#16 暗澹たる戦況

 ビルケナウ市の王国軍の庁舎の一室で、オルレアは王都からの増援の人員と会っていた。


「増援はありがたいが、王都はどういうつもりなのか……」


 増援に来た武官の着任挨拶を聞いたのち、オルレアがぼやく。


 帝国軍の攻撃を一時的に凌いだ王国軍だが、その犠牲は大きかった。迎撃に出た部隊はほぼ壊滅。騎士マイブリスも討たれ、騎士アンビエントは意識不明の状態が続いている。

 これで都市の防衛などできるはずもなく、増援を再三に渡り打診していたのだが、オルレアは期待していなかった。

 この状況でいくら援軍が来ようとも、これ以上帝国軍の攻勢を防ぐことは難しい。それゆえ、ビルケナウ市を捨て戦力を温存し、王都決戦に臨むことになるだろう。オルレアはそう考えていた。


 しかし、増援は来た。それも、中途半端な戦力でだ。当然騎士はいない。


 これでは戦力の逐次投入そのもので、完全なる悪手を打っていると言わざるを得ない。

 それでいてさらに奇妙なのは、増援に来た兵員の所属だ。


「王都防衛についている正規軍ではなく、なぜ近衛軍団が……」


 従騎士レナードが、オルレアの内心を代弁するかのように、そうこぼした。


 ビルケナウ市へと増援に来たのは、どういうわけか正規軍ではなく近衛軍団の人員だった。

 近衛軍団の仕事は、この国の王家であるドライス家の守護である。

 王都を離れて、帝国軍との戦線に加わるなど、本来であれば考えられることではない。


「オルレア卿の疑問も、もっともです。こちらに近衛長官からの書簡が。どうぞ」


 近衛兵の男がそう言って、手紙をオルレアへと手渡す。


 オルレアは封を切って、素早くそれに目を通した。

 近衛長官の直筆であろうそれは、悲痛なものだった。


 まず書かれていたのは、現状で王都での決戦は無謀であるということだ。


 王都は恭順派と抗戦派で揉めていて、政治指針がいまだに統一されておらず、全軍の動員すらまだ完了していない。

 現在、レオーネ王子を中心とした勢力が正規軍の後押しを受けて、王国の意思統一を図っている。

 正規軍はなんとかビルケナウ市へ戦力を送ろうとしているが、文官たちからの横槍でうまくいかない。それゆえ、ビルケナウ市のメリエス王女を護衛するという名目で、近衛軍団から人員を派遣。正規軍の了承を得て、空騎兵も無理やり近衛軍団に組み込んで増援に入れてある。

 厳しい戦局は重々承知だが、これでどうにか時間稼ぎをしてほしい。


 手紙の中身は、要約すればこのような内容だった。


 あんまりにもあんまりな内容に、オルレアはこの場で頭を抱えたくなった。


「本当に頭が痛くなるな。近衛長官も無理をしたようだが……正規軍は動けないのか?」


 こめかみを指で押さえながら、オルレアが尋ねる。


「その……言いにくいのですが、まともに動けないようです。何か一つ行動するために、社交界で入念な根回しをしたうえでようやくできるかどうか、という有様でして……」


「こ、この未曾有の国難に、そんな馬鹿な……。王都の連中はふざけてるのか……!?」


 申し訳なさそうに言う近衛の男に、たまらずレナードが声を荒げる。

 そのまま怒鳴り散らしそうな勢いの従騎士を手で制して、オルレアはさらに質問を重ねた。


「レオーネ殿下が動いているようだが、具体的にどうするつもりなのだ?」


 レオーネはこのヴィアゴル王国の王太子だ。

 現国王アルブレヒトの政治力に期待できない以上、彼に期待をかける正規軍の思いはオルレアにも理解できる。

 とはいえ、軍の後押しで国家の意思統一を図るとは不穏な響きである。よもや、クーデターでもやる気なのか。


「詳細なことは自分には……。ただ、近衛長官と王都に残る騎士二名は、明確に殿下を支持しています」


 近衛兵の言葉に、オルレアは押し黙った。


 本来、最も政治的中立を守らなければならない近衛長官までもが、旗色を鮮明にしている。それだけでも、王都の混迷とした政治模様を察することができた。


「……殿下は、この戦争の落とし所をどう考えている? このままでは無条件降伏しかない。条件付きでの降伏など、夢のまた夢だ」


「そのようなこと、私では推察することすら恐れ多いことです」


 オルレアの問いを、近衛兵の男はそう言って返事を濁した。

 ただ、と前置きして彼は話を続ける。


「なにか、この状況を覆せるような、そんな考えがあるのは確かのようです」


「……どんな考えだ。軍事的解決などもう不可能だぞ。政治決着の余地があるようにも思えん。まさか、夜空の星々に奇跡を願うわけでもあるまい?」


 大昔の伝説、侵略者を壊滅させた隕石の奇跡にでもすがっているのか。オルレアはレオーネの考えとやらを、そう邪推した。


 もしそうであるのなら、いよいよこの国もおしまいである。自分は最後まで付き合うとしても、メリエスだけはどうにか国外に逃してやらなければならない。

 オルレアがそんな算段をしていると、部屋の扉をノックする音が響いた。


「入れ」


「失礼致します」


 入室してきたのは、オルレアの従騎士の片割れであるレイだった。

 その顔色は、どこか明るい。珍しくも吉報を持ってきたらしい。


「閣下、アンビエント卿が意識を取り戻しました。急ぎ会いに来てほしいと、アンビエント卿から言い付かっております」


 レイが持ってきた話は本当に朗報だった。


 このところ気の滅入る話しか聞いていなかったオルレアは、心が弾むのを感じた。

 しかし、レイはそんなオルレアの下へやってきて、小声でさらに報告を入れる。


「今でこそ意識がはっきりしていますが、卿が言うには一時的なものだそうです。お急ぎください」


「……わかった、すぐに行く。レナード、あとのことは頼む」


 友人の復調に喜ぶのも束の間、再び厳しい面持ちになったオルレアは足早に部屋を出ていった。



 オルレアがアンビエントの病室を訪れると、彼女はベッドから上半身を起こして、窓の外を見つめていた。特徴的な青い髪が、吹き込む風でそよいでいる。


「ああ、来てくれたんだね、オルレア卿……」


 来訪者に気が付いたアンビエントが、微笑を浮かべてそう言った。


「目が覚めたんだな、アンビエント卿。また、こうして卿と言葉を交わすことができて嬉しいよ」


「目が覚めたのは、ついさっき……いや、元から目は覚めていたよ。意識が曖昧だっただけで……。マイブリス卿は?」


 アンビエントの問いに、オルレアは黙って首を横に振った。

 それを見たアンビエントは顔を伏せ、懺悔するように声を震わせる。


「そうか。彼も逝ってしまった、か……。ごめん……こんな時なのに、私は、もう……」


 その先の言葉は、彼女が口に出さずともオルレアにわかった。

 彼女はもう、戦えない。


「私は見た……見えちゃったんだよ……。あの人形の、あんな、あんな……」


 青い顔をしながら、己の身を抱きすくめて、アンビエントがつぶやくように言う。


「すまない。卿がそうまでして作ってくれたチャンスを、私はものにできなかった。あの時、私の心があの人形の意志に負けてしまったんだ……」


 今度はオルレアが、懺悔するかのようにそう言った。


 あの人形の精神世界で、己の心と人形の心に触れたがために、オルレアはここ一番で剣を迷わせてしまった。


 そのオルレアの言葉に、アンビエントは驚愕したように目を見開く。


「人形の……意志……?」


「ああ……。恋慕か愛情か……そういう強烈な情念を、あの人形は――」


「あ、愛情……? 愛だって!? あ、あんなモノが、この世に存在していいはずがない! あれは悪魔だ! 人間じゃない! 人間らしい心なんてありはしないんだッ!!」


 オルレアの人形に対する所感を遮って、アンビエントは絶叫した。

 愛という単語に、とてつもない忌避感があるようだ。


 ……どういうことだ? 私とアンビエント卿では、見えたものが違うのか……?


 訝しむオルレアをよそに、しばらく金切り声を上げ続けていたアンビエントだったが、唐突に我に返ったらしい。口元を押さえて声を殺し、深呼吸をして息を落ち着けた。


「ご、ごめん……ごめんね……。私は今、自分の精神に魔術をかけて、会話ができるくらいに見せかけている状態なんだ。術が切れれば、もう……」


 アンビエントは目元に涙を浮かべながら、しぼり出すようにそう言った。


 従騎士からアンビエントの回復は一時的なものだと聞いていたが、それでもオルレアには応えた。狂気に飲まれ寝たきりとなる友人の姿は、心にくるものがある。


「……術をかけ直すことは?」


「自信がない……。精神状態に波があって、上振れた時に、成功しただけなんだ。マグレだよ……」


 とつとつと語るアンビエントに、オルレアはどう声をかけていいかわからなかった。


 彼女の精神が復調するかどうかは、もう誰にもわからない。

 もしかしたら、この会話の機会を最後に、永遠に彼女の意識は戻らない可能性もある。


「役に立てなくて、ごめんね……。帝国軍にも、あの人形にも、私は……」


「何を言う。卿のおかげで、ビルケナウ市は救われたんだぞ」


 オルレアが慰めるようにそう言った。


 あの夜、アンビエントは部隊の他のメンバーを囮とし、さらに幻術を駆使することで、攻性魔法陣の中枢までたどり着いた。そうして、魔法陣の照準管制を行なっている兵に、精神魔術をかけることに成功。

 相手は魔力の精密操作に集中していたため、接近すれば容易に術にかけることができた。


 結果、ビルケナウ市へ向けられた照準を狂わすことで、攻性魔法陣の照射を無為なものとした。


「それに、人形のことは案ずるな。戦って、奴のことは多少なりとも理解できた。次に会ったなら――」


「戦ってはダメだ、オルレア卿……」


 オルレアの決意の言葉を、アンビエントは遮った。


「あの人形の弱点……魔核晶の位置は、奴の記憶から探ってみたんだ……」


「……見つからなかったのか?」


「あの人形の魔核晶は、現実には存在しない。いや、正確には存在しているけど、私たちの認識できる次元では観測できない。時空のズレた場所に、あの人形の本体、魔核晶はある」


 話の要領を掴めずに、オルレアが怪訝な顔をしていると、アンビエントはさらに話を続けた。


「私の師匠は教会の聖職者でね、よくこんな話をしてくれたんだ。この世界は嘘でできた幻影で、真の世界は別の次元に存在するんだって」


「それが、どうしてあの人形の魔核晶の話に繋がる」


 アンビエントの語る内容は、オルレアにはまったく理解が及ばない。


 嘘の世界に真の世界……。いったい、何を言っているんだ……?


 そんなオルレアの心中を察したのか、アンビエントは苦笑した。


「まあ、そんな顔になるよね。私も師匠からこの話を聞いたとき、そんな感じだった。でも、今ならわかる。師匠の話は本当だ。真実の世界か嘘の世界かはわからないけど、確かに別次元の世界は存在していて、あの人形の本体は、その狭間に位置しているんだ」


「……我々の干渉できない別次元にあの人形の本体はあって、身体にいくら攻撃を加えても無意味ということか」


 オルレアの言葉に、アンビエントは頷いた。


「あの人形の膨大な魔力もそれに起因してる。異なる次元のエネルギー差を取り出すようにして、あの魔力は生成されているんだ。次元連結機構による魔力生成……正直、無尽蔵と言ってもいいかもしれない」


 あの人形の恐ろしさを思い返したのだろう。顔を青くしながら、アンビエントは言葉を続ける。


「自己修復が可能で、たとえ身体が粉々になっても再生できる。時空のズレで、存在座標を掴めないせいで封印や結界も無効。そのうえ、魔力は無尽蔵。無理なんだよ、絶対に敵わない。……戦ってはダメだ、オルレア卿」


 そう言ってアンビエントは体を震わせた。

 彼女の結論としては、あの人形は絶対無敵の存在であるらしい。


「だがあの夜、奴を退けることはできた」


「……撤退したのは、おそらく人形じゃなくて、人形遣いの都合だよ。損傷を負わないように、言い含められていたらしい。理由はわからないけど……」


 あの晩、人形はオルレアに腕を破壊されて撤退した。だがそれは、人形遣いの指示によるものだったらしい。人形は片腕でも戦闘行動は継続可能だったろう。


 そして、人形の腕を破壊できたのも、アンビエントという卓越した精神魔術の使い手がいたからだ。その彼女でさえ、人形の動きを少しの間止めることで精一杯のうえ、その代償として精神を狂気に蝕まれることとなった。


「なにか、奴を倒す方法は?」


 だが、オルレアは諦めが悪かった。


 問われたアンビエントは、しばしの黙考の後、口を開く。


「空間に干渉する魔術で、あの人形の魔核晶をこの世界に引きずり出せれば、あるいは……。でもそんな魔術の使い手なんて……」


 空間に干渉する魔術。オルレアには聞いたことのない魔術だ。

 当然そんな魔術師に心当たりなどない。少なくとも王国軍の人材にはいないだろう。


「言語教会の枢機卿の一人が、空間を操ると聞いたことがある。あとはもう、おとぎ話に出てくる魔法使いとか、それくらい……」


 アンビエントが震える声でそう言った。


 王国どころかアマルテア全土、それどころか大陸全てを見渡しても、空間に干渉できるような魔術師はいるかいないかといったレベルの存在であるようだ。

 唯一、居所のわかる言語教会枢機卿は、本拠地であるカリストのゲドラフ市にいるはずである。距離的にも地位的にも、とても協力を要請できる存在ではない。


「そうか。……そう、か」


 オルレアの空虚な呟きが、病室で静かに響いた。

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