#1 赤髪の暗黒騎士

 シュバーデン帝国とヴィアゴル王国の国境。その帝国側に位置する小高い丘の上に、帝国軍の陣地が形成されていた。


 緩やかな斜面に沿って整備された滑走路を、飛竜たちが翼を広げて駆け降りていく。そうして助走をつけることで、十分な揚力を得て、飛び立っていった。

 管制兵の旗振り信号に合わせ、規則正しくも続々と空に舞い上がっていく竜騎兵たち。彼らは上空で編隊を形成しつつあった。


 そんな空の下、悠然と歩く人影が二つ。


 帝国兵の装いではない。左目を眼帯で覆った黒髪の男と、白い装いの小柄な少女の二人組。

 帝国軍に雇われた傭兵、人形遣いのキミヒコとその使役魔獣であるホワイトだ。


 航空隊の第一陣の出撃のため、慌ただしく動き回る帝国兵たちを横目に、キミヒコたちはのんびりと散策を続ける。周囲の帝国兵たちはそれを気にした様子はない。


 ――第一陣の空中集合は順調です。すでに編隊は固定されつつあります。


 ――第二陣、爆装完了しました。いつでも出撃可能です。


 ――侵攻中の陸上部隊より符牒が入りました。『本日天気晴天ナレドモ風強シ』です。


 キミヒコの耳に、そんな声が響く。抑揚のない、いかにも軍隊といった風情の事務会話だ。

 気の無いようなふりをしながら、キミヒコはホワイトに命じて、周囲の帝国兵の会話を拾わせていた。ホワイトの魔力糸による盗聴である。


「妙な軍隊だな……」


「妙ですか? 非常に合理的な組織体制に思えますが」


 不意につぶやかれた主人の言葉に、人形はそう反応した。


「合理的すぎるんだよ。佐官とか尉官とかの士官階級とか、戦争全体を統括する参謀本部とか、あとは兵科もきっちり細分化されてる。組織構造が俺の故郷の軍隊に近い。というか、近すぎる」


 キミヒコはそう返事をする。


 キミヒコから見て、帝国軍は他の国の軍隊と比較して、組織体系が異様に近代化されているように感じられた。他国の軍隊にも雇われたことがあるのだが、階級や編成は帝国軍に比べ曖昧なものだった。


「真世界の軍隊ですか。ということは、言語教会が――」


「それは口に出すな。言うことはわかるがな」


 言語教会について言及しようとしたホワイトに、キミヒコは釘をさした。


 この大陸において、キミヒコの元いた世界、真世界の情報を最も有しているのが言語教会だ。裏で真世界について研究している教会が、帝国軍に関与しているというのはありそうな話である。

 シュバーデン帝国という国家を丸ごと使った、一種の社会実験なのかもしれない。


 もしそうだとするのなら、この軍隊の違和感に首を突っ込むのは賢明ではない。教会は、表向きのとおりの善良な組織ではないからだ。


「貴方。お目当ての人物はあそこですよ」


 帝国軍と教会について思いを巡らせていたキミヒコの耳に、ホワイトのそんな言葉が入る。

 ホワイトの指差す方へと視線を向ければ、黒一色のプレートメイルを纏った人物が滑走路へ顔を向けて佇んでいた。兜に覆われたその顔を見ることはできないが、特徴的な赤髪が兜と鎧の隙間から覗いている。


 キミヒコたちが歩み寄っていくと、向こうもこちらに気がついたらしい。兜を取って、その顔を晒してみせた。


「久しいですね、ハインケル卿。……いや、今はなんとお呼びすればいいですかね?」


 朗らかに、キミヒコが声をかける。


 兜を外したその女性は、キミヒコの顔見知りだった。かつて傭兵として活動した際、雇われていた国に所属していた騎士ハインケルだ。

 真紅の髪は以前よりも伸ばされ、背も少し高くなった。そして、以前の快活な雰囲気は鳴りを潜め、どことなく陰りを帯びた空気を纏っている。


「久しぶりだね、キミヒコさん。……私のことは、ミルヒでいいよ。騎士ハインケルの位は、祖国に置いてきた」


「では、ミルヒ卿と呼ばせてもらいます」


「いやいや、卿はいらないよ。ミルヒって本名だから。もう騎士じゃないんだ」


 もう騎士じゃない。彼女のその言葉には、どこか暗い、変な力が込められていた。

 怪訝な顔をしているキミヒコを見て、ミルヒは補足の説明のため口を開く。


「帝国軍って特殊でさ、騎士っていう括りはないんだよね。今は猟兵隊の一員をやってるよ」


「猟兵隊、ですか。帝国軍の猟兵は、暗黒騎士とも呼ばれていると聞いてますが。実質、帝国の騎士のようなものでしょう?」


「ああ、暗黒騎士ね。それはまあ、俗称だよ。カッコつけて、自分でそう名乗ってるのもいるけどね」


 帝国軍における騎士級戦力は、猟兵と呼称される兵種となっている。

 黒一色に統一された装備から、彼らは暗黒騎士とも呼ばれ、畏怖されていた。


「武装には魔核晶が入ってるけど、個々人専用にチューンはされてない。陪臣とか私兵とかは指揮系統の混乱を招くってことで、従騎士もいない。閣下とか卿を付けて呼ばれることもない。だから、キミヒコさんも、そんなにかしこまることはないんだよ?」


 ミルヒは自身を卑下するかのように、そう言った。


 なにかあったな、これは……。


 彼女の様子を見て、キミヒコはそう察した。


 ミルヒが騎士ハインケルの位を捨てて、帝国軍にいるのはさほど不思議ではない。キミヒコも参加したあの内戦で、彼女の所属陣営は敗北した。立場が苦しくなって、国を捨てたとしてもおかしなことではないだろう。

 だが彼女の態度は、それだけではないようにキミヒコには思えた。


 騎士でなくなった自分を卑下しているというより、騎士として扱ってほしくないような、そんな雰囲気が感じられる。


「そうですか。……いや、そういうことなら、気安くさせてもらおうかな」


「うん、それでいいよ。前の時は一緒に戦う機会がなかったけど、今度こそよろしくね」


 キミヒコはとりあえず、相手の調子に合わせることにした。

 騎士扱いをやめて、口調もフランクにして、握手を交わす。


 キミヒコの手を握り返すミルヒの掌は小さく、彼女の体躯が変わらず華奢であることを手甲越しに感じさせた。


「人形遣いが雇われたとは聞いていたけど、こうして挨拶に来てくれるとは思わなかった。相変わらず、律儀だね」


「そりゃあ、命の恩人だからな。あの時は助かったよ」


「命の恩人? ……大げさだよ。私はただ、ウーデットに頼まれただけだから……」


 ミルヒの声のトーンに、変化はない。だが、彼女がウーデットの名前を出した際、なにかが濁るような感覚をキミヒコは覚えた。

 視線か表情か、それとも彼女の魔力なのか。とにかく、なにかがドロドロとしている気がする。


 ウーデット卿となにかトラブったのか……? かなり、慕っていたような気がしたが……。


 騎士ウーデットはミルヒと同様、キミヒコがかつて参加した戦争で付き合いのあった男だ。その際にはいろいろと便宜を図ってもらったこともあり、ウーデットにはそれなりに恩があるとキミヒコは思っていた。それゆえ、彼の近況も尋ねたいところだったが、やめることにする。

 勘に近いもので確証はないが、ミルヒに彼のことを聞くのは避けたほうがいいように思えた。


「そういえば、その目、どうしたの?」


 唐突にそんなことをミルヒが尋ねてくる。彼女としても、話題を変えたかったのかもしれない。


 かつて、ミルヒと会った時点では、キミヒコの目は両方とも健在だった。今は左目を失明し、眼帯に覆われている。

 なぜこうなったのか、彼女の疑問はもっともなことではある。


 さてなんと答えたものかと、キミヒコは瞬時に言い訳を考え、口にした。


「ああこれ? 魔獣狩りの仕事でちょっとばかり、不覚をとってね。名誉の負傷みたいな感じかな」


「えぇ……それ本当? キミヒコさん、絶対に危ないところには近づかないでしょ。魔獣狩りなんてその人形にやらせるだけで、同行なんてしないんじゃないの?」


 キミヒコの説明に、ミルヒは懐疑的らしい。

 実際、キミヒコの言ったことは口から出まかせである。


「まー、基本的にはそうなんだけどさ。俺もいろいろと、しくじることもあるのさ。一生の不覚だったよ」


 キミヒコが嘯く。


 ミルヒはそれを信じてはいないようだったが、これ以上追及する気もないらしい。「そうなんだ」とだけ言って、この話題は終わった。

 その後は適当な雑談をして、交友を温める。


「あなたの人形、なんだか雰囲気変わったね」


 不意にそんなことをミルヒが言う。


 キミヒコからすると、ホワイトのありようはずっとそのままで、変化があったようには思えない。


「……そうかな? そんな気はしないが」


「あれ? あのなんともいえない、プレッシャーみたいな感覚が薄くなってる気がするんだけど」


 ミルヒのその言葉に、キミヒコの中で警戒感が芽生えた。


 ホワイトの魔力は、それを感知するものに嫌悪と恐怖を植え付ける。不快に感じるのが、健常な人間の感性なのだ。

 この人形の魔力をなんとも思わないというのは、まともなことではない。


「それ、変わったのはミルヒの方だぞ。多分な。……あまりよくない傾向だから、気をつけた方がいい」


「……そう。キミヒコさんの言うこと、なんとなくわかるよ。そうか、私、変わっちゃったかぁ」


 キミヒコの警告に、ミルヒは自嘲するように笑った。

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