聖女と勇者の後始末

qay

1.幸せ


 ――魔王を倒したら結婚しよう。


 勇者ユーリと聖女ルナの約束から始まった勇者パーティー四人による、果てしない戦いの旅は約一年前に終わった。

 十四年と三ヶ月と二日。これだけの時間、私は聖女として最前線で戦い続けた。

 そして身命を賭して世界を守り、遂に私達は魔王を撃ち果たすことができたんだ。

 

 そして感慨に耽る暇もなく、王都に帰還してすぐの事。

 まだ気持ちの整理ができずに、王城の一室で塞ぎ込んでいるとユーリに突然呼び出された。

 指定の場所は、この王都で唯一の思い出の地である花で溢れる庭園。そこで私を出迎えてくれたのは、苦楽を共にした大切な仲間達。

 魔導士に手を引かれながら庭園の中心に向かうと、そこにはユーリがいた。

 彼は跪き、震える手からは指輪が差し出される。

 

「ルナ、僕と結婚してください」


 私は十四年前の約束を忘れることなんてできなかった。

 でもユーリはそんなこと、とっくに忘れていて、約束を覚えているのは私だけだと思っていた。

 ユーリは旅の中で様々な女の子と仲良くなっていたし、私を一人の仲間として扱うようになっていったから。

 私は子供の頃の約束に縋る重い女だと、自分を卑下していた。この恋が叶うことはないと思っていた。

 

「実は魔王を倒す前から準備をしてたんだ。僕らならやれると確信を持っていたから」


 そう言った彼は、親友の弓士からは小突かれて、女の子である魔導士にお尻を蹴られていた。

 私は抱えていた気持ちを、彼にぶつける。

 すると、彼は弱々しくも気持ちをを吐露してくれた。

 

「ずっと、ルナだけを想っていたよ。だけど、約束を果たす前だからと距離を置いたんだ。膨れ上がっていく想いで、僕は自分自身を信用できなくなっていったんだ。ルナ、今まで本当にごめん」


 その発言で、また、周りから叩かれている大好きな人。

 大丈夫、散々相談されたからと魔導士が私の背中を押して。弓士が彼との恥ずかしい思い出話をしてくれる。

 彼は顔を真っ赤にして、私は泣き笑う。

 世界を救った勇者とは思えない、とっても不恰好なプロポーズ。

 

「こんなダメな僕だけど絶対に幸せにするから。だから、君の一生を僕にください」

「……はい」

 

 そんな不器用な彼が愛おしくて、起こったことは嬉しすぎて。あの日の事は生涯忘れられないだろう。

 式を挙げたとき、私は二六歳でユーリは二十七歳。

 幼馴染である私達は、出会ってから二十三年でようやく結ばれることになった。

 こうして聖女である私、ルナと勇者ユーリ・テノンは大切な約束を叶えて夫婦になった。

 

 私はルナ・テノンとなり、ユーリのお嫁さんになった。この一年間は穏やかで、平和で、美しい日々だったと思う。

 

 これまでの私達は戦いに明け暮れ、多くの血を流してきた。十二歳で血塗れの世界に放り出され、戦うことを人々に強要された。

 剣と魔法で相手を殺し、激しい戦いの度に負う抉れるような傷を癒して、また戦う。

 旅の中で敵は魔物だけではないことを知り、大切な仲間以外の全てを敵だと思いながら進み続けた。

 魔物、そして人。その時々で変わる敵を倒して、約束を果たす為にひたすら歩く。

 そんな苦しい日常からようやく解放されたのだから。

 

 今では、褒美として王様に与えられたお屋敷に、ユーリの家族と共に住む。

 まさか自分が身一つで嫁いで、こんな幸せな家族を持てるとは思っていなかった。

 私に親や兄弟はいなかったから、初めて父と母の温もりを感じる毎日。使いきれない程の金銭と有り余る敷地の中で穏やかな毎日を過ごす。

 信頼できる仲間達とは離れることになってしまったが、幸せと呼んで差し支えない日々を過ごすことができていた。

 花を愛でて、歌を歌い、好きな人と気儘に街へ出る。

 私がお義母さんと家事をして、お義父さんとテノンは力仕事。夜は二人で話をしながら紅茶を嗜んで、眠くなったら肩を寄せ合ってベットに入る。

 時には世界を救った聖女として魔法を使い、生活の中で人々が負ってしまった傷を癒す。

 そういえば、ユーリは勇者の力を使って木こりをしていたらしい。喜んでくれる人の顔を見ることが好きだった彼が心底嬉しそうに話してくれた。

 死に怯えなくていい、誰かを殺さなくていい、誰かを疑わなくていい。

 もう使命はなく人生の目標を達成していて、大切な人達と惰性で生きることを肯定されている。

 今は満たされていてなんの不満もないと思い込む。

 

「ユーリは、今、幸せ……?」

「うん。ルナと一緒なら、どんな場所でも幸せだよ」


 彼の言葉に安心し、不安を募らせる。

 そうやって、私は心残りから目を背け続けた。


 けれど空白の多い日々の中では、頭に渦巻いている本音に抗えない。

 だって、十四年という長い、長い月日だった。

 辿ってきた全ての日々を納得して、平穏に過ごせている人はいるのだろうか。

 きっと、普通の暮らしをしていても無理な話だと思う。

 ああしていれば、こうしていれば、今頃もっといい未来があったんじゃないか。

 そうやって人は後悔するものだ。

 当然、それは厳しい旅を続けてきた私達にもある。

 なぜなら、旅に出た私達は小さな子供だったからだ。

 小さかった私達は様々な成長をして、勇者パーティーは多くの人を救った。


 ――けれど、間違いだって冒してきたんだ。

 

 小さいものから、とても大きなものまで、勇者パーティーは大小問わずに様々な罪を背負っている。

 子供には大きすぎた力を制御できず、仲間に嗜める大人がいない状況で、二度と取り返しのつかない失敗を何度もしてきた。

 勇者も、弓士も、魔導士も、聖女である私もそうだ。

 勇者パーティーの中で罪を背負っていない人は存在しない。それを乗り越えられている人も。

 それでも、目標がある内は大丈夫だったと思う。

 まずは魔王を倒して世界を救う。その後のことはその時に考えればいいって割り切れていたから。

 だけど、旅は終わってしまった。突然、幸福へと変わっていく生活。

 だけど思い出してしまう、昔の間違い。

 この幸せな日々が進めば進む程に、後悔が胸の中を支配する。

 いつの間にか、全てはなかったことになっているという現実が受け入れられなかった。

 何もかも綺麗さっぱり、存在しないことになったのだ。

 理由はわからない。きっと、子供のまま進んできた私達には見えない、大人の世界というモノがあるんだろうと思う。

 だけど、それはきっと許されていい事ではない。

 私は悩んで、悩み抜いた。この気持ちに同折り合いをつけたらいいのか考えた。

 そして、一つの結論で自身を奮い立たせた。

 私が救った世界がどうなったのか見てみたい、と。

 なんでもないような普通の日。

 そんな穏やか日常の中でユーリに伝えた。

 

「私と旅に出ない?」

「どうして?」

「……私達が救った世界を、見てまわりたい」

「そうか」


 半分は本音で、半分は嘘。

 私は「テノン家の一員になって一年で一つの区切りだと思った」という言い訳をすると、沈黙が空間を支配する。

 

「ユーリは、どう思ってる……?」

「僕? 君の進む道が、僕の道だよ」

 

 わかってた。わかってたからこそ確証が欲しくなる。この欲求と不安の制御方法は、長い時間の中で忘れてしまった。

 

「……信じさせて、ほしい」

 

 わかりやすく声が震えた。

 

「わかった。いいよ」


 私は力を行使するために意思を込める。

 それは一日に一回しか使えない、私にだけ与えられた特別な力。

 聖女のモノとは思えない、人の尊厳を奪う醜い呪い。

 

「……ありがとう」

 

 旅の果てに歪んでしまった心が癒されることは、きっとこの先ないのだろうと思う。もう、諦めてしまった。

 テノンの両頬を手で覆い、顔を近づける。

 彼の瞳に映る私の目は紫に光り輝いていた。

 少しだけ迷って、問いを投げかける。


『ユーリ・テノンは、私のことが好きですか?』

 

 不快すぎる感覚が背中を伝う。

 身体は震えるが、零れ落ちそうになるモノは堪える。

 私にそれを流す資格はない。

 やがて、ユーリの口がゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「この世の誰よりも、ルナを愛してる」


 意思のこもっていない、平坦な声色。

 呼吸が浅くなり、どうしようもなく頭が痛い。

 目の前が真っ暗になる寸前で救いの音が響く。


「……どうだった? まぁ、聞くまでもないかな?」


 ユーリの声に色が戻った。

 その姿に安心して、膝から崩れ落ちそうになる。


「おっと。ルナ、大丈夫?」

「ユーリ、本当にありがとう。信じれなくてごめん、ごめんなさい……」

「大丈夫だよ。わかってるから」

「こんな醜い力で、貴方の心を暴いてごめんなさい……、力に縋ってごめんなさい」

 

 暖かい手で背中を撫でられ、分厚い殻で覆った本心が漏れ出てしまう。過去の後悔が胸に押し寄せる。

 

「そんなことない。ルナはとても綺麗だよ」

 

 私は彼の胸の中、無言で首を振り続ける。

 

「……僕の方がよっぽど醜い」

「そんなことない! ユーリは、ユーリは!」

 

 彼の優しい瞳に涙が溢れ出る。

 弱い私には抑えることができなかった。

 

「あっ、そうだ」

 

 急に明るくなった態度と言葉に、私は首を傾げる。

 

「それなら、ルナに可愛くお願いをしてほしいな!」


 私は唇を震わせて、空気を食む。

 こんな私を、こんなにも愛してくれる人がいる。

 だからもう一度、あと一回だけ。

 罪を抱えている私が、本当に幸せになっていいのか確かめたい。この人と一緒に進みたんだ。

 伝う涙は抑えられない。けれど、今できる最高の笑顔を作り、彼の目を確かに見る。

 

「ユーリ! 私と、私と一緒に、もう一度だけ旅をしてほしい!」

「喜んで……!」


 聖女と勇者は、魔王のいなくなった世界で旅をする。

 今度は、救った居場所に救いを求めるため。





 

 


 

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