第13話 ご飯と風呂上り

 家の中を軽く案内してもらった俺は、さっそく夕餉――晩御飯を作るというエリーゼさんの手伝いを申し出た。


 幸いなことに、食材は俺が暮らしていた天照と大差ないようだ。



「修一さん。随分と手慣れているんですね~。すごく助かります」

「そうですか? エリーゼさんの邪魔になっていなくて良かったです」



 学生時代、少しでも母さんの負担を減らしたくて家事の手伝いをよくしていた。

 また母さんが亡くなってからは、一人暮らしもそれなりに長かったため、自然とスキルが身についていたらしい。


 鼻歌を口ずさみながら、エリーゼさんは手慣れた様子で包丁を扱っていく。



「ふふ、わたしには敬語じゃなくていいんですの。修一さんの方が年上ですし」



 料理を作っている最中、自然と年の話になった。


 なんとなくそうだろう、と思ってたけど、聞いてみるとテシュ姉妹の間に俺が食い込んだ。つまりカティシアさんは俺より年上で、エリーゼさんは俺より年下だった。



「気遣ってくれてありがとうございます。ただ自分は誰にでもこんな感じなんです」

「そうなんですね。修一さんは、わたしと似ているかもしれませんね。わたしも子どもたちに対して敬語を使ってしまいますの」

「エリーゼさんは誰に対してもそんな感じがしますよ。分け隔てなく優しそうですから」

「……そうでしょうか? あまり申されたことないですから、なんだか照れてしまいますね」



 ほんのり頬を染めてはにかむエリーゼさん。


 そんな他愛ないやりとりをしているうちに、料理ができあがる。テーブルに料理を運んでから、エリーゼさんがカティシアさんを起こしにいった。



「お姉、夕餉ができましたよ。冷めますから食べましょう」

「ん……んあぁ」



 エリーゼさんに手を引かれて、寝室からカティシアさんが出てきた。どうやらカティシアさんは寝起きが悪いようで、頭をぐでんぐでんさせながら席につく。



「じゃあ、いただきましょうか」

「そうですね。いただきます」

「…………ますー」



 みんなでいただきます、と手を合わせてから、俺は箸を取った。

 ご飯に漬物。サバにしか見えない魚に、キノコのみそ汁といった和の王道メニューだ。



「あ、美味しい」

「修一さんのお口に合ってよかったんですの。手伝ってくれましたから、いつもより美味しくできてますね」



 エリーゼさんは手を受け皿にして、一口サイズに切り分けたサバにしか見えない魚の身を食べる。それから感想を口にした。


 いつもなら味なんて気にしない。栄養を摂取してお腹を満たせればいい。生命の活動のために仕方なく行っていた行為。そこに得られるものは何もなかった。

 なのだが……、今日の食事は不思議とどれも美味しく感じられた。


 なんというか、久しぶりの感覚だった。美味しいと感じたのも、こうして囲ってご飯を食べたのも……。



 そうして思い出す。昔は、こうして美味しいと思っていたのだと。

 そうか。あの頃は母さんと食べていたのか。


 俺の顔を見て、エリーゼさんは嬉しそうに笑った。



「おかわりもありますから、修一さんもいっぱい食べてくださいね」

「はい! ありがとうございます」



 俺はぬるま湯に浸ったような気持ちになりながら、ご飯を食べ進めていった。



「ん。いつもよりおいしー」



 起き抜けの寝ぼけた顔をしたカティシアさん。重たそうなまぶたを無理に開かず、ハムスターのように頬いっぱいに詰め込んで食べていた。


 もの静かに食事を摂るさまは、俺のことを塩対応していた人物とはとても思えない。寝ている間に、誰かに体を乗っ取られたのではないか? そう思いたくなるほどおとなしかった。


 俺の訝し気な視線を受けても、カティシアさんは目の前の漬物をモソモソかじっている。



「お姉、お酒は飲みますか~?」

「ん。飲むー」

「修一さんも飲まれますか?」

「いや。俺は大丈夫です。ありがとうございます」



 エリーゼさんの申し出を、俺はやんわり首を振って断る。

 立ち上がったエリーゼさんが酒瓶を片手に戻ってきた。



「はい、お姉」

「お、ととっ」



 妹にお酌してもらい、姉はそれを一気に呷った。



「んんんーっっ!! 幸せ。嫌なことも忘れられそうね!」



 アルコールで目が覚めたのだろう。テーブルに肘をついて、カティシアさんがこちらへ、時々ねちっこい視線をなげてよこした。


 ……前言撤回。全然体なんて乗っ取られていなかった。そこには、いつものカティシアさんがいた。




 そんなこんなで晩御飯が終わる頃には、外はすっかり暗くなっていた。


 カティシアさんはお酒に強いようで、一升瓶を空けても酔っぱらった様子は見られない。ただ吞み始めてすぐに頬がほんのり赤くなったことから、顔には出やすいタイプみたいだ。


 彼女は皿を洗っている俺に、



「ごちそうさま。愚図のアンタにしたら……まあ及第点ね!」

「あ、……お粗末さまでした」

「修一さん、やりましたね。お姉はご飯が美味しかったって申してるんですの」

「えっと、そうなんですか?」



 どうも認識の相違があるみたいだ。

 俺は見慣れてきた仏頂面の少女を一目してから、再びエリーゼさんに顔を向けた。


 やっぱり。とてもそうは思えないのだが……。


 そんな俺に、エリーゼさんはニコニコしながら頷く。



「ちょっとエリー! 余計なこと申さないでくれる? ふんっ。調子に乗るんじゃないわよ。それと今からお風呂に入るから! 覗いたらわかってるわよね?」



 それだけ言い残して、ドタドタと足音を立てながらカティシアさんは風呂場へ行ってしまった。心なしか慌てた様子で、若干早口であった。



 その様子をみるに、どうやらエリーゼさんが言っていたことは、あながち間違っていないように感じられた。だからだろうか、少女の刺々しい言葉が、今になって嬉しいと思うことができた。



「あ! エリーも一緒に入るわよ! エリーがお風呂に入ってるとき、何かしてくるかもしれないし」


 浴室から顔だけ出して、俺を見てそんなことを言う。



「修一さんはそんなことしませんよー。ふふ。ですけど、たまにはお姉と一緒に入るのもいいですの。では今行きますね〜。じゃあ修一さん、自分の家だと思ってゆっくりしてくださいね」

「あ、はい」



 あっという間に居間には俺一人となった。



 言うまでもなく、カティシアさんとエリーゼさんがお風呂に入っているとき、俺は石膏像のごとくその場を微動だにしなかった。


 けれど、カティシアさんにわざわざ言われたことで否応なしに意識してしまった。


 あの戸を開ければ、裸の二人が……カティシアは小学生みたいな体つきだけど、ちらりと見えた太ももはムッチリしていて、抱きつけば柔らかそうだ。

 エリーゼさんは小袖を押し上げるほどの巨乳の持ち主。それに出ているところは出ていて、引っ込んでるところは引っ込んでる同性が羨むようなスタイルをしてそうだ。


「…………」


 俺だって男だ。煩悩まみれであった。



 角柱型の行灯のほのかな灯りが、暗くなってきた部屋をともす。息を殺してそのゆらゆらした光をじっと見ていた。


 あー! こんなんじゃダメだ! 俺の居候を許してくれたカティシアさんとエリーゼさんに合わせる顔がない!! 悪霊退散! 心頭滅却! 煩悩よ、去れ!!



 ガラガラーッ!!


「ッッッ!!??」

「さっぱりしたわ。やっぱりお風呂っていいわね!」


 やがて湯あみを終えた二人が浴室から出てくる。

 二人とも簡素な寝巻きに身を包んでいて、風呂上り特有の熱気を感じる。


 薄手の生地だからだろうか。どことなくエロかった。


 

「修一さん、お先にありがとうございますね」

 

 

 ピンクの寝巻に着替えたエリーゼさんが、可愛く両手を合わせて『ごめんなさい』を作った。


「いえ……」

「アンタもさっさと入ってきなさい。臭かったら外に叩き出すわよ!」

「色々あってお疲れでしょう。ゆっくり体を温めてくださいね」



 ふわりと揺れた灰髪から、心地よい匂いに混じって、彼女たちの密のような甘く香しい匂いが立ち上ってくる。

 熱で火照った顔を、エリーゼさんが手であおごうとする。水滴が鎖骨から零れ、つぅっと胸の谷間に吸い込まれてゆく。カティシアさんに至っては、胸元をパタパタさせて涼もうとしていた。


「ふぅー。今日も一日疲れたわねー」

「ちょ、カティシアさん!?」



 俺の近くで胡座をかいたため、青色の寝巻きから、ほんのちょっと膨らんだ谷間が見えてしまった。

 不幸中の幸いといえばいいか。薄暗かったため、先の方までは見ることができなかった。



「ん? 突然奇声上げてどうしたのよ、アンタ」

「へ? あ、いや! なんでもないです……」



 一瞬だけ意識を奪われかけたけど、俺は鉄の自制心で身を固める。そしてそれが崩れないうちに短く、「では、いただいてきます」とだけ言って、煩悩を振り払うように足早に風呂場へと駆け込んだ。




「はあ~~~、よくぞ我慢した、俺」

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