#22 ストレイド
ビルケナウ市牢獄。常であれば、市内の犯罪者を収容する施設であったそこは、現在帝国軍が接収し利用していた。
つい先日までは王国の法に触れた者たちが入居者であったが、今は帝国軍こそがこの都市の法である。
王国軍の捕虜、反抗的な市民、そして軍規を犯した将兵などが収監されている。
その中には、つい先日までは帝国軍のエリート街道をひた走っていた青年もいた。
やれやれ。軍人としてのキャリアも、ここまでか……。
ラミーが心中でそう独りごちる。
家族の反対を押し切り、実家を飛び出してまでなった帝国軍人。その栄達の道が閉ざされたにもかかわらず、その顔に悲壮さはなかった。
ラミーは軍人に、そして戦争というものに幻想を抱いていた。現実を見ているつもりでいたが、そんなことはまったくなかった。
正々堂々と戦い、それを制することで得ることができる、煌びやかで栄光に満ちた勝利。そんなものは絵空事であり、戦争は残酷かつ無慈悲なものである。
軍学校で嫌というほどに叩き込まれたはずのその事実を、いまさらになって本当に理解する。そんな自分の愚鈍さに、ラミーは笑ってしまう。
今の今まで後方勤務で、知らなかった。いや、知ってはいたはずだが、心からの理解はしていなかった。
このビルケナウ市の市民のように、ある日突然に生活や命を奪われる人々。ミルヒのように、軍命に従い続けるうちに精神を病んでしまう軍人。
どれもこれもうんざりで、ラミーは戦争から足抜けしたいと考えるようになってしまった。
そんな時に出会ったのがメリーという少女だ。
自身の良心を守りたい。ただそれだけのエゴのため、ラミーはあの少女を助けた。
少女を守るために死んだ地下室の魔術師は王国軍人で、少女自身も上に立つ者としての気品があった。そして、先の交渉で人身御身として選ばれた王家の人間が、この都市に残っている可能性があるとの前情報も知っていた。
本人がそう名乗ったわけではないが、あの少女がメリエス姫であろうことを、ラミーは推察できていた。そしてそれを、黙っていてこうなった。
我ながら、なんと勝手な人間なのだろう。
軍隊という、なんの生産性もないくせに国費ばかりは湯水のように消費する組織にいながら、その責務を果たさない。
軍人でいることが嫌になってしまって、今こうやって収監されている状況を、軍を辞める口実にしようとしている。
かつての自分が最も軽蔑するような人種になってしまったことを、ラミーは自嘲した。
最後まで軍隊入りを反対した、父のことを思い出す。
父はよくよく理解していたのだろう。己の息子は軍人に向いていないことを。当の本人よりも、よっぽど理解していた。
……彼女は、無事だろうか。
自分自身について思いを巡らしたその次に思うのは、あの少女のことだった。
メリエスを匿ったことに後悔はない。
悪辣な態度をとりつつもどこか忠告めいたことをしてくれる、あの隻眼の男の言うことを無視してまで、そうしたことに悔いはなかった。
彼女のブルーグリーンの瞳に活力が戻るのを意識するたび、ラミーは自身の良心が満たされるのを感じていた。それは、この都市を焼き払った後ろめたさを誤魔化してくれた。
瞼を閉じ、暗闇の中で物思いにふけるラミーの耳に、コツンコツンという足音が響く。
足音はだんだんと近づいてきて、止まった。どうやら、ラミーに用があるらしい。
いったい誰が、なんの用なのか。
ラミーが瞼を開けると、そこには意外な人物が立っていた。
◇
「脱走者がでた」
司令部に呼び出されたキミヒコに、開口一番にウォーターマンがそう告げた。
「内通容疑で収監されていたラミー中尉と、捕縛していたメリエス姫が姿を消した」
いきなり呼び出しておいて何事かと呆然とするキミヒコに向けて、さらにウォーターマンが説明を加える。
無茶苦茶をやられてやがる。
キミヒコの感想はそれに尽きる。
二人まとめて脱走されるとはどういうことなのか。ましてそのうち一人は敵国の要人である。
「らしくありませんね。いったい、どういう警備体制なんですか」
「返す言葉もないな。……軍内部で虚偽の内報及び先導をした人物がいる。それに裏をかかれた」
「誰です?」
「パーカー少尉だ」
淡々と告げるウォーターマンに、キミヒコはまたしても絶句した。
パーカーといえば、つい先日にラミーの代役としてキミヒコの担当窓口に就任したばかりの将校である。
なんで俺の窓口には、裏切り者ばっかりが回されるんだよ……。
パーカーという男は、ラミーを嵌めたかもしれない。そんな勘が働いて、キミヒコはパーカーをマークしていた。だが、まさかスパイそのものであるとは思っていなかった。
あまりの事態に二の句が継げずにいるキミヒコに向けて、ウォーターマンが口を開いた。
「追手として、力を貸してもらいたい」
「なぜ私なのですか。憲兵隊の仕事でしょう? お断りします」
裏切り者の始末など、そちらで勝手にやってくれ。キミヒコの思いはそんなところだ。
どうして自分にそんな仕事が回ってくるのか、理解ができない。
もっといえば、キミヒコにはもう、熱心に仕事をする気がなかった。
戦後の地位についてはもう諦めるつもりなので、帝国との付き合いはこの侵攻作戦までのことだ。この仕事を仲介した教会の顔を立てる必要もあるので、露骨なサボタージュはできない。だが、初期の頃ほど真面目に仕事をする必要性は感じなかった。
「ビルケナウ市郊外で回収された、騎士オルレアの曲剣が持ち出された」
そんなキミヒコに、ウォーターマンはそう言った。
オルレアの得物の一つ、騎士武装の曲剣は先の空襲作戦の後に帝国軍により回収されていた。空中戦の末に、放り捨てられたらしい。
その騎士武装が持ち出された。
考えるまでもなく、騎士オルレアの下へと届けるためだろう。そしてオルレアとメリエスの関係を考えれば、多少の無理をしてでも迎えにきている可能性はある。
だがそれは、確実な話ではない。キミヒコにこの話を了承させるための根拠としては少々弱い。
「……わかっている。これは本来、君に頼むべき仕事ではない。その分、報酬には色をつける。成功、失敗問わずだ」
キミヒコの雰囲気を察したのか、ウォーターマンは下手にでた。
提示された報酬額は、色をつけたというだけあって、それなりのものだ。しかも、仮に失敗したとしても全額支払うという。
「いったい、どうしたというのですか? 私にそんなに頼み込むほど、人材は払底していないでしょう?」
「……すでに、王都攻略のための部隊を編成し、その準備をしている。今、敵の騎士を相手にするかもしれない任務に、動かせる人員はいない」
ウォーターマンの言葉に、キミヒコは瞠目した。
ビルケナウ市を焼いたおかげで、帝国軍の物資にあまり余裕はない。にもかかわらず、王都攻略を強行しようというのだ。
いったいなんだ? このところ、おかしいぞ。どうしてこんなに焦ってるんだ……?
キミヒコの心中に疑念が渦巻く。
帝国軍は兵站については常に万全を期すような組織だ。補給もおぼつかない状態での強行軍など、異常事態といえる。
そもそも、この都市を焼いたことがおかしい。普通に考えれば、飛行場の建設完了後に航空隊を使うか、精神汚染の洗浄を完了させた特科部隊を使えば問題はなかった。どちらも、多少の時間はかかるが、待てばそれで済むことだった。
一回目のビルケナウ市攻略戦の後くらいから、帝国軍はなぜか焦っている。戦況は圧倒的優勢であるにもかかわらず。
「……裏切り者の二人はどうされるので?」
いったん、帝国軍への疑念を棚上げして、キミヒコは問う。
「もし発見したなら、パーカーは生かして連れてきてほしい。裏に誰がいるのか、吐かせる必要がある。とはいえ、彼の所在は不明だがね。脱走者たちに同行はしていないらしい」
この任務に前向きな質問であったからか、ウォーターマンは顔や口調こそいつも通りだが、どこか綻んだ雰囲気が感じられた。
「ラミー中尉は?」
「反逆者には死あるのみだ。彼については、その場か軍法会議か、どちらで報いを受けさせるのか君に任せよう」
パーカーは生け捕りで、ラミーは生死は問わず。
ウォーターマンのその要望から、彼もラミーが内通者であったとは考えていないことが窺えた。帝国軍の情報を流していた主犯はパーカーだろう。
大方、ラミーはこの土壇場で、内通者であったパーカーにそそのかされたというところか。
とはいえ、許す気は微塵もないようである。
「私が、彼を見逃すとは考えないので?」
「……驚いた。かの人形遣い殿から、そんな言葉が出るとはな」
心底驚いたというふうに、ウォーターマンは声を上げた。
本当に驚いているらしく、いつもの鉄仮面が崩れ、目が大きく見開かれている。
「だが、いいだろう。そういうことなら、生殺与奪の権は君に預けよう」
「生かして連れてきても、軍法会議なのでは?」
「私が軍法会議だ。彼が持ち帰ってきた結果で、私が判断する」
キミヒコではなく、ラミーが持ち帰った結果。ウォーターマンはそう言った。
要するに、この任務の成果次第では助けてやってもいいと、そういうことだ。
「具体的には?」
「オルレアの殺害の有無は問わないが、メリエス姫は連れ帰ってもらう。そうでなければ示しがつかない。これは絶対条件だ」
「まあそれは当然でしょうね。……他には?」
「後はパーカーのことだ。捕縛は難しいかもしれんが……まあそれは、中尉がここに戻ってからだな。奴と最後に接触したのは中尉だ。何か有力な情報を得られれば、良しとしよう」
ウォーターマンからの条件は、それほど難しくはない。メリエスさえ捕縛できれば、あとは簡単だ。
この場では言わないが、キミヒコはパーカーの居場所を知っている。ホワイトが括り付けた糸は、まだパーカーに気付かれていない。
まったく、しょーがねーな。ま、オルレアを始末するついでだ。助けてやるか……。
当初、キミヒコはラミーを見捨てるつもりでいた。だが、ここまで条件が揃っているなら、助けてやるのも悪くはない。見捨てるのも寝覚めが悪いし、うまく事が運べばオルレアの殺害もできるかもしれない。
「それで、どうかね? この仕事、引き受けてくれるか否か」
「……お受けしましょう」
「感謝する。では、すぐに出立してくれ。脱走者二人のおおよその位置は掴んでいる。担当の者が案内する」
ウォーターマンの言葉に、キミヒコは黙って頷いた。
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