第14話 シンデレラ
体が温まったお陰で、ざわついていた心が落ち着きを取り戻す。指の先まで温まった俺は、新しく用意した小袖に袖を通した。
困るだろうと、カリナさんに頂いたうちの一着だ。
肌触りがいいことから、それなりに値が張るものに違いない。
心の中で感謝しつつ、髪を乾かしてから風呂場を出ると、
「湯加減はどうでしたか?」
「はい。熱くて気持ちが良かったです。ところで、カティシアさんはどこに行ったんですか?」
カティシアさんの姿がどこにもなかった。
戸を開けて、畳にちょこんと正座しながら涼んでいたエリーゼさんに、俺は問いかけてみる。
戸の外は闇に包まれていて、夜目をきかせなければ向かいの家が見えないほどだった。
街路灯もなく、光といえば月明かりのみ。慣れれば月夜の晩なら歩けるんだろうか。空気が澄んでるから歩けそうな気がするが……。いやそもそも、そのために提灯があるのか。
耳をすませば、秋を知らせるコオロギやスズムシだろうか。リーリーリー、と心安らぐ鳴き声が聞こえてくる。
なんというかこういう雰囲気は好きだ。知らなかったのだが、俺は都会よりも田舎の方が性に合ってるみたいだ。
「お姉はすでに寝室で横になってますよ~」
「……随分と早いんですね」
まだ時間にして二〇時を回ったか、回っていないか。寝るにしてはいささか早いと思ったけど、エリーゼさんはきょとんとする。やがて納得がいったようにポンと手を叩いた。
「あ、修一さんはシュテルベンの隠し子なんでしたね。えっとー、そこにある行灯は油を使って灯してます。油って思ってるよりも高価なんですの」
「ああー。なるほど」
「はい、そういうことですの。だから基本的に夕餉を食べてお風呂に入ったら、もったいないので行灯を消すんですよ〜。行灯を消すと、それはそれは暗くなるので床に就きます。お天道様に合わせた生活をしてるんですの」
子どもでも理解できるようにかみ砕いて一から教えてくれた。
すごく分かりやすかった。エリーゼさんは先生とかに向いてるかもしれない。
「説明ありがとうございます。そうでしたか。電気がない中、起きていても非生産的ですし理にかなってますね。あ、電気っていうのは――」
「デンキ? デンキがどうかしましたか?」
「え? 電気ってあるんですか?」
「ええ、ありますよー。グラオザーム、という鎧型機動兵器に使われてるんですの」
グラオザーム……?
また初めて耳にした言葉だ。
俺の顔を見て、エリーゼさんが簡潔に説明してくれた。
なんでも一〇年前の大戦で使われた兵器のようで、その名の通りデンキで動く鎧らしい。核となるコアにデンキが充填されていて、生身の人間よりも一・二五倍近く身軽に動けるだとか。そのため女王のいる神門では役人以外の使用を禁じているそうだ。それと互換性は確立されていないようで、現段階でデンキはグラオザーム以外の用途として使われていないという。
まあエリーゼさんから聞いた話なので俺が思っている電気とは違うかもしれないけど。
俺は、そこではたと思い出す。ここは過去の戦国時代に似ているが、実際はまったく違うのだと。その証拠に魔の物や魔の力といった非科学的な要素がソレだった。
この分だと魔法があってもおかしくない気がする。というかデンキって魔法を発動するための力——MP(マジックポイント)的なやつじゃないのか?
そんなことを思ったけど、まあ今の俺には関係ないので、これ以上考えるのはやめておいた。
「色々と教えて下さり、ありがとうございました」
「いえいえ~。それじゃあわたしたちも寝室に行くとしましょうか」
「…………はい?」
聞き間違いだろうか。なんか今、とんでもないことを言われたような。
立ち上がったエリーゼさんは戸を閉めてから、行灯の灯りを吹き消した。途端に居間は、時間が経てば目が慣れるといった生半可な暗闇に覆われる。
「修一さん、こっちですの」
俺が目を凝らしていると、すぐ後ろから彼女の声がした。そのまま、やんわりと背中を押されて歩かされる。
暗いせいか、彼女の手のひらが服越しだというのに鮮明に感じられた。
彼女の操作でたどり着いた先は、おそらくだが、晩御飯のときにカティシアさんが出てきた寝室だった。
「あの、エリーゼさん。俺も寝室で寝るんですか?」
「はい、そうですけどー……。何か問題はありますか?」
問題大アリだろう。いや俺がおかしいのか?
エリーゼさんのけろりとした反応に、俺の倫理観がグラグラと安定感を失くす。
この世界だと普通のことなのか? それなら郷に入れば郷に従え、というが……。そんなわけないと思うけど。
流れに身を任せて生きてきた俺だが、生まれて初めてかもしれない。
自分で考えて行動した方がいいのでは? と思ったのは。
多少暗闇に目が慣れてきて、おぼろげながらエリーゼさんの姿が感じ取れるようになった。やはり寝室だったようで、川の字に三枚の布団が並べられていた。その真ん中にカティシアさんが横になっている。
小さな体躯をもぞもぞ動かし、軽く上体を起こすなり、
「やっと上がったの? 長いことお風呂に入ってたのね。まあ不潔よりはずっとマシだけど。あ、アンタはあたしの隣だから! エリーの隣なんて許さないわよ」
「あ、はい。それは全然いいんですが、本当に俺がここで寝ていいんでしょうか?」
「なぁに、アンタ? 襲う度胸でもあるってわけ!? ふーん、その下半身に付いたもの斬り落としてから寝ようかしら。その方が安心よね」
「いえ滅相もないです! 俺にそんな度胸ありません!!」
「なら何も問題ないじゃない」
四の五の言わせないとばかりに、カティシアさんは俺たちから背を向けて再び寝そべった。
問題、ないんだろうか……?
「まったくー……お姉は説明不足なんですの。あの、修一さん」
「……?」
「凍死したいですの?」
「……死体にはなりたくないです」
「あちらの居間は朝方ものすーっごく冷え込むんですの。夏ならいいんですけどね。ですから寝室で寝た方がいいですの」
「凍死するほど?」
「ちょっち盛りました」
「…………」
ボケか否か判断がつかないエリーゼさんとのやり取りに、俺は押し黙った。
目の前にいても顔の表情まではわからない薄氷のような闇の中。俺の顔をエリーゼさんが覗き込んできた気がする。彼女は、笑い声交じりにこう言った。
「でも寒いのはまことなんですの。体を壊したら一大事ですから、修一さんが嫌じゃなければここで寝てくださいね」
「……ありがとうございます」
流石の俺でも分かる。善意百パーセント。彼女たちの厚意だった。
俺の後ろにいたエリーゼさんが奥の布団に入っていく。
その場に取り残された俺は……ゴクリ。
心臓はバクバクしてる。当たり前だ。今日会ったばかりの女の子と同じ部屋で寝るんだから。だけど——
単純にその気持ちが嬉しかった。温かった。
無下にされるんじゃなくて、こんな俺を迎えてくれた二人。
彼女たちの気持ちに応えたいし、素直に甘えたかった。
カティシアさん。エリーゼさん。こんな俺なんかを気にかけてくれてありがとうございます。絶対に何もしません。その気持ちを裏切ったりしませんから!
決意を固め、俺は口の中にたまった唾を一気に飲み込む。平時より早くなった鼓動を感じながら、意を決して、手前の布団に潜った。
ひんやりした毛布の感触が俺を包み込む。さっさと寝ようと、そのまま意識を手放して……。
……眠れない。
案の定、こんな状況で寝れるわけがなかった。目がバッキバキだ。
どうしようもなく男だった。バクバクと心臓が鳴っている。本当すいません……。
気を紛らわそうと天井の染みでも、羊でも数えようかと思っていたら、すぐ左から、
「ねぇ、アンタ。寝る前に何か小話しなさいよ」
とんでもない注文がとんできた。
「小話、ですか」
「シュテルベンの隠し子の記憶でいいわ。一つくらい、面白い話あるでしょ」
「そうですね……」
カティシアさんは俺に気を遣ってくれたのだろうか? いやカティシアさんのことだ。単に寝るまでの暇つぶしかもしれない。だとしても俺としては他のことを考えられるチャンスだ。
パッと思いついたのが、シンデレラだった。
俺はかの有名な童話を話してみた。
最後まで静かに耳を傾けていたカティシアさんは、一言。
「……つまらないわね」
バッサリとぶった斬った。
「だってそのシンデレラ? って何もしてないじゃない! 魔法使いにいけすかない男。全部誰かに助けてもらってるだけよ! 現実は非情。……そんな都合よく手を差し伸べてくれないわ」
「王子様です、カティシアさん」
「いけすかない男よ。恵まれた環境でぬくぬくと育った、苦労を知らない甘ちゃんだもの」
王子様がどのような道を歩んできたのか、俺は知らない。
城の王子様、とだけで詳細な設定はないんだから。カティシアさんの王子様に対する偏見がすごかった。
子どもには聞かせられない感想に、思わず俺の口がへの字になる。
「わたしは好きですの。不憫で可哀想なシンデレラ。辛い状況の中、王子様が迎えにきてくれるなんてとっても素敵じゃないですか」
「シンデレラは、幼少の頃に親からよく朗読してもらう童話の一つです。ご都合主義といいますか、ハッピーエンド」
「はっぴーえんど? なによ、それ」
「えっと、大団円……良い結末でないと子どもたちに夢も希望も与えられませんから、幸せな話なんですよ」
「幼少の頃って……アンタ、話の選択に悪意を感じるんだけど?」
こどものようなちっちゃな足でゲシゲシと、カティシアさんから軽く足蹴りされた。もぞもぞと冷たい足裏が、俺のふくらはぎに何度も当たる。
「すいません。そういったつもりは全くなかったんですが、一番最初に思い浮かんだのがシンデレラだったもので」
「ふん! もういいわよ! 眠くなってきたし、もう寝るわ」
足を引っ込めたカティシアさんは、毛布を掛け直す。それからすぐに「すぅ……すぅ……」と規則正しい寝息をたて始めた。
「…………」
寝ると決めたらあっという間だった。
何はともあれ、彼女の無茶ぶりを乗り切ったことに俺は胸を撫で下ろす。
都合よく手を差し伸べてくれない、か。
彼女の棘のある感想とは裏腹に、俺はその状況の真っ只中にいる。カティシアさんもそのことは理解しているだろうが……。
天井の染みを数えながらぼんやり考えていると、
「修一さん、まだ起きていらっしゃいますか?」
エリーゼさんの声がする。
人のことを言えないが、妹の方はまだ寝ていなかったようだ。
「起きてますよ」
「あの……お姉のこと、嫌わないであげてくださいね」
ためらいがちに。外の虫の声にかき消されそうなくらい小さい声。
本当にカティシアさんのことが好きなんだな。
俺は一人っ子だ。彼女たちを見ていると自分にも兄弟がいたら、と思ってしまう。その想いをエリーに伝えるために、俺は普段よりも腹から声を出す。
「嫌うなんてとんでもない。なんだかんだ言って、こうして家に置いてくれました。心から感謝していますよ」
「ほっ、そうですのー。修一さんが優しい方で、よかったですの」
「むしろ俺が嫌われていますから」
「それはないと思いますよ。嫌なものは嫌、とお姉はしっかり申しますから。少なくともこうして一緒に生活をしてもいいと思うぐらいには好かれていますよー」
「……妹のエリーゼさんからそれを聞けて、少し気が楽になりました」
「そうですねー、ノミとか虫以上じゃないでしょうか」
「好感度の対象が人ですらないですけど!?」
「ふふ、冗談ですの。これからもどうか妹共々よろしくお願いしますねっ」
「エリーゼさんは結構お茶目なんですね……。はい、こちらこそ」
姉のことが気がかりだったのか。おやすみなさい、と口にしてから。安心したように小さな吐息をはくと、やがてエリーゼさんも眠りについた。
俺はいつになったら眠れるんだろうか。
姉妹のお陰で多少気が紛れたものの、静かな寝息だけが部屋にたむろし、また心臓がドクドクと音を鳴らし始める。この感じだとテシュ姉妹は、俺を男として認識してないようだ。まあ全然いいんだけど……。
自分が思っているよりも、疲れていたのだろう。
俺の心配をよそに、いつの間にかぐっすりと深い眠りに落ちていった。
こうして俺の不変だった日常に劇的な変化をもたらして、異世界生活一日目が幕を閉じた。
彼女たちと始まる異世界生活 ~生きることに絶望していた俺、大団円(ハッピーエンド)を目指す~ 楪セツ @mokouu_asahina00
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