#17 邪悪なる群体
「ふふ……あははっ。失敗してやんのー。将軍から怒られたって、話題になってるよキミヒコさん」
「こ、こいつ……酒癖悪すぎだろ……。いい加減にしろよテメー」
ミルヒの軽口に、キミヒコは憤然としてそう返す。
キミヒコはいつもの酒場で、ミルヒと酒盛りをしていた。なお、ラミーはいない。次の作戦準備のため、忙しいようだった。
ミルヒはミルヒで仕事があるはずなのだが、こうして飲みに誘えば、必ず彼女は来た。そして毎回、酒を浴びるほど飲んでいく。これで仕事に支障がでないのか、キミヒコはいつも不思議だった。
「他人の不幸こそ、最高の酒の肴ってね。これキミヒコさんの受け売りだから。肴までご馳走してくれて、ありがとうございまーす」
「うわぁ……こいつ、ぶっ殺してぇ……」
ミルヒはケタケタと笑い続けている。
今でこそこの有様だが、ついさっきまでは、ミルヒはかつて自分を振ったウーデットへの恨み節を泣きながら続けていた。それが、先の作戦失敗に話題が変わると急にこうなった。
この女、本当に躁鬱激しいな。情緒不安定すぎるだろ……。
ミルヒの相変わらずの調子に、キミヒコは辟易としながらグラスを呷った。
元からこうだったのか、戦争で精神を病んでこうなったのか。戦争で病んだのは間違いないのだが、元から素質があったようにも見える。
面倒臭いことこの上ないのだが、それでいて実力はあるのがこのミルヒという女である。ホワイトの見立てでも、彼女はかなりの戦闘力を持っているらしい。加えて、明らかに問題のある経歴にもかかわらず、帝国軍で重用されていることからもその実力は窺えた。
彼女のその実力と猟兵隊という特殊な立ち位置は、顔をつなぐ理由に十分だった。
「そういう暗黒騎士様は、前の作戦の時どうしてたんだよ。騎士オルレアを五人がかりで袋叩きにしようとして、返り討ちにあったって聞いてるぞ」
「らしいね。私はその場にいなかったから関係ないけど、隊長が悔しがってたな……」
「リベンジに燃えてたりする?」
「いやー、もう戦いたくないってさ。これ、猟兵隊の総意ね。命令があればしょうがないけど、もうキミヒコさんに丸投げする気だね」
猟兵隊の動向に探りを入れるキミヒコだったが、獲物を横取りされる恐れはなさそうだった。結構なことだと、キミヒコは安堵する。
元からの仕事ではあるのだが、今では心情的にも騎士オルレアの抹殺にキミヒコは執念を燃やしていた。
「言われずとも殺ってやるよ。よくもホワイトの腕をやりやがって……。あの女、必ず死なす」
「そんなこと言って、結局殺るのは人形でしょー。……いや、次の作戦次第では、私がこの手で討ち取るかもね」
得意げなミルヒの言葉に、キミヒコは怪訝な顔をした。
次の作戦だと? 司令部の奴ら、もうやる気なのかよ。しかもこいつが張り切ってるってことは、航空隊を動かすのか……。
おそらく、ミルヒは次の作戦の概要を知っているのだろう。気にはなるが、その内容に探りは入れなかった。機密情報であるし、必要があればラミーから説明をしてくるだろう。
「……気を付けろよ。ミルヒの能力を侮るわけじゃないが、ホワイトを退けた相手だぞ」
結局、気になることはあるものの、キミヒコはそれだけ言うに留めた。
「え……もしかして、心配してくれてる? 心配してくれてるの?」
「社交辞令って言葉、知ってる? その構ってちゃんな性格、そろそろなんとかしろよ。少佐だろ? もう部下だっている身分なんだからさ……」
心配されていると大喜びのミルヒに、キミヒコは釘を刺した。
実際のところはそこそこ心配して言ったセリフだったのだが、彼女を調子に乗らせると碌なことにならない。
ミルヒは他人に気を使ってもらうのが大好きなのだ。この女の地雷臭は並ではない。
基本的にキミヒコは、商売女以外とはそういう関係になろうとしないが、特にミルヒには注意を払っていた。自意識過剰かもしれないが、万が一ミルヒとそんな関係になれば、破滅する未来しか想像できない。
キミヒコの言葉に、拗ねていじけた様子のミルヒをどうしてやろうかと考えていると、酒場の扉が開かれた。
入店してきたのはラミーだった。
「お、ラミーじゃん。仕事が一段落ついたのか、お疲れさん……っておい、どうしたその顔色」
ラミーの顔を見て、キミヒコはそう声をかけた。
キミヒコが心配するほどに、その顔色は悪い。血の気が引き、真っ青になっている。
「……キミヒコさん。将軍がお呼びです」
ラミーは掠れる声で、そう言った。
ミルヒはそんなラミーの顔色を見ると、その目をスッと細める。先程までの拗ねた雰囲気は鳴りを潜め、不穏な空気を身に纏っていた。
「その顔色、例の作戦をやるってわけね……。ふ、ふふふ……楽しみだなぁ」
笑うミルヒを、ラミーは戦慄したように見つめている。
雰囲気から察するに、どうも碌でもない作戦であるらしかった。
酔い覚ましに、コップ一杯の水を飲み干してから、キミヒコは席を立った。
◇
ラミーに連れられウォーターマン将軍の執務室に入ると、彼は葉巻をふかしてキミヒコを待っていた。
本題に入る前、キミヒコもまた同じ葉巻をもらい秘書官に火をつけてもらって、一服する。
いったい、どんな話だ? ラミー経由じゃなくて、将軍自らとはね……。
葉巻をふかしながら、そんなことを考えていると、ウォーターマンが口を開いた。
「この前の埋め合わせをしてもらいたい」
煙と共に、ウォーターマンの口から出たのはそんな言葉だった。
「願ってもないことです。返事は内容を聞いてからになりますが」
キミヒコの言葉に、ウォーターマンは黙って頷いてから、説明を始めた。
「ビルケナウ市に対して、航空隊による空襲を行なう。その後の市内の掃討戦に協力を願う」
「空襲? 飛行場の建設が遅れているのでは?」
「航空隊は従来どおり国境から出撃する」
ウォーターマンの説明は、キミヒコには不可解なものだった。
国境の飛行場からでは距離があるため、航空爆弾の搭載に制限がかかる。このため空爆に十分な威力を持たせることができない。そういう話をキミヒコは知っていた。
そもそも、従来の飛行場が使用可能であるなら、新規の飛行場など必要ないだろう。
「それでは満足な爆装ができないと聞いていますが」
「搭載する爆弾を焼夷弾にすれば、問題は解決する」
続くキミヒコの疑問の声に、ウォーターマンは短く答える。
焼夷弾という単語に虚をつかれ、キミヒコはしばし放心した。
焼夷弾ってもしかして、あれか? 第二次大戦で、東京とかドレスデンを焼け野原にした、あの焼夷弾……?
テレビの戦争ドキュメンタリーなどで、キミヒコは見たことがあった。焼夷弾とは、対象を燃焼させることを目的とした爆弾だ。中に入った燃料に引火することで、攻撃対象を火災させる。
この世界ではどういう理屈で効果を発揮するのかは不明だが、魔術やら魔石やらで同様の効果を持たせてあるのだろう。しかもどういうわけか、重量も軽いらしい。
「え……あの……ま、まさか、城壁や軍事施設ではなく、市街地を……?」
「察しがいいな。そうだ、ビルケナウ市は焼く。焼夷弾は通常の爆弾より軽いうえ、市街地での使用はより効果的だ。航続距離が延びてなお、十分な戦果が見込める」
淡々と述べるウォーターマンに、キミヒコは背筋が凍る思いだった。
ビルケナウ市はこの国で二番目の都市である。村を一つ二つ潰すのとは訳が違う。
「どの程度、やるおつもりなので……?」
キミヒコがそう問うと、秘書官に広げさせた地図を見せながら、ウォーターマンは丁寧に説明してくれた。
「――と、このくらいだろうな。とはいえ、この作戦は実験も兼ねている。アマルテアにおける軍事史上初の都市無差別爆撃だ。明確にどの程度の範囲にとは言えないな。だが、あの人形ならば燃え盛る都市の中でも問題なく活動できよう」
機密であるはずの詳細な作戦内容をキミヒコに明かすのは、火災に見舞われるであろう都市での活動要請だかららしい。
しかし、ウォーターマンのそんな気遣いよりも、キミヒコが気になるのはこの作戦の是非である。
こんなことをやってしまえば、都市丸ごとスラム街のようになってしまう。占領後のことを思えば、狂気の沙汰だ。
「しょ、正気ですか……? ビルケナウ市は小さい都市ではありませんよ!?」
「無論、正気だ。君の懸念も理解している。だが、この作戦は実行する。参謀本部からの承認もある」
「……この作戦の意図はいったい何なのです? これまでの侵攻は順調そのものでした。スケジュールに余裕はあるでしょう?」
「答える必要はない」
キミヒコが作戦意図を尋ねるも、ウォーターマンは答える気はないようだった。
時間をかけてもいいはずなのに、なぜだ? なにか、侵攻を急ぐ理由でもできたのか……?
帝国が抱える他の戦線で何か不都合でも起きたのか、あるいは無差別爆撃の実証実験をやりたいだけなのか。もしくは、これまであまりに順調すぎたがために、参謀本部からスケジュールを繰り上げられてしまったのか。
キミヒコはいろいろ考えてみるが、答えがわかるわけもない。
その後はホワイトにどんなことをさせたいのか、そのあたりの話を詰めていく。
「……承知しました。この仕事、お受けしましょう」
「ん……感謝する。戦後のことは期待してくれていい。私もできる限り、便宜を図ろう」
キミヒコとしては、この作戦に思うところがないわけではない。
だが、キミヒコは軍事行動の是非について意見できるような立場ではないし、ウォーターマンには先の失態で気を使ってもらった借りがある。
結局、引き受けることにした。
だがそれとは別に、キミヒコは確かめたいことがあった。
「時に将軍、極めて個人的なことをお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「言ってみたまえ。答えるかどうかは、質問を聞いてからになるが」
「ウォーターマン将軍は、私の自動人形の魔力をどう見ますか?」
キミヒコの質問の意図がわからなかったのだろう。ウォーターマンは怪訝な顔をした。
「忌憚ない意見で結構ですよ」
キミヒコが重ねて言うと、しばらくしてウォーターマンは口を開いた。
「正直に言えば、おぞましいな。……これでいいかね?」
「ええ、参考になりました。ありがとうございます」
口調こそ穏やかなまま礼を言うキミヒコだったが、心中では戦慄していた。
ウォーターマンはまともな人間だった。ホワイトの魔力を正しく恐れ、嫌悪する、正常な人間だ。人の心がわからない、サイコパスのような人種ではない。
そんな人間が、このような虐殺の命令を下すことができる。それがキミヒコには恐ろしく思えた。
これが、戦争の狂気ってやつか。この人も狂人とかってわけじゃない。普通の人だ。家庭とかでは、案外優しかったりするのかもな……。
なぜ、こんなことになるのか。キミヒコが柄にもなくそんなことを考えていると、唐突に閃くことがあった。
きっと、群れるから悪いのだ。
学校の教師やら、テレビのコメンテーターやら、新聞の社説やらが、偉そうによく言っていたことをキミヒコは思い返す。
一致団結の素晴らしさ。仲間と協力することの大切さ。一人がみんなのために、みんなが一人のために。
反吐が出る思想である。
人間は群れた時こそ邪悪になれる。高度に組織化された人類は、どこまでも残忍になれるのだ。この帝国軍のように。
たとえ、その組織を構成する個々人が善良であったとしてもだ。
戦争で虐殺をやったり、独裁国家が民族浄化をやったり、そこまで過激でなくとも学校でイジメがあったりなど。集団による悪意、それによる負の側面がキミヒコの脳裏に浮かんでは消えていく。
会社組織で、横領の罪を無実の社員に着せてしまう。そんなことも、あった。
胸の内から、黒く苦いものが湧いてくるのを感じながら、キミヒコは事務会話を済ませて退室した。
その間、キミヒコは心の内を決して表情には出さなかった。
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