#14 脳と人形とクオリア
「強い……。剣聖の称号は伊達ではないな」
騎士オルレアと対峙する、暗黒騎士の一人がつぶやく。
暗黒騎士五人と騎士オルレアとの戦闘は激しいものだった。戦いが始まった当初は森林地帯だった場所は、今はただの荒地と化している。
騎士オルレアの振るう大剣は大地を割り、曲剣は木々を切り裂いた。今現在も二振の刃による攻撃が次々に繰り出されている。
暗黒騎士たちもやられっぱなしではない。人数差を活かしての挟撃やフェイントを織り交ぜての背面攻撃など、チームプレイを駆使して果敢に攻め立てる。現在のところ、脱落は一人もいない。
だが、暗黒騎士たちは数で圧倒しているにもかかわらず、攻めきれないでいた。それどころか、騎士アンビエントが駆使する幻術により、オルレア以外の人間を全て見逃し、追撃すら叶わない。
「……隊長」
「わかっている。……退くぞ」
隊長格と思わしき暗黒騎士が、撤退を決める。
「逃げるのか? 五人がかりで私一人、討てないとはな。かの女帝が、天の上で泣いているぞ?」
帝国軍における絶対神、初代皇帝ゲルトルードを引き合いに出して、オルレアは挑発する。だが暗黒騎士たちはそれに応えることはなく、夜の闇へと消えていった。
オルレアはそれを黙って見送り、その場を動かない。なぜ彼らが撤退を決めたのかを、理解していたからだ。
いつか見た魔力の糸。おぞましいそれが、荒れ果てたこの戦場で蠢いている。
オルレアはゆっくりと息を吐き出し、神経を研ぎ澄ませる。
伏し目になり、待つこと数秒。それは飛来した。
闇の中、風を裂きながら飛んできた両刃剣を、オルレアは大剣で打ち払う。莫大な魔力が込められた双方の刃がぶつかり、鈍い重低音が響き渡った。
両刃剣はその刀身に絡みついた魔力の糸をはためかせながら、クルクルと回転しながら明後日の方向へと飛んでいく。
その様子を目の端で捉えながら、オルレアは曲剣をその反対方向へと振るう。斬撃は光波と化して、辺りを蠢く魔力糸を切り裂きながら、騎士の下へと突撃してくる人形へと迫った。
人形はそれに対して、斬撃が当たるであろう部位、左肩の関節を分離して回避。左腕を外したまま、オルレアの下へとそのまま突っ込んでくる。
アンビエント卿と共同で当たる計画だったが、致し方あるまい。まったく、戦いとは予定通りにはいかないものだな……。
人形が放ってきた飛び蹴りを大剣で受け止めながら、オルレアはそんなことを思う。
オルレアが大剣で攻撃を受けた隙に、人形は分離した左腕で両刃剣を回収。大剣の刀身を蹴り飛ばすようにしてオルレアから距離をとりつつ、人形は両刃剣を手にした状態の左腕を装着した。
「その装い……すでに一戦交えた後か。わざわざここまで駆けてくるとは、よほどこの首が欲しいと見える」
オルレアの言葉どおり、人形の体には戦闘の痕跡が見てとれた。
その顔は汚れひとつない綺麗なものだが、首から下には赤黒い染みがそこかしこについている。先行したアンビエントの部隊か、あるいはマイブリス率いる陽動部隊との戦闘によるものか。
いずれにせよ、この場で考えても致し方のないことだ。もはや、やりあうしかない状況である。
人形はオルレアの言葉など無視して、両刃剣を構え魔力を集中させる。
「……その剣は、我が
殺意を滲ませながら、オルレアが言う。
常人であれば身がすくみ、動けなくなるであろう殺意を向けられても、人形の様子にまったく変わりはない。
その手の両刃剣に魔力糸を巻き付かせることで強化を施し、斬りかかってくる。
その後は、互いの剣戟が乱舞した。
人形の両刃剣が振るわれるたび、刀身から魔力の糸がひき、たなびく。オルレアの二振りの剣も、斬撃ののちに魔力の光跡が煌めいた。
双方激しい応酬が交わされるが、互いに決定打は得られない。
焦れてくるな……。だが、今しばらくはこのまま続けるしかない。
オルレアは心中で自分にそう言い聞かせながら、耐える。
技巧も何もない、力任せの人形の攻撃を捌き続けながら、攻撃に転じることなく待っていた。
眼前の、悪魔の人形を打ち倒すための方策。事前に考案していたその方法には、オルレアだけでは不足だった。ともに作戦を練った、アンビエントが必要だ。
アンビエントはオルレアをこの場に残し、敵の本陣へ向かっている。帝国軍の攻性魔法陣の無力化こそが、この戦いの目的である。
彼女がすでに討たれた可能性は考えない。その可能性を考慮した場合、ビルケナウ市防衛の余地はなくなり、ここでオルレアが戦闘を継続する意味はなくなる。だが、撤退しようにもこの人形はオルレアを逃すことはないだろう。この場に駆けつけた際に見せた人形の脚力は、まさしく人外のそれであった。
だからオルレアは待った。アンビエントがこの場まで戻ってきてくれることを。彼女が今現在も健在であり、任務を果たしてくれることに賭けたのだ。
そして、その時はきた。
「閣下!!」
オルレアに向けて張り上げられた声は、彼女の従騎士レナードのものだ。
現在オルレアは、人形の両刃剣を二つの剣を交差するようにして受け止めている真っ最中である。
人形との鍔迫り合いを続けながら横目でそちらを見れば、待ち人であるアンビエントとオルレアの従騎士、レイとレナードがいた。
従騎士二人の装備はズタボロだ。同行していたはずの、他の面々はいない。そして遠くに見えるぼんやりとした光から、攻性魔法陣は健在であることが窺えた。
これらの状況を見て取れば、作戦は失敗し、敗走したようにも見える。
だが、オルレアの考えは違った。
「……やり遂げたか」
オルレアの呟きに、ニッコリと笑みを浮かべることでアンビエントは答える。
「待たせたね、オルレア卿。さあ、手筈通りに始めようか」
頼もしい言葉に、オルレアは笑みを携えながら目の前の人形を見据える。
人形は増援の三人のことなど、気にも留めていない。ただ、力任せに鍔迫り合いを制そうと剣を押し込み続けようとしている。
オルレアは二振の剣でそれを押さえつつ、従騎士二人に目配せする。それを受け、レイとレナードは人形の背後へと迫った。その手には分銅鎖が握られている。それは魔術の触媒にもなる特注品で、アンビエントの魔術の受信機となるものだ。
そんな従騎士二人の接近を、さすがの人形も無視はできなかったらしい。鍔迫り合いから身を引こうとするが、その隙をオルレアは見逃さない。
即座に曲剣を捨てて大剣の両手持ちに切り替え、踏み込む。そして身を引こうとした人形に向けて、下段から斬り上げた。
人形は両刃剣でそれを受けるも、衝撃を殺しきれずに体勢が崩れる。
「今だ! やれッ!!」
オルレアの掛け声に合わせ、従騎士二人が分銅鎖を投げつける。体勢を崩していた人形は避けられずに、その身に鎖が絡みついた。
ただの鎖でないことを察したのか、即座にそれを振り払おうとする人形へ向け、オルレアは大剣を打ち付ける。人形は両刃剣でそれを受け、再び鍔迫り合いの格好となる。
そして、その状態でアンビエントが魔術を発動させた。鎖がアンビエントの術を受信して、淡く煌めく。
アンビエントの術には即効性はない。だがオルレアが渾身の力で押さえ込んでいるうちに、徐々にではあるが、効果を発揮し始めたようだ。人形の力が弱まり、その身がガクガクと震え出した。
効いてるな。このまま魔術に嵌めて、動けなくしたところを、仕留める……!
うまくことが進んでいるかのような状況に、オルレアがそんなことを考える。そうしているうちに、それは起きた。
空気を切り裂くような絶叫が、唐突にオルレアの鼓膜を震わせた。
怪鳥を思わせるような、人間離れしたそんな叫び。そしてその絶叫の主は、人形ではなかった。
「アンビエント卿……!?」
オルレアの声が動揺で震える。
叫んでいるのは、術をかけたはずのアンビエントだった。
地に倒れ伏し、白目を剥きながら手足をガクガクと震わせ、奇声を上げ続けている。
対する人形も、万全の状態ではないようだった。体の動きに精細さが失われ、魔力の糸は死にかけのミミズや芋虫のように、そこら中をのたうち回っている。
そしてその魔力の糸に、先程のアンビエントの魔術の煌めきが混じっているのがオルレアの目に映った。
術が暴走した……いや、糸を介在して跳ね返したのか? このままだと巻き込まれる……!
オルレアは精神魔術に巻き込まれるのを避けるため、その場を飛び退いた。そしてそのまま、人形から庇うようにして、アンビエントの前へと立つ。
アンビエントの目は虚で、口からは声にならない声が漏れ出ている。
「アッアッアッ……アッ……アッ……アッアッ」
「精神防壁にやられたのか!? レイ、レナード! 彼女を連れて後退しろ!」
オルレアは人形を見据えながら、従騎士たちに指示を飛ばす。
それを受け、従騎士たちがアンビエントを担ごうとしている最中、オルレアにそれは聞こえた。
「スキスキスキスキキミヒコアッ……スキスキスキスキキミヒコスキ……アッアッ……スキスキスキスキキミヒコスキスキスキスキスキキミヒコスキ……アイ、ア、アイシ……」
アンビエントの声だ。その声色は、もはや完全に狂気に飲まれている。
彼女が正気に戻ることはできるのか。
気になることではあるが、今はそれについて心配できるような状況ではない。
人形は尋常ではない様子で、その身と魔力糸を震わせている。そして、その魔力糸にはアンビエントの魔力がまだ混じっているのがオルレアにはわかった。
人形には、アンビエントがかけた術がまだ効いている。だがその精神魔術は完全に暴走しているようだ。あの糸に自身の魔力が触れてしまえば、オルレアも精神干渉を受けてしまう可能性がある。
危険は危険だ。が、アンビエント卿が作ってくれた好機……無駄にはできないか。
オルレアは覚悟を決めた。
遠距離攻撃では仕留める自信はない。なら、精神魔術に巻き込まれるリスクを負ってでも剣の間合いまで近づいて、必殺の一撃を叩き込むしかない。
オルレアは人形へと一歩、二歩と慎重に近づいていく。狂ったようにうねる魔力糸を剣で払いながら、どうにか剣の間合いまで到達する。
必殺の一撃を見舞ってやろうとして、剣を上段に構えた瞬間、糸がオルレアに絡みついた。
◇
『お前のそういうところ、好きだよ』
必殺の一撃を繰り出そうとしたまま、固まっているオルレアにそんな声が聞こえる。
『気分の問題だよ、気分の。傷がなくなるまで、それを巻いておけ』
体を動かそうとしても、動かない。時間が止まってしまったような感覚に陥っているオルレアの耳に、続けて声が響く。
『ま、いいよ。お前も、俺の全部を許してくれるんだろ? これからも仲良くやってこうぜ。二人で、さ』
誰の声だろうか。若い男の声だ。
静止した空間の中で、オルレアが疑問に思うが、わからない。少なくとも、オルレアの知らない人間の声のようだった。
『なあ、またあれを歌ってくれ……。卒業式って感じでさ、嫌なことから解放されるような、そんな気がする曲なんだよ。ま、実際は解放なんぞされずに、次のステップに移るだけなんだけどさ。次へ次へと移り続けて、行き着く先は……』
男のそんな声を皮切りに、静止した世界の景色が変わっていく。
―― Lu lu lu lu ……Lu lu lu lu ……
今度は歌声が響いてくる。その声に、オルレアは聞き覚えがあった。
この歌声……あの、人形なのか……?
あのおぞましい魔力からは想像もつかないような、清廉な歌声。歌詞の意味はわからない。神聖言語ではない、異言語のようだ。
―― La la la la la……La la la la la la ……
オルレアが人形の歌声に驚嘆していると、不意に自分の体が動くようになっていることに気が付く。
場所も妙だ。どこか知らない、酒場のような場所にオルレアはいるらしい。開け放たれた窓からは風が吹き込み、カーテンを揺らしている。窓の外は明るい。どうやら昼下がりのようだった。
―― Lan la la lan la la ……Lan la la lan la la ……
呆然と佇むオルレアの耳に入る人形の歌声は、どこか心地よく、そして寂しげだった。
明るい日差しと暖かい風。それらに包まれぼんやりとしているオルレアだったが、彼女を取り巻く光景がまた移り変わっていく。
『いや、仕方ないさ。お家のためなら、跡継ぎが必要だ。私のような女ではな……』
今度は別の声が、オルレアに聞こえた。
誰の声かはわかる。オルレア自身の声だった。そしてそのセリフは、かつて自身が口にしたものだ。
そしてこの場所にも覚えがある。苦くてつらい、思い出の場所だ。
『私ではあなたの子供を産むことができない。だから、仕方ない。仕方ないんだ……』
聞きたくない。オルレアはそう思って両手で耳を塞ごうとする。
だが、声は塞いだ両手をすり抜けて耳の中へするりと入りこんでくる。
『もう、言わないで。今までありがとう。あなたと一緒で、嬉しかった。……さようなら』
自身のかつての言葉を聞いて、オルレアの胸に後悔の念が満ちる。
なぜ、あんな言葉を言ってしまったのか。仕方ないなんて言葉は嘘で、ただの強がりだ。本当は引き止めてほしかった。子供なんていらないと言ってほしかった。
『……レア、オルレアってば!』
うなだれて、下を向いていたオルレアを呼ぶ声がする。
声のする方を見れば、今は亡き、かつての友がいた。
『ねえ、身勝手なお願いだとはわかってる。でも、私はもう長くない。だから……オルレア、お願いよ。この子を、メリエスを……』
赤子を抱きながら、彼女はそんなことを言う。
悲壮な顔でオルレアを見つめながら、慈愛に満ちた所作で赤子をあやしながら、嘆願する。
彼女はこの後すぐに死ぬ。オルレアはそれを知っていた。
絶対的庇護者たる母を亡くし、その母の実家は没落し、赤子に政治的後ろ盾はなくなる。そんな状態で、悪意渦巻く王宮の中で育っていく。
悲惨な物語だ。
だが今この瞬間。汚れを知らない赤子と、我が子に純粋な愛を注ぐ母親。その姿はこの上なく美しい。
オルレアはそう思った。そしてその美しい光景に、自身のコンプレックスが刺激されるのを感じていた。
「ウラヤマシイノ……?」
背後から、声がした。
弾かれたようにして振り向けば、そこには少女が立っている。その足元には、死体が転がっていた。その顔にオルレアは見覚えがある。騎士クラインの従騎士、レミルの成れの果てだ。
「ネエ、ウラヤマシイノ? ネエ、ネエ……」
白い髪に白磁のような肌、そして金色の瞳。そんな少女が、オルレアに問いかけてくる。
人形ではない。
なぜなら、少女のその表情には溢れんばかりの情念が感じられたからだ。オルレアにも理解できる、深くて
言葉もなく少女と目を合わせ続けるうちに、世界が移り変わっていく。
闇夜の戦場。激戦の果てに、荒れ地となったこの場所で、オルレアは剣を掲げて立っていた。
カチリと何かがはまり込むような音がして、精神世界と現実世界の時間が同期する。それが、オルレアには理解できた。
◇
「お、お前は……お前はッ!!」
ガタガタと震える人形を前に、オルレアはそんな声をあげる。その声は震え、心中の動揺があらわとなっている。
そして、一瞬の逡巡の後に、両手で握った大剣を振り下ろした。
その一撃を、人形はギリギリのところで回避。しかし、直撃はしなかったものの、刃は人形の左腕を捉え、破砕した。
人形はその場で糸を展開し、破砕した腕を回収して、跳躍。夜の闇へと消えていった。
「逃げられた……いや、助かったのは私の方か……」
その場で突っ伏して、荒い息を吐きながら、オルレアは独りごちる。
せっかくの好機を無駄にしてしまった後悔が、胸中で渦巻く。だが、オルレアの思考を占めるのは人形を仕留め損なった後悔ではなく、先程の精神世界での出来事だった。
あの問いかけは、なんだったんだ……? 羨ましいかというのは、私の心のことか? 私が、赤子を、母親を羨ましいと……。それとも、あの人形自身がそう思っていたのか……。
あの人形も、我が子を望むことなどできない。人形なのだから当然だ。女性としての機能を有していないのだから。
自身と同じ境遇。人形への同情とも共感ともつかない念に囚われていたことに、オルレアはいまさら気が付いた。
そしてそれゆえに、最後の斬撃を人形に直撃させることができなかった、自らの未熟さを恥じた。
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