#23 わづかに闇の、初め哉
深夜、ビルケナウ市から王都へ向かう道。
一般的に使われている公道ではない。山の合間を縫うように進んでいく、知っている者も少ないような裏道だ。
もはや獣道といって差し支えないようなその道を、進む人影が二つ。少しだけ欠けた月が、その二人組を照らしていた。
「ラミーさん、私のことは……」
「なにも言わないでくれ。別に、君のためだけにこうしているわけじゃない」
メリエスの手を引きながら、ラミーは歩き続ける。
帝国軍の支配するビルケナウ市を脱出しての逃避行だが、メリエスは乗り気ではないらしい。
「私なんか……王都に帰ったところで……。あなたが危険を冒す必要なんて、ないんですよ。むしろ、帝国にいた方が安全かもしれません。だから、だから私は……」
「俺はそうは思わない。このままだと、帝国軍は――」
ラミーの身を案じるメリエスに返事をしようとして、足を止める。
進む道の先、開けた場所に人影が二つ。
ローブを身に纏いフードを深く被っているため、その体格も顔もわからない。
だが、ラミーにはその二人が誰なのか理解できた。
「騎士オルレアとお見受けします」
ローブ姿の二人に向けて、ラミーは言った。
「自分は帝国軍参謀本部所属、ラミー中尉であります。メリエス姫をオルレア卿の下へとお連れに参りました」
「驚いた。どこの国か知らないが、まさか参謀本部にスパイを忍ばせていたとはな。……挨拶が遅れたな、私がオルレアだ。こちらは我が従騎士のレイだ」
フードを脱ぎ顔を晒しながらオルレアが挨拶を返す。
無理からぬことだが、ラミーのことを今まで情報を流していた内通者と思っているらしい。
実際にラミーはこうして反逆行為を働いているものの、オルレアが言う内通者ではない。だが、それをこの場でいちいち訂正はしなかった。
「こちらをどうぞ。オルレア卿の騎士武装です。……では、姫様のことはお任せします。道中、お気を付けて」
「君はどうするんだね?」
調子を確かめるように、受け取った曲剣を軽く振りながらオルレアが問いかけた。
問われて、ラミーは逡巡した。
帝国軍に対しては、すでに明確な裏切り行為を働いている。メリエスを匿ったのはまだ言い訳がきく可能性もあったが、今回は無理だ。戻れば確実に処分される。
だが、このまま、今まで戦ってきた敵国に匿ってもらうのがいいのか。責務を放棄して好き放題に振る舞ったのだから、最後は軍人としてのケジメをつけるべきではないのか。
「一緒に来て。お願い……」
ラミーの迷いを察したのか、メリエスがそんなことを言う。
ブルーグリーンの瞳が、不安げに揺れていた。
ラミーがそれに応える前に、オルレアが口を開く。
「……君は、私の従騎士と共に姫様をお連れしてくれ。私には仕事があるようだ」
言いながら、オルレアは暗い藪の向こうを睨みつける。
ラミーが釣られてそちらを見れば、金色の瞳が二つ、闇夜の中で浮いていた。
ゆっくりゆっくりと、それは近づいてくる。
月明かりに照らされる白い体躯。敵味方から悪魔と恐れられる、白い自動人形がそこにいた。
右手には騎士クラインから奪った両刃剣、左手には赤い花を持っている。
花は道端で摘まれたものだろう。大きく反り返った花弁に、長く突き出した雄しべが特徴的な、真紅のリコリスの花だ。
そんなどこか不吉な雰囲気を纏った花を、人形は自らの鼻先へと持っていく。
『……あーあー。テストテスト。おい、通信状況はどうだ? ホワイト』
花弁が震えて、声がした。
「良好です。しっかり聞こえていますよ、貴方」
『目の前の連中にもか?』
「もちろんです。殺りますか?」
『気がはえーよ。ちょっと待ってろ』
花から聞こえるのは、キミヒコの声だった。
差し向けられた追手に戦慄していたラミーだったが、あの人形にこんな特技があったことにも驚く。
帝国軍の通信科も顔負けの通信能力である。
「人形遣い……やはり、あの時の声の主か……」
人形を警戒し臨戦態勢をとる従騎士を手で制して、オルレアが呟く。
『騎士オルレアか。ちょうどいい。お前のせいで、俺の人形は恥をかかされたんだ。今ここでおとなしく殺されてくれ。どうせ、お前に勝ち目はない』
「それはどうかな? その人形とて、魔核晶が破壊されれば無事ではいられまい。この、嘘の世界とやらに君の人形の魔核晶を引き込めば……」
『嘘の世界……この幻影世界のことを言ってるのか? ふん……騎士オルレアともなれば、言語教会に縁の一つもあるか』
双方、嘘やハッタリを混ぜ合わせたような応酬を交わす。
魔核晶はともかく、嘘の世界に言語教会……? 何を言ってるんだ……?
オルレアとキミヒコのやりとりに、ラミーはそんな疑問を浮かべながらも黙って見守っていた。
『あんたも、あの黒幕気取りの聖職者どもと同じなのか? あちらとこちら、どちらが真の世界であるかなんて、どうでもいいと思えるがな』
人形の持つ花から漏れ出るキミヒコの言葉は、どこかどうでも良さげな雰囲気だ。
オルレアとの会話には乗り気でないらしい。
『……ま、いいさ。ホワイトのコアを攻撃しようだなんて、無駄なことだ。戦えば、お前は死ぬ。だがその前に……おいラミー、いつまで黙ってる。お前、自分が何をやったかわかってんのか?』
オルレアとの会話を打ち切り、今度はラミーへと話が振られる。
いつもどおりの温かみが感じられないような声色だが、普段よりさらにドライな雰囲気を纏っているように聞こえた。
「キミヒコさん。まさか、あなたの人形が追手として差し向けられるとはね」
『誰のせいだ、誰の。……ずいぶんと元気そうだな。牢屋にぶちこまれて鬱になっていると聞いていたが、脱走するほど元気が有り余っていたとはな』
軽い調子でキミヒコが返事をするが、その声には刺すような冷たさがある。
この場ではわからないが、目は笑っていないのだろう。
『ラミー。将軍がご立腹だ。パーカーの野郎は生かして連れてこいと言われているが、お前は生死を問わずだとよ』
「まあ当然、そうだろうね」
『そうだろうね、じゃねーんだよ。パーカーなんぞにまんまとそそのかせられやがって。奴は、まだ市内にいる。……お前、いいように使われてるぞ。わかってるのか?』
キミヒコからのパーカーについての言及に、ラミーは一瞬だけ言葉に詰まった。
確かに今、この場にいるのは、パーカーにお膳立てされてのことだ。あの出身派閥についてうるさい男が帝国を裏切っていたことに、ラミーは大層驚いたものだ。
出身云々でラミーに絡んできたのはカモフラージュのためであって、本当はザンネルク出身ではないのかもしれない。最初から、どこか他の列強から送り込まれた諜報員だったのだろう。
「いいように使われている、か。まあそうなんだろうけど、正直、どういう意図なのかは掴みかねるね……」
言いながら、パーカーのこれまでの行動を思い返す。
ラミーがメリエスを匿っていることを密告したのは、パーカーである。他ならぬ彼自身から、脱獄する際にラミーは聞き出していた。
だがそうなると、一度は帝国軍に捕まえさせておきながら、メリエスを逃がそうとするのかが不可解である。ラミーを脱獄させたのは、彼女の逃避行のお供にするためであろう。
この辺についても聞いてはみたが、パーカーは苦い顔をするばかりで答えることはなかった。
諜報員なのだから当然ではあるが、彼は彼でいろいろと苦労があるらしい。
「それで、彼は捕まったのかな?」
『まだだ。だが、俺は奴の居所を把握している。……戻ってこい、ラミー。この場でオルレアをぶち殺して、そのガキを生け捕りにして、パーカーを将軍の下まで引きずっていけば、まだなんとかなる』
キミヒコの言葉にラミーは返事ができなかった。
その声色は相変わらず冷淡そのものだったが、その内容はラミーを気遣ってのものだ。
利己的な秘密主義者で、必要ならば殺しも厭わないほどには冷酷。そう思っていた男が、こんな提案をしてくれたことに驚き、二の句を継げない。
『将軍の言質はとったし、ミルヒも協力してくれるってよ。だから――』
「すまない」
ラミーの短い断りの返事に、息を飲む音がする。
キミヒコのものではない。ラミーの手を掴んだままの、メリエスのものだ。
「キ、キミヒコさん……ラミーさんを助けてください。この人は……」
『黙れよクソガキ。今、この場において、お前に発言権はない』
メリエスの嘆願を、キミヒコは冷たくあしらう。
ラミーの腕を掴んだままの彼女の手がびくりと震え、その目尻には涙が浮かんだ。
『……あのさぁラミー、そろそろいい加減にしとけよ。その女にそこまで惚れてんのか?』
「別にそういうことじゃない。帝国軍のやり方はおかしいよ。あなただって、そう思ってるはずだ」
キミヒコの諭すような言葉に、ラミーはそう返した。
帝国軍のなりふり構わないやり方を、キミヒコも快くは思っていないとラミーは感じていた。
もっとも、彼の場合は自分が手を汚したわけでもないのなら、知ったことではないというスタンスだ。それも理解している。
『あれはアホの参謀本部の責任だろうが。なんでお前が負い目に感じる必要がある?』
「そうやって、誰も責任を感じないような組織だから、平気であんなことができる」
『戦争をやってるんだぞ。殺し合いだ。正気のままで人殺しをやっていれば、行き着く先には、ああいう組織にもなるんだろうよ』
戦争をやっていれば、悲惨なことだってある。そしてそれを気にかけたところで、どうしようもない。
キミヒコはそう言うが、ラミーは納得できなかった。
「なあ、キミヒコ。俺はこのまま、ビルケナウ市に戻るよ。だから、彼女たちをこのまま、帰してやってくれないか?」
『……なに、お前。自殺願望でもあるのか? 軍に反逆しておきながら、王国に寝返る気もないって、馬鹿なの?』
それまで冷酷だったキミヒコの声色が、動揺するのがラミーにはわかった。
自殺志願かと言われても、否定できない行動である。このまま帰れば、間違いなく軍法会議にかけられ、死刑となる。
おおよそ、常人には理解できない話だ。キミヒコにとってもそうだっただろう。
『あのなぁ……騎士オルレアを殺して、メリエス姫を取り返してこいって、俺は言われてんの。わかる?』
「わかるよ。迷惑ばかりかけてすまないが、頼めないか?」
『…………本気なのか?』
「本気だ。頼む、キミヒコ」
長い沈黙が降りた。
人形が手に持つリコリスの花は声を発することなく、ただただ夜風に揺らめいている。
『馬鹿かよ……。この馬鹿が! 馬鹿が! 馬鹿野郎がッ……!』
唐突に赤いリコリスの花が震え、ラミーを罵倒した。
「すまない」
『ああ、もう! ……さっさと行けよ』
キミヒコの言葉に、その場の誰もが反応できない。
メリエスのみならずオルレアまでもが、信じられないという目をしている。
『行けって言ってんだろ! 俺の気が変わらないうちに、さっさと失せろ!!』
「ま、待って! そうしたら、ラミーさんは――」
メリエスは最後まで言葉を紡ぐことができなかった。オルレアの従騎士レイが、その手で彼女の口を塞いでいた。
オルレアの目配せにレイは頷き、強引にメリエスをこの場から連れていこうとする。
メリエスは振りほどこうと暴れるが、従騎士との体格差ではどうにもならない。そのまま、彼女は引きずられるようにして連れられていった。
「礼は言わんぞ、人形遣い」
『器の小さい女だな。まあ別にいいよ。どうせ、お前には死んでもらうからさ』
オルレアもまた、キミヒコとそれだけ会話をして去っていく。
去り際に彼女は、ラミーへ向けて深々と頭を下げ、闇夜の中へと消えていった。
ラミーの他に、この場にいるのはホワイトだけ。そうなってから、人形は手に持つ花を、ラミーへと差し出す。
赤いリコリス……。綺麗だが、血の色みたいな花だな……。
そんなことを考えながら受け取ると、赤い花弁が震えてキミヒコの声を発する。
『お前、死ぬぞ』
「かもね。でも、まあ……やれることはやってみるさ。これでも弁論術は得意だったんだ。軍にはもういられないだろうけど、故郷で親父の跡を継いで、ワイン造りもいいかもな」
『俺はもう、お前を庇わない』
「うん。ありがとう、キミヒコ。……もし生き残れたらさ、ワインを贈るよ。うちのワインは絶品なんだぜ」
『下戸がおすすめのワインなんて、まっぴらなんだよ……馬鹿野郎が……』
ラミーの手に持つ赤い花は、それきり静かになる。夜風に吹かれて、花弁が散っていった。
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