冬と駅とあいつの遺物

草森ゆき

冬と駅とあいつの遺物

 中学校の冬休み中、父親が家に帰ってくる。普段単身赴任していてほとんど会わないものだから、久々に顔を見ても父親という気がしなくて居心地が悪い。だからおれは良く家を出た。夜には帰るけど、なるべく父親の姿を見ないよう、努めていた。

 駅で時間を潰すことが多かった。特に何もせず、わりあいに寒い改札前のくたびれたベンチに座っていた。駅には色々な人が来た。近所の駅のはずだけど、おれの知らない人ばかりが改札を抜けていった。

 だから宮間が改札の向こうからふらっと現れたとき、おれは思わず立ち上がってしまった。

 宮間もびっくりしたらしく、目を丸くしておれの前で立ち止まった。

「汐見?」

 呼ばれたから頷いて、立ったままの宮間のところまで歩いていった。

「なにしてんの、宮間」

「何って僕は……いや、お前こそなにしてんの?」

「おれは……時間つぶし……?」

「なんだそれ、どっか行くのか?」

 別に行かない。ふーん。夜になったら適当に帰る。あ、それ僕と同じだ。そんな会話を立ったまましてから、宮間とベンチに並んで座った。

 おれたちは別に仲良くはなかった。同じ学年ってだけで、同じクラスになったことはない。でも顔と名前だけはお互いになんとなく知っている。そんな状態だった。

 宮間とはぽつぽつ会話をした。駅舎は寒くて、宮間は時々首に巻いた黒いマフラーを引き上げた。汐見、いつもここにいんの。聞かれたから頷いて、話すかどうか迷って、家にいると気まずい、と本当の話を当たり障りなく告げた。

「ああ、それも僕と同じだな。僕も、家には居辛い」

 これで約束が完成した。日が落ちて暗くなり、一気に冷え込むタイミングでおれたちは別れたけれど、次の日の同じ時間、また同じベンチ前に集まった。


 おれと宮間は何もしなかった。並んで話して、駅の窓から見える冬枯れの暗い空を眺めて、学校の悪口なんかを言った。宮間はあんまり笑わないやつだったけど、おれが英語で七点をとった話をウケ狙いですると、はじめは堪えたけど結局噴き出した。

「低過ぎんだろ、でも朝陽先生って授業わかりやすくないか?」

「知らない、全部寝てる」

「それならよく七点とれたなって感想になるけど」

「おれ、記号問題をカンで当てるのは得意」

 ぶは、と宮間は更に噴き出した。笑い顔を見ながら学校の宮間を思い出そうとしたけど、あまりうまくはいかなかった。

 宮間は、しずかなやつだった。同じクラスの女子が告白して振られたらしいって話だけ、有名だった。その女子はけっこう可愛かったから、宮間ってやつ付き合っときゃ良かったのにって、色んなクラスメイトに言われていた。おれはそれで宮間を覚えた。宮間がどうやっておれを覚えたのかは、会い始めて一週間、あと二日もすれば大晦日という時に、急に話した。

「汐見って、夏休みの宿題で表彰されてただろ」

「…………わりと黒歴史」

「え、そうなのか?」

 適当に書いた絵が佳作かなんかになって、しばらく掲示板に張り出されていて死にたかった。佳作なのが微妙だった。大賞のやつもいて、そいつの絵はもちろん目立つところに貼ってあったから、おれは恥ずかしさのほうが強かった。

 そう説明するけど、宮間は首を振って、お前の絵が良かったんだよ、としずかな口調で言った。

「でも僕、絵のこととかよくわかんねーから、なんとなく好き、ってやつだけど。それで汐見のこと覚えた。汐見って呼ばれてる別のクラスのやつ見て、あーあいつかーって感じで」

「……恥ずい……」

「ふっ……、っはは、なんで? いい絵だったじゃん。英語全部寝てても、お釣り来ると思うよ、あれは」

 絵とか芸術の方向にいきたいわけじゃなかった。でもおれは単純だし、このときにはかなり宮間を気に入っていたから、絵かあ、と改めて考えてみたりした。

 その間に宮間は時計を見て立ち上がり、そろそろ帰る、とマフラーを巻き直しながら言った。

 思わず追い掛けて、送ろうか、と口走った。宮間は驚いた顔でおれを見て、なにかを言い掛けて、首を振り、また明日、と小声で言ってから改札の向こうへ消えていった。後ろ姿も声色もなんだか心許なくて、おれは宮間の気配を辿るように、しばらくその場所に突っ立っていた。


 翌日の同じ時間に会った宮間はいつも通りだったし、冬休みの間中、大晦日や三が日まで、おれのいる駅にやって来た。おれにしろ宮間にしろずいぶんな親不孝というか、お互いがお互い、個人的な事情が深刻だった。生活なんてそこら中にある。おれにも宮間にも、ある。生活の地獄というものは、口に出したところで些細だと一蹴されてしまうだろう。

 その考えを、おれたちは自然と共有していたと思う。おれの父親は帰ってくるとずっと酒浸りで仕事の愚痴ばかり話していて、母親はおれにも父親にも文句を言うのか疲れ果てた様子で、だからおれは、大晦日も三が日も駅の中で宮間の隣を埋めていた。

 冬休みの最終日、帰ると言って立ち上がった宮間の腕を掴んで引き留めたくらいには、宮間が生活の真ん中だった。

「帰らなくていい」

「え」

「あ、いや、……もうちょっと、話そう」

 宮間はしばらく黙っていたけど、そのうちに頷いて、ベンチにそっと腰を降ろした。

 どうでもいい話ばかりをした。窓から覗く向こう側はすっかり夜で、時々白い粒が滑っていった。初雪だったと思う。かなり寒くて、くしゃみを何度もした。おれは家がそんなに遠くなかったからあまり厚着をしていなかった。

 流石にそろそろ、と宮間は呟き、立ち上がった。もう引き留められなかったけど、改札の前までついていった。宮間は振り向き、またくしゃみをしたおれに向けて笑った。

「僕は暖房ガンガンの電車だし、貸してやるよ」

 宮間は黒いマフラーをほどいておれの首に巻き付けた。暖かかった。柔軟剤かなにかがおれの家とは違っていて、ほのかにハーブの匂いがした。

「学校で、返す」

 おれの言葉に宮間は無言で笑って、駅のホームに続く下り階段へと向かっていった。頭の先が見えなくなるまで見送った。マフラーを巻き直し、時間を確認し、父親はもう単身赴任先に戻ったと安堵してから、おれも家へと向かい始めた。


 宮間とはそれきりだった。

 翌朝登校して、宮間のクラスに行ったけど居なかった。話したことのあるやつが教えてくれた。

 宮間は親の離婚で転校せざるを得なくなり、中学校だけでなく、学区内にもう居ないらしかった。

 ショックなのかどうか、おれにはわからなかった。どれかといえば腑に落ちていた。宮間の生活の些細な地獄。親の不仲とか、離婚による全部の白紙化とか、新しい親との付き合いとか。

 母親との二人暮らしに戻ったおれは落ち着いていた。母親もほっとした様子で、父親のことはやっぱり父親と認識できないでいるけれど、離れていれば凪いでいる。

 冬でもないのにざわつくのは黒いマフラーを手に取るときだけだ。宮間の横顔と笑い声が過って行って、居た堪れないような、押し潰されるような、それなのに懐かしくて安らぐような、目眩に似た覚束ない感覚に襲われる。

 多分寂しいって呼ぶ気持ちだけど、おれはまだ割り切らない。マフラーを意味もなく巻いては宮間の姿を思い出し、忘れないうちに描いておきたいと言うだけ言って、あの冬休みの中へと戻る。

 おまえもそうだったらいいなとか、宮間に言ったら笑うだろうな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

冬と駅とあいつの遺物 草森ゆき @kusakuitai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る