第34話 弱者ノ惧疵

「あ、うぁ、申し訳ございませんです……」


 部屋の隅に、手を前に伸ばすあまり見ない土下座をするメイドがいた。顔は見えないが冷や汗を流し、真っ青な顔……いや最初っからか。謝罪の意思を伝えているのはわかる。

 3分ほど目を回していたメイドは起きてもテンション高かったが、謎の薬を鼻腔に注入するとスンッと冷静になった。わけがわからないがとにかく怖い。平然と私に向かって来たので、近づくなと私が言ったら今の状況になった。


「で、アリア……このドラッグジャンキー薬物中毒者は誰だよ」


 楽しげに状況を見ていたアリアに声を掛ければ、なんともステキな笑顔で答えてくれた。


「遥の治療要員。ついでに生活サポートメイド」

「なんでそれが文字通りメイドで、しかも薬中なんだよ。何処から拾ってきた、捨ててこい」


 捨ててこいと言った瞬間、メイドの体がプルプルと震え出す。


「今の遥には、彼女ほどの適任がいないのよ。特に薬の知識も、緊急時の対応もね」

「別に前の奴らでもいいだろ。だいぶ手慣れてたぞ」

「それじゃ足りないの。薬についてのかなり専門的な知識が必要になってきたもの」

「そもそも薬なんか……」

「遥」


 私の名前を読んだアリアは、笑顔の中に鋭い視線を宿していた。その『笑顔』という仮面からは、細かい感情が読み取れない。

 淡々と、アリアは言葉を紡ぐ。


「貴方が今どんな状況か、あまりわかっていないようね」

「どういう意味だ」

「丈夫な体を持っていた貴方は、自分の力だけで大抵の傷病はどうにかできた。……でも、それだけ傷ついて平気だとでも思った?」

「待ってください! どういうことですか!?」


 含みを持たせたアリアの言葉に、界理が必死な顔で反応する。

 メイドを殴り血の出た私の右腕の処置を止め、体を乗り出し包帯を握る。その姿に私は見惚れ、私を大切にしてくれていることを実感する。界理をここまで慌てさせるぐらい、私は心配かけてたようだ。


「簡単にいえばそうね、遥の身体はいつ壊れてもおかしくないってこと」

「……え」


 アリアの説明は、界理を絶句させるには十分。息を飲む界理の気配が、部屋を満たした。

 さらなる詳細を伝えようと、アリアは言葉を積み上げる。


「筋肉にまで及ぶ傷、程度なら遥は大丈夫でしょうね。でも、失った血液、戻らない体力、体に入った病原菌……死にかけた細胞。これは超人的人体じゃどうにもならない」

「え……あ……」


 声も出せない界理の恐怖驚き、私は細い腕に右手を添える。界理の体温が、酷く遠くて冷たいように感じた。


「膿がほとんでないからわかりずらいけど、遥の免疫はほぼフル稼働。神経活動も場所によって極端。体温は異常に高くなって、傷の治りも遅いわ。さらに熱が酷くなったら、脳にダメージが出かねない」

「……まって……まって」

「これは覆せない、だから界理くんも聞いて。言いたくはないけど、今のままじゃ治っても障害が残るのよ。私も確認したけど……遥、貴方の末端の感覚ほんとに残ってるの? 貴方は自分のこと、ほんとはわかってたんじゃないの?」


 界理とアリア、二人の視線が私に向く。

 泣きそうになっている界理だけじゃない、アリアまでもが辛そうな表情を浮かべている。二人の感情が、私の胸を締め付けた。なんで私なんかのために、そんなわかりきった、理不尽な答えさえ欲しくなる。凄まじく痛む胸から意識を外し、私は平気な顔を作り二人から視線を逸らした。

 私は間違っていない。必要な分は十分残る。

 、工場で感じた絶望的“寒さ”には届かないのだから。


「生活に困らないぐらいは治るだろ」

「私はそんなこと聞いたかしら」


 知ってる。私が欺けるアリアではない。私が百の言葉を尽くしても、アリアが一つの本筋を見失うことはない。

 彼女は強い。自分の力で、他人に干渉できるくらいには。アリアの掌は広くて、拾えるものだって多いだろうさ。

 私とは違う。私は、私でさえ満足に拾えない。だって私は、弱い。


「ああ、聞いてないな……聞いていない……。だったら、私がなんて答えれば満足だ……!」


 強く、鋭く、殺意を込めながらアリアを睨む。

 アリアは、顔を歪めて……


(お前がそんな顔をするぐらいには酷いんだろうが!)


 医学なんてさっぱりわからない。だけど私には“寒さ”がわかる。

 死にかけてるのも、これからどうなるのかも、ある程度は想像できるのだ。


「末端の感覚? 痺れて熱くて碌にわからないさ! 自分のこと? 普通に生活できるくらいには回復するんだよ!」

「でも貴方は」

「何が言いたい。これまでの私と同じように動けない? 動く必要ないだろ」


 私には余分なものが多過ぎた。


「壁を殴れる腕力なんていらない。寒さ暑さがわかる感覚があればいい! 少し走れる足で十分だろっ!!」


 必要のないものは捨ててもいい。

 周りはなくたって生きてる。


「生きるに十分な機能があれば私は満足だ! 人を殺せる能力なんて必要ない!! ……なあそうだろアリア? お前だって私に怯えていたじゃないか。化け物だって思ったんじゃないのかよ。誰も私が強くあることを望んじゃいない! 治療さえ続ければ私は確実に生きていける!!」


 胸が痛い。焼けるように痛い。

 グジュグジュとかき混ぜられたみたいな内臓の不快は、不調時の興奮によるものだろう。

 頭が痛い。貧血じゃない。

 口から出るのは抑えきれない感情で、やっと捨てられるんじゃないかっている安心。

 “私”が痛い。傷はなくてやっと不安がなくなるのに……

 自分の選択を否定する心が信じられなくて、界理を傷つけなくていい未来を想像する。でも……


「界理に負けるぐらいが丁度いいッ!! そうすれば私だって普通の人間みたいに……ッッ!!」


 自分の口から出た余計なもの聞いて、私は歯を食いしばって言葉を止める。歯が砕けそうな力を顎に込める。眉間に、喉に、目の奥に、堪えなければと力を込める。

 ありったけの感情を叩き込んだ睨みでアリアを突き刺し、目の入った表情に、視界の端が歪んだ。


(違うだろ……そんな顔じゃないだろ……! 泣きそうになるんじゃなくて安心しろよ!!)


 悲しみを堪えた辛い顔で、アリアはゆっくり口を開く。


「……それが、遥の本当の望み?」


 初めて聞く余裕のないアリアの声に、私は途切れ途切れな息を吐いた。

 アリアはまだ続ける。


「怯えられたくない。弱くなりたい。界理くんにも勝てないくらいに。そうやって、『普通の人間』になりたい……」


 言葉を切ったアリアは、少し躊躇う。でもすぐに決意したのか、ほんの僅かだけ声調を強く言い放った。


「……人を、界理くんを殺したくない」


 私の食いしばった歯の奥から、喉が潰れるような呻きが漏れる。

 感情が捩れて、胸が潰れてしまいそうだ。


「遥は自分が怖くて、自分の力が怖くて、それを消してしまいたかったのね」

(うるさい……)

「界理くんを傷つけたくなくて、このままでいいって。でも遥はそんなことしないわ」

(黙れ……!)

「人は、愛する人を望まないまま傷つけないのよ」

「黙れ————ッ!!!!」


 そんなこと嘘だ。アリアの言っていることは理想論だ。

 でなければ、私の記憶にある女は、私の母は——!


「私は! 自分の子供を殺そうとする女を知って——」


 歪み切った視界を拭い、詰まった喉を震わせようとする。だが私の視界は戻っても、声は戻ってこなかった。

 痛い、痛くて死にそうだ。

 寒い。胸から“寒さ”が這い上がる。

 胸を押さえて、痛みを押し殺して、私は声なく叫んでアリアを威嚇した。

 そんな私に、アリアは立ち上がって詰め寄った。睨むしかできない私をアリアは見下ろし、

 私の全身がアリアを拒絶し、血の気が引きずり下がった。


「ぁ——ぃ——ッ!!」


 必死に振った私の腕が、アリアの手を弾く。

 アリアはそれに顔を歪めて、私の隣へと目を移した。これまで呆然と座り込んでいた、界理へとだ。


「界理く——界理、遥の胸を露出させて。右胸の下側が怪しいわ」


 やめろと叫びたくても、私は胸の痛みで許されなかった。

 ハッと認識を取り戻した界理は、アリアに頷き私へと手を伸ばす。

 最初は躊躇いのあった界理は、私の抵抗に余裕をなくしていく。私は必死に、界理の手が胸に届かないように押し戻した。


「お願い遥! そこに何かあるんでしょ!?」


 そうだよ、だから知られたくないんだ。


「僕は遥に元気でいてほしい!! 今までの遥でいて欲しいんだ!!」


 私は、界理と一緒になりたい。


「僕は遥とじゃなきゃ幸せになれないからッ!! 遥の全部が僕のものになって欲しいッ!!」


 そうなるには、私が失わなきゃ。


「僕は遥が好き! 大好き!! だからっ! 僕にも遥の全部背負わせてよッ!!!!」


 背負わせたくない。ああでも……弱いから……もう、だめだ……

 私は腕を下ろして、抵抗をやめた。

 いつの間にか馬乗りになっていた界理は、震える手で私の肌を暴いていく。私は喘鳴混じりの呼吸をしながら、力を抜いてされるがままにする。

 

「ひゅっ」


 界理が私の胸のシートを剥がすと同時に異臭が舞い、見えたものに界理が息を飲む。

 視線をずらせば、アリアも感情を強く堪える顔をしていた。

 私の鼻腔にも、細胞の死んだ臭いが届く。毎日界理から遠ざけていた、私の痛みだ。


「はる、か……なんで……」

「こんな傷があるなら、体力も戻らず疲弊するわけだわ。……これじゃ、肺にまで壊死が広がるかもしれないのに……!」


 顔を持ち上げ、私も毎日見ていた傷を再確認する。

 直径8センチほど、少しばかり凹んだ皮膚。白く変色し、中には血管なのか赤い点がいくつも浮かんでいる。僅かに赤い血漿が、傷全体から溢れていた。周辺が黄色く変色しているのが、なんとも気持ち悪い。

 まだ進行はし切っていないが、そこでは確かに細胞が死んでいた。


(死なないとわかっていても、気色悪いな……)


 界理はやっと現実に意識が追いついたのか、私のお腹に抱きついて泣きじゃくる。恥も外聞も投げ捨てて、嫌だ、ごめんなさい、そうやって何度も涙声を私に向ける。


(ごめんな、怖いがらせた……)


 私は界理を慰めようと口を開くが、声にならないうめきだけが漏れる。湿った息と目を濡らす涙が、私の顔に走っていく。

 限界だった。腕を持ち上げ、私は顔を隠す。

 だってそうだ……誤魔化せない……隠せない……私は弱いから……


(私も怖い……!)


 大きなものと、押し殺したもの。

 二つの鳴き声が、部屋に反響して私の耳に入った。

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硬く冷たい私の世界に、溶けるようなお前の熱を アールサートゥ @Ramusesu836

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