『No vampire』

ヒニヨル

No vampire

 夜空に浮かぶ細い月が、まるで不敵な笑みを浮かべているようだ。


 時刻は日付も変わり、行き交う人も少なくなってきた頃。着古した白いリネンのシャツに、すすけた黒いタイトなズボンを履いた男がふらふらと一人歩いている。

 街灯が少ないその公園は、日中はランニングする人も多いが、この時間になると気味の悪いうわさもあって、イチャイチャするカップルの姿も見当たらない。


 行く当ても無く男は歩いているように見えたが、一際虫がたかる街灯の側に、木のベンチを見つけるとドスンと豪快に座った。


「お前さんは新入りかい?」


 男が急に、独りごちた。

 ポケットからマッチ箱を取り出すと、どこからか手品のように太い葉巻を出してきてあぶって火を付けた。


「……最近は血を吸うのも大変だね。人間どもはあらゆる対策を生み出している」


 フーッとため息をくように煙を出すと、男は葉巻を持たない方の手を、まるで小鳥をのせるかのように曲げた。その指先に1匹のオスがとまった。


「そう思うと、俺の産まれた時代は良かった。成り上がるのもむずかしくなかった。雄の蚊は花の蜜や樹液しかすすれないと思っているだろうが、ほらここに」

 男は少し背筋を改めた。

「人生蚊から始まってブヨ、アブ--蝙蝠こうもり、もうあんまり覚えてないが、狼と、だんだん出世したもんだ」


 余韻にひたるように、男は葉巻をくゆらせた。雄の蚊は、葉巻の煙を鬱陶うっとうしそうにけると、また男の指にとまった。


「あまり乗り気で無いのは分かるぞ。でも人生……今は蚊だから、蚊生かせいか。一度きりじゃ無いか?」

 男の顔は、背にある街頭の明かりがまぶしくて、風貌は掴めなかったが、雄の蚊を見つめているようだ。

「ここで会ったのも何かのえん、こういう話もあるんだって、覚えておいてくれよ」


 男はそう言うと、雄の蚊をのせていた指をゆっくりはらった。彼--蚊は、街頭の方へと飛んでいった。「いつの時代も、若者は年寄りの話をまともに聴いちゃいないんだ。蚊やブヨじゃなくて、もっと骨のあるヤツでないと、話にならないか」


 男はしばらく葉巻を楽しむと、木のベンチからふらりと立ち上がった。首筋をさすると、

「うう、かゆい。メスの蚊め」

 小さく悪態をついて、ぽりぽりいた。そしてまた、行く当ても無さそうな足取りで、暗闇へと消えていった。



     fin.

 

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『No vampire』 ヒニヨル @hiniyoru

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