「これが魔法か! イタリクス! お前、かわいいサイズになっちまったなぁ」


 私は丸二日眠りっぱなしだったらしい。

 それでも、目が覚めて、自室へと運んでもらった食事を食べてすぐに私はイタリクスの名を呼んだ。

 胸元の模様が一瞬だけ赤く染まり、何もない空間から現れた火の玉はちょうど私の握りこぶしくらいの大きさだった。最初に見た時のように炎は徐々に輪郭を伴っていき、普通のスズメバチサイズのイタリクスが目の前に現れたのだった。

 イタリクスはブンブンと鈍い羽音を立てながら私の周りを飛び回る。


「まだ火傷が治ってないんだぞ。無理をするな」


 ちょうど見舞いのために部屋の扉を開けたイスがこっちへ駆け寄ってくる。

 

「火傷なんて平気だって! それより見てくれよ! この炎は熱くないんだ」


 イタリクスの炎は縞模様に沿って渦を巻いているけれど、私の体も髪も焼いたりしてないし、寝具だって鎧戸だって焦してなんていない。


「コントロールさえ出来ていれば、自分の魔法で傷付いたりしないからな。魔法が上達しているのは認めるが」


 はしゃぐ私を見ながら、イスは寝具に腰掛ける。それから飛び回るイタリクスに指を差し伸べた。

 イタリクスが大人しくイスの指にとまると、部屋の外にいたフロルとペタロが食器を片付けるために部屋へ入ってきた。

 ねずみの姉妹たちは、私とイスを見て目配せをし合うといそいそと食器を小さな手に持って部屋を出て行ってしまう。

 イタリクスの羽音もしない中、鎧戸の外で風が森の木々を撫でる音だけが聞こえてくる。


「なあ、ユルベル」


 今は夕方だろうか。少し湿り気のある涼しい風が戸の隙間から入ってきて私とイスの毛皮を撫でつけていく。

 その中で、静かにこちらを見つめたイスが静かに口を開いた。


「寡婦蜘蛛の魔女が言っていたように、君が望むなら君の家族に復讐も出来るが」


「しねえよ」


 私を捉えていた枯草色のイスの目が、大きく見開かれた。意外だったんだろうな。

 首を横に振ってから、私はイスの指にとまっている可愛い女王蜂を自分の指に乗せる。イタリクスは、私の左手に移動してくると、薬指に嵌められた指輪に止まって触手をゆっくりと動かしている。それを見ながら、私はイスが聞きたがっているであろう理由を話すために一度深く息を吸い込んだ。


「確かに復讐はしたいって気持ちはある。でもさ、まだいいや」


「何故だ?」


「こいつを通じてわかったんだ。私が両親あいつらを見たら自分の炎で焼かれるくらい我を忘れちまう。そうしたら、イタリクスも可哀想だろ?」


 それは本音だった。

 私の怒りで、きっとイタリクスは力を奮ってくれるんだろうって。でも、きっと私はそれを制御することは出来ない。

 イスの力を借りれば簡単なんだろうけど、それも気乗りがしない。


「なあ、イス」


 名前を呼ぶ。私に名前をくれた美しい黒狼の名を。

 心の中では何度も呼んでいたけれど、こうして口に出すのは初めてな気がする。

 目の前にいる夜の色をした毛皮を持つ美しい狼は、目を丸くして私をじっと見つめていた。

 息を深く吸い込む。それから、今の自分の気持ちを伝えるために、私もまっすぐイスの目を見つめ返す。


「ありがとう。本当に感謝してる。助けてくれたことも、名前をくれたことも」


「……」


 気障な言葉でも言い返してくると思ったけれど、イスは口をパクパクと開閉するだけで何も言ってこない。

 恥ずかしくなって、私が大きく腕を動かしてイスの肩を叩くと驚いたようにイタリクスが私の指から飛び立った。


「なんだよ! よろこべよ」


 ぱたぱた……と布を叩くような音がして、そちらを見て見れば、イスの太くて長い尾が勢い良く私の足に掛けられた毛布を叩いている。


「イス? どうした? うれしいってことでいいのか?」


「!」


 私が尻尾を見ていることに気が付いたのか、慌てた様子でイスがローブを自分の尾にかける。でも、それも無駄だったみたいでローブの下でも勢い良く尾は上下しているのが丸わかりだった。


「……名を、ようやく呼んでくれることがこんなに嬉しいとは思わなかったんだ」


 イスはしばらく黙っていたけれど咳払いをして、顔を逸らしながらようやく話してくれた。

 どうやら、私の夫となるやつはすごい魔法使いらしいけれど案外初心でかわいいやつなのかもしれない。


「なんだよぉ! あんたも可愛い部分があるんだな!」


 完璧で余裕があるやつだと思っていたけれど、そうでもないらしい。


「改めて……これからよろしくな、イス」


「……ああ、こちらこそよろしく。俺の愛しいユルベル」


 クソ。

 差し出した手をそっと取られて、手の甲にそっと鼻先を押しつけられた。見た目は狼の癖にいちいちキザだし、様になっている。

 最初は恐ろしいと思っていたのに、我ながらチョロいもんだなんて思いながら、私はイスに短い返事をして仕返しに細長い鼻筋に口付けをしてやった。

 ぱたぱたと再び元気に揺れる尾を見て温かい気持ちになっていると、イスが顔を上げて私の頬を手の甲で静かに撫でた。


「燃えさかる炎みたいに波打つ髪、夕陽みたいな瞳……君を立派な魔法使いにしてみせる」


 ずっとずっと昔、いわれた気がする言葉だった。


「ああ、立派な魔法使いになってやるよ」


 幼い頃の私とはもう違う。だから、私はイスを抱きしめながらそう言った。

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出来損ないの魔法使いは森の狼に娶られる こむらさき @violetsnake206

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